表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第一章 黒宮火花
4/62

3・魔術と悪戯

 木枯らしが肌寒い季節へと移り変わった。


 紅苑(こうえん)高等学院の中庭の外れには、ひっそりと古い柿の木が立ち竦んでいる。

 黄丹色(おうにいろ)の見事な実を残した大木の周辺は、昼間でも人気が少なかった。


 紫苑玲はそれを知ってからというもの、講義の合間にその幹へ背を預け、静かな読書に耽ることを常としていた。喧騒から離れ、書物の中の英知へ思考を巡らせることが、彼にとっての安らぎだった。


 その日も同じように(ページ)を繰っていた玲は、ふと前方からの視線に気付いた。


 白い制服姿の三人の男がこちらに歩いてくる。

 白い制服は、文科所属の証だ。



 先頭の狡猾そうな茶髪の男は、反皇族派筆頭の御曹司だ。

 いつも取り巻きとつるみ、黒宮火花や、その友人の拓海に舌戦を仕掛けている。


 鳴き声だけは大きいが、飛べもしない出来損ないの雛鳥。

 それが、彼らに対する玲の評価だった。



「やあ、オウジサマじゃないですか」


 ねっとりとした、嘲りの混じる声音。

 三人は足を止めて、揃って嘘くさい笑みを浮かべていた。


 玲が滅びた隣国・紫雲国(しうんこく)の王子であったことは、公然の秘密である。

 今更秘匿する気も吹聴する気もなかったが、こうしてあからさまに嘲笑されれば、不快以外の何物でもない。


 玲は感情を表に出さない質だ。

 しかし、鈍いわけではない。

 むしろ、熱く滾る怒りが、ずっと腹の底で渦巻いている。


「この次もあの生意気な女、とっちめてやってくださいよ」


 女とは、他ならぬ黒宮火花のことだろう。

 彼女が気に入らないのは玲も同じではあったが、この男が彼女に向ける感情と、自らのそれが同質のものだとは、到底思えなかった。


 彼らも、前回の模擬戦闘を見物していたらしい。



「お前たちには関係ない」


 玲は刺すように告げて、再び視線を書に落とした。これ以上、会話を交わすつもりがない。



「お高くとまっちゃって」


 茶髪がこめかみを震わせながら一歩踏み込み、無遠慮に玲の肩へ手を置く。

 耳元で、子供を諭すような声音で囁いた。


「この国で生きていきたいなら、処世術くらい学べよ、オウジサマ」



 それは突然の出来事だった。



 三人の頭上で、小気味いい爆発音が弾ける。

 熟れた柿がいくつか爆ぜていた。


 甘苦い香りがふわりと広がり、黄色い果汁が派手に飛び散る。


 結果、純白の制服の三人は見るも無残な姿と成り果てた。

 顔面も制服も、見事に黄色に染まる。

 お互いに顔を見合わせ、みるみる表情を歪ませていった。


 玲の制服の袂にもいくらか飛沫がついたが、黒い制服では目立たない。


 ちっ、と茶髪が悪態をつく。

 玲を睨みつけるが、顔面が黄色く塗られたその不格好さでは、表情の恐ろしさよりも滑稽さが勝っていた。

 玲は思わず口元を引き結び、笑いを飲み込む。


 三人はそれ以上口を開くことなく、逃げるように足早に校舎の方へ去っていった。





 一人取り残された玲は、辺りに充満する香りを吸い込みながら、周囲を見回した。


 地面には破砕された柿の断片が散り、頭上にはまだ幾粒か熟れた柿がなっている。




 三人の頭上にあった実だけが選んだように破裂し、それ以外の柿は、不自然なほど無傷なことに、玲は気がついた。



 明らかに、人為が働いている。


 落ちている断片の一つを拾い上げ、じっと見つめる。指先に、ぬるりとした果汁が纏わりついた。




 紅の魔術だと、すぐに気がついた。



 柿の欠片に、微かな魔力の残滓がある。

 僅かだが、間違いない。



 玲は周囲をもう一度見回す。

 人影はない。


 しかし、玲には犯人の正体が、はっきりと分かっていた。


 先刻の三人に抱いた苛立ちとは別種の、胸の奥を掻くような不愉快が湧き上がる。



「くだらない」


 黒宮火花の、そういう所が鼻につく。


 強力な魔力を持ちながら、わざわざ瞳の色を誤魔化してまで、それを隠している。

 玲には、その理由が見えない訳ではない。彼女が抱えている恐れは想像がつく。




 それでも、玲には許せなかった。


 かつて、玲は全ての力を絞り切っても守れなかった。

 必死に手を伸ばしても、父も、国も、消えた。

 息が止まるほどの痛みと後悔が、彼女を見るたびに蘇る。


 彼女は、強い。

 だがその強さは、もっと遠くまで届くはずだと、彼女自身も分かっているはずなのに。

 剣技のみで全てを守れると、信じ込もうとしている火花が、愚かに見えて我慢ならない。



 あの灼ける夏の日、膝をついて悔しさに唇を噛んだ彼女に、思わず言葉を投げたのは、玲らしくはなかった。

 けれどあれは、願いでもあった。



 守るべきものがあるなら、持てる力の全てを使って――


 本気でやれよ。



 こんな子供だましの悪戯に術を使うくらいなら、もっとすべきことがあるはずだ。


 拾い上げていた柿の残骸を、玲は乱暴に投げ捨てた。


 どこかでこの様子を見ているはずの彼女へ、この苛立ちが伝わってしまえばいいと思った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ