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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第四章 大逆事件
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2・陵墓と凶報

 帝都郊外の緩やかな丘の上に、陵墓はあった。


 丘を囲む檜林の中には、何本か青葉を揺らす山桜も混ざっている。

 蝉の声が、静けさを覆うように響き渡っていた。


 黒い袴姿の火花が石段を登りきると、中央に円墳が見えてくる。

 その正面に、黒詰襟の軍服を纏った雅臣が手を合わせている姿があった。


 白御影(しろみかげ)石の石碑には、「櫻の宮 静華之墓」と刻まれている。ここが、亡くなった前皇后・櫻子(さくらこ)の墓であるというのは周知の事実だ。


 雅臣が祈りを捧げ終わるのを待ってから、火花は疑問を投げかけた。


「殿下。なぜこちらに」


 待ち合わせ場所に、ここを指定したのは雅臣だった。


「ここが一番、話をするのにふさわしいと思ったからだよ」


 どこか厳かに、雅臣は告げる。

 優しい紅い瞳を揺らし、雅臣は火花を振り返って、それから石碑へ再び視線を戻す。


 足元から吹き抜ける風が、木々の葉をざわめかせた。




「ここに眠っているのは、お前の本当の……いや、産みの母だ」

「…………え?」


 火花の口から音が漏れる。

 すぐに蝉の声がかき消すが、雅臣はそのまま、静かな口調で続けた。



「お前の母は、前皇后陛下――つまり、俺の母上だ」


 雅臣は、瞳を柔らかくする。今一度火花を見つめ、深く息を吸った。



「お前と俺は、本当に兄妹なんだよ、ハナ」


 雅臣の優しい面差しに、火花は表情を固めた。

 主人としてではない、兄としての表情を見せる雅臣に、戸惑いが隠せない。



「どういうこと、ですか」

 声が震えている。脳が理解を拒むように、思考が上手く回っていないのが自覚できた。


「混乱するのも無理ないよな。順を追って話そう」


 慈しむようにそう言う雅臣が、いつも以上に頼もしく映る。

 火花は沈黙して、うるさい鼓動を抑えるように、胸元に手をやった。


「全て、お前の育ての母……椿さんが亡くなる直前に、聞いた話だ」


 温かい夏の風が、雅臣と火花の髪を僅かに巻き上げる。

 桜の木が揺れ、二人の足元に葉を落とした。




「前皇后――俺の母上の侍衛を、椿さんが務めていたことは知っているよな」

「はい、もちろんです」


 火花の母・黒宮椿は前皇后・櫻子の筆頭侍衛だった。母の忠誠心は非常に強く、前皇后と強い絆で結ばれていたというのは有名な話だ。


「母上は、兄上と俺を産んだあと、もう一人子を身籠った」


 火花は雅臣をじっと見つめた。柔和な笑みの中に、彼の積み上がった決意が滲んでいる。


「しかし、その子の父は、皇帝陛下ではなかった。母上は椿さんを頼り、極秘でその子を産んだ。出産して間もなく、元々病弱だった体はもたず、亡くなった」


 雅臣に、明確な母の記憶はないはずだ。しかし、母を大切に想う心が奥底に眠っていることは、主人の語り口から明らかだった。


「母上は椿さんに最後の願いを託した。その子を、皇族ではなく、椿さんの子として、黒宮の娘として育てて欲しいと」


 火花の狼狽を見抜いているのか、全てを受け止める凪いだ光で、彼は強く火花を包んだ。


「椿さんはそれを了承した。以来その子を、実の娘として厳しく育てたそうだ」


 雅臣ははにかむ。そして今一度、強い眼差しで火花を射抜いた。





「それがお前だ、ハナ」


 風の音も、蝉のざわめきも、火花の意識から逃げていく。

 火花は乾いた唇を、一度きゅっと引き結んだ。



 何も言わない火花を見て、雅臣は一度言葉を切った。

 火花から視線を逸らし、石碑を見つめてしばらくして、雅臣は再び口を開いた。



「椿さんもやがて病がちになってしまった。その頃には、お前の瞳が、もう時折紅く滲んでいたそうだ。そこで、彼女は俺と兄上に全てを明かしてくれた」


 雅臣は当時を思い出したのか、懐かしむように声音を柔らかくした。


「やがてハナが、紅い瞳を発現してしまう日が来る。そうなれば、皇族との関係を疑われることは避けられない。その時には力になって欲しいと」


 雅臣の金髪が、夏の陽光を受けてきらきらと輝いた。それが眩しくて、火花は目を細める。


「もちろん俺や兄上は同意した。いずれそうなったら、必ず力になる。妹として皇族に迎え入れるも、黒宮として生を全うするも、ハナの意志で決めて良いと」


 そこで雅臣は、少しだけ笑い声を漏らした。

 怪訝な表情を浮かべる火花へ、雅臣は言葉を紡ぐ。


「でも椿さんは笑ってたよ。私の娘なら、きっと黒宮として生き抜くから、余計なことはしないでくださいってな」


 火花の心に、かつての母の言葉は優しく沁み入った。まったく随分と昔から、行動を読まれていたらしい。脳裏に蘇る母の姿が、懐かしくて、嬉しくて、誇らしくてならなかった。


「黒宮の、父と兄は、このことは?」

「知っているはずだ。その上で、お前を家族として慈しんでいる。そのことに疑いはないだろう?」

「はい。それは、もちろんです」

 迷いなく、火花は頷いた。


 そして、火花は大きく息を吸った。

 風に乗って漂う、草木の香り。気温は高いが、その心地よい匂いのおかげで、幾分かは涼しく感じる。

 心拍は、随分落ち着いたように思う。

 火花は汗ばんでいる拳を強く、握りしめた。



「では、私の、本当の父は」


 火花は、残った最後の疑問を、まっすぐ、雅臣へぶつけた。



「誰なのですか」


 兄妹の、紅が穏やかに絡み合う。

 風が止んで、蝉時雨だけが降り注いだ。



 雅臣の落ち着いた、力強い声が響く。






宵華宮(しょうかのみや)さま」


 火花の呼吸が、一瞬だけ止まった。



「皇帝陛下の兄――俺の、伯父(おじ)上だ」


 宵華宮。


 純然たる皇族でありながら、紅の魔力を発現できず、皇位を弟に奪われた不遇の宮。

 政治や権力の表舞台から追いやられ、皇宮で暮らすことも許されず、帝都の外れで暮らしている。



 火花に直接、面識はない。

 けれど、その存在は知っていた。






「殿下、急報です!」




 突然、雅臣の侍衛の一人が、声を荒げて石段を駆け上がってくる。

 火花も面識のある忠臣だ。彼は眉間に皺を寄せながら、あっという間に雅臣の下へ辿り着く。


「殿下の暗殺未遂事件の、首謀者を捕えよとの厳命が!」


 雅臣に礼を尽くしながら、はっきりとした声で彼は言った。


「その首謀者とは?」

「紫苑玲です! 現在、軍が捕縛のため、紫苑邸に向かっているとのことです」


 雅臣が息を呑む。


「は?」

 火花の口から、間の抜けた声が漏れ出ていた。


 ありえない。すぐに策謀だと悟った。


 藍川蘭子だ。そうに決まっている。

 火花を貶めることに失敗したから、今度は玲を狙ったのだ。





「その軍、誰が率いている?」


 雅臣が侍衛に尋ねた。

 侍衛は息を短く吸って、言った。



「宵華宮さまです」


 火花の深紅が、驚愕に染まった。


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