2・陵墓と凶報
帝都郊外の緩やかな丘の上に、陵墓はあった。
丘を囲む檜林の中には、何本か青葉を揺らす山桜も混ざっている。
蝉の声が、静けさを覆うように響き渡っていた。
黒い袴姿の火花が石段を登りきると、中央に円墳が見えてくる。
その正面に、黒詰襟の軍服を纏った雅臣が手を合わせている姿があった。
白御影石の石碑には、「櫻の宮 静華之墓」と刻まれている。ここが、亡くなった前皇后・櫻子の墓であるというのは周知の事実だ。
雅臣が祈りを捧げ終わるのを待ってから、火花は疑問を投げかけた。
「殿下。なぜこちらに」
待ち合わせ場所に、ここを指定したのは雅臣だった。
「ここが一番、話をするのにふさわしいと思ったからだよ」
どこか厳かに、雅臣は告げる。
優しい紅い瞳を揺らし、雅臣は火花を振り返って、それから石碑へ再び視線を戻す。
足元から吹き抜ける風が、木々の葉をざわめかせた。
「ここに眠っているのは、お前の本当の……いや、産みの母だ」
「…………え?」
火花の口から音が漏れる。
すぐに蝉の声がかき消すが、雅臣はそのまま、静かな口調で続けた。
「お前の母は、前皇后陛下――つまり、俺の母上だ」
雅臣は、瞳を柔らかくする。今一度火花を見つめ、深く息を吸った。
「お前と俺は、本当に兄妹なんだよ、ハナ」
雅臣の優しい面差しに、火花は表情を固めた。
主人としてではない、兄としての表情を見せる雅臣に、戸惑いが隠せない。
「どういうこと、ですか」
声が震えている。脳が理解を拒むように、思考が上手く回っていないのが自覚できた。
「混乱するのも無理ないよな。順を追って話そう」
慈しむようにそう言う雅臣が、いつも以上に頼もしく映る。
火花は沈黙して、うるさい鼓動を抑えるように、胸元に手をやった。
「全て、お前の育ての母……椿さんが亡くなる直前に、聞いた話だ」
温かい夏の風が、雅臣と火花の髪を僅かに巻き上げる。
桜の木が揺れ、二人の足元に葉を落とした。
「前皇后――俺の母上の侍衛を、椿さんが務めていたことは知っているよな」
「はい、もちろんです」
火花の母・黒宮椿は前皇后・櫻子の筆頭侍衛だった。母の忠誠心は非常に強く、前皇后と強い絆で結ばれていたというのは有名な話だ。
「母上は、兄上と俺を産んだあと、もう一人子を身籠った」
火花は雅臣をじっと見つめた。柔和な笑みの中に、彼の積み上がった決意が滲んでいる。
「しかし、その子の父は、皇帝陛下ではなかった。母上は椿さんを頼り、極秘でその子を産んだ。出産して間もなく、元々病弱だった体はもたず、亡くなった」
雅臣に、明確な母の記憶はないはずだ。しかし、母を大切に想う心が奥底に眠っていることは、主人の語り口から明らかだった。
「母上は椿さんに最後の願いを託した。その子を、皇族ではなく、椿さんの子として、黒宮の娘として育てて欲しいと」
火花の狼狽を見抜いているのか、全てを受け止める凪いだ光で、彼は強く火花を包んだ。
「椿さんはそれを了承した。以来その子を、実の娘として厳しく育てたそうだ」
雅臣ははにかむ。そして今一度、強い眼差しで火花を射抜いた。
「それがお前だ、ハナ」
風の音も、蝉のざわめきも、火花の意識から逃げていく。
火花は乾いた唇を、一度きゅっと引き結んだ。
何も言わない火花を見て、雅臣は一度言葉を切った。
火花から視線を逸らし、石碑を見つめてしばらくして、雅臣は再び口を開いた。
「椿さんもやがて病がちになってしまった。その頃には、お前の瞳が、もう時折紅く滲んでいたそうだ。そこで、彼女は俺と兄上に全てを明かしてくれた」
雅臣は当時を思い出したのか、懐かしむように声音を柔らかくした。
「やがてハナが、紅い瞳を発現してしまう日が来る。そうなれば、皇族との関係を疑われることは避けられない。その時には力になって欲しいと」
雅臣の金髪が、夏の陽光を受けてきらきらと輝いた。それが眩しくて、火花は目を細める。
「もちろん俺や兄上は同意した。いずれそうなったら、必ず力になる。妹として皇族に迎え入れるも、黒宮として生を全うするも、ハナの意志で決めて良いと」
そこで雅臣は、少しだけ笑い声を漏らした。
怪訝な表情を浮かべる火花へ、雅臣は言葉を紡ぐ。
「でも椿さんは笑ってたよ。私の娘なら、きっと黒宮として生き抜くから、余計なことはしないでくださいってな」
火花の心に、かつての母の言葉は優しく沁み入った。まったく随分と昔から、行動を読まれていたらしい。脳裏に蘇る母の姿が、懐かしくて、嬉しくて、誇らしくてならなかった。
「黒宮の、父と兄は、このことは?」
「知っているはずだ。その上で、お前を家族として慈しんでいる。そのことに疑いはないだろう?」
「はい。それは、もちろんです」
迷いなく、火花は頷いた。
そして、火花は大きく息を吸った。
風に乗って漂う、草木の香り。気温は高いが、その心地よい匂いのおかげで、幾分かは涼しく感じる。
心拍は、随分落ち着いたように思う。
火花は汗ばんでいる拳を強く、握りしめた。
「では、私の、本当の父は」
火花は、残った最後の疑問を、まっすぐ、雅臣へぶつけた。
「誰なのですか」
兄妹の、紅が穏やかに絡み合う。
風が止んで、蝉時雨だけが降り注いだ。
雅臣の落ち着いた、力強い声が響く。
「宵華宮さま」
火花の呼吸が、一瞬だけ止まった。
「皇帝陛下の兄――俺の、伯父上だ」
宵華宮。
純然たる皇族でありながら、紅の魔力を発現できず、皇位を弟に奪われた不遇の宮。
政治や権力の表舞台から追いやられ、皇宮で暮らすことも許されず、帝都の外れで暮らしている。
火花に直接、面識はない。
けれど、その存在は知っていた。
「殿下、急報です!」
突然、雅臣の侍衛の一人が、声を荒げて石段を駆け上がってくる。
火花も面識のある忠臣だ。彼は眉間に皺を寄せながら、あっという間に雅臣の下へ辿り着く。
「殿下の暗殺未遂事件の、首謀者を捕えよとの厳命が!」
雅臣に礼を尽くしながら、はっきりとした声で彼は言った。
「その首謀者とは?」
「紫苑玲です! 現在、軍が捕縛のため、紫苑邸に向かっているとのことです」
雅臣が息を呑む。
「は?」
火花の口から、間の抜けた声が漏れ出ていた。
ありえない。すぐに策謀だと悟った。
藍川蘭子だ。そうに決まっている。
火花を貶めることに失敗したから、今度は玲を狙ったのだ。
「その軍、誰が率いている?」
雅臣が侍衛に尋ねた。
侍衛は息を短く吸って、言った。
「宵華宮さまです」
火花の深紅が、驚愕に染まった。




