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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第三章 艶やかに蠢くもの
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17・四華族会議

 皇宮の中央からやや東に、ひっそりと、しかし威圧感のある洋館が建っていた。

 その館は四華族や皇族が開く重要な会合の際にのみ、扉が開かれる。


 玄関扉は、黒檀の重厚な木製であった。それが開くと、紅い絨毯が奥の階段へと伸びている。

 吹き抜け天井に吊るされた大きなシャンデリアは、和紙を組み合わせた特注品だ。


 階段の奥の間には、黒漆塗りの大きな円卓が置かれていた。その中央には、椿や百合をふんだんに使った雅な生け花が飾られている。

 椅子は五脚、真紅の絹張りのものが用意され、そのうちの四つの背もたれには、四華族それぞれの家紋が彫られていた。そこに着座するのは、四華族の当主たちである。




「黒宮殿、今回はどのような要件で召集されたのか、ご存知ですかな?」


 白藤(しらふじ)家当主・白藤聡一郎(しらふじそういちろう)は眼鏡の奥で、理知的な銀の瞳を光らせた。横に座る筋骨隆々とした体躯の男は、火花の父でもある黒宮家当主・黒宮篤信(くろみやあつのぶ)である。


「いいえ。存じませんな」

 篤信は腕を組んだまま、聡一郎の瞳を真っ直ぐ見据えて告げる。

 火花は父の後ろに控える形で立ち、妙な圧迫感のある空気に背筋を伸ばしていた。


 四人の当主たちは、それぞれ独特の圧を放ち、それを宙でぶつけ合っていた。

 ステンドグラスの窓から差し込む光が、部屋に熱を与えようとしているが、それでもなお、空間は冷たくひりついた温度で満ちている。


 火花はその緊張感に手先を冷やしながらも、対面に座る藍川蘭子を睨みつけていた。

 いつものように派手な洋髪に、絢爛な藍色のドレスを纏った蘭子は、社交界用の微笑を湛えて優雅に座っている。


「では、藍川殿は?」

「知りませんわ」


 聡一郎の質問に、蘭子はそっけなく答えた。

 蘭子の右手には包帯が巻かれている。そのことに気がついた聡一郎は、声音を変えずに問うた。


「藍川殿、その手はいかがされた?」

「あら、心配いりませんわ」


 蘭子は首を傾げ、微笑んだ。そして深い青い瞳で、篤信の背後にいる火花を見やる。怨嗟(えんさ)が、その瞳の奥にしっかりと滲んでいた。


「手負いの山猿に、うっかり噛まれまして」


 火花は思わず、声を漏らさずに嗤った。

 山猿とは言ってくれる。親子揃って同じような物言いをするものだと、かつての維月の罵りを思い出した。


「そういえば、黒宮殿の御息女も怪我をされているな。治療いたしましょうか」


 聡一郎が、振り返って火花の頬の青痣を見つけて気遣う。

 医術を司る白藤家当主の心遣いに、火花は深く一礼した。


「お気遣い痛み入ります。醜い毒蛇に襲われたのですが、今は問題ございません」


 醜い、という単語に、蘭子が微かにこめかみを震わせたことに気付いて、火花は仄かな愉楽を感じた。

 篤信が大きな咳払いをする。火花は表情を引き締めて、再び背筋を伸ばして直立した。



 聡一郎は場の空気に違和感は持ちつつも、目線を中央に戻す。

 豪奢で風雅、会議には少々場違いな生け花が、嫌でも目に入った。


「この度も見事な生け花ですな」

 聡一郎が思わず、ぽつりと呟いた。


「そうでしょう」

 黄賀玉枝(おうがたまえ)はその賞賛を、当然とばかりにひとつ頷いて肯定する。


 円卓の中央の生け花は、玉枝の作品である。

 風流をこよなく愛し、特に華道を極めて黄賀の当主となった玉枝は、四華族の当主の中でも最年長の女性だ。皺の刻まれた顔にはわずかな笑みが浮かんでいるものの、彼女の本心は掴めない。





「待たせたようだね」


 皇太子・雪哉の声が入り口から響き渡ると、四人の当主は一斉に立ち上がる。

 火花を含め五人全員が深い礼をしたまま、雪哉の着席を静かに待った。


 やがて雪哉が腰掛け、彼が声をかけると、当主たちも再び着席する。

 ただでさえ冷たく張り詰めていた空気が、さらに苦しく火花の喉を締めつけた。


「急な連絡にも関わらず参集してくれたこと、感謝する」


 雪哉の声が、格天井(ごうてんじょう)の空間に満ちていく。静かだが支配力のある声音に、当主達ですら襟を正しているのが火花にも分かった。


「さて、黒宮火花、こちらへ」


 唐突に雪哉に呼ばれ、火花は慌てて一礼し、そのまま真っ直ぐ雪哉の御許へ向かった。

 赤い絨毯に、火花の革靴が鳴る音が吸収される。


 雪哉の近くまで行くと、正面を向くよう指で指示された。

 素直に指示に従い、火花は身体を固くしながら円卓に向き直る。



 四人の当主達の視線が、火花に突き刺さる。篤信の憂慮、蘭子の憎悪、聡一郎の好奇、そして玉枝の微笑み。それらを一度にぶつけられ、火花はどうしていいか分からなくなり、ただ立ち竦んで袴を握りしめる。



「黒宮家の長女が、紅い瞳を発現した」


 雪哉が穏やかに告げる。

 その言葉に、場の空気が張り詰めた。


「これは歴史上例を見ないことだ。さて、どう思う? 藍川殿」


 緊迫ゆえの静寂の中でも、雪哉は軽い声音で告げながら、視線を蘭子に向けた。

 唐突に意見を求められた蘭子は、一瞬だけ困惑するも、すぐに優美な笑みを浮かべる。


「いかに黒宮家が皇家に忠誠を誓っているとは言え……その長女が紅い瞳では」


 あくまで心配する素振りは装ったまま、蘭子は青い瞳で火花をじっと捉えている。

 その奥に、貶めてやろうという野心があることを火花は明確に感じ取った。


「出自を疑う者がいても、おかしくはございませんわね」

「口を慎まれよ」


 わざとらしい蘭子の進言に、篤信が怒りを滲ませて口を挟んだ。

 拳が震えている。今にも立ち上がりそうな篤信の形相はひどく恐ろしいはずだが、蘭子は気にせず笑った。


「あら。事実を申し上げただけですわ」

 篤信の額に青筋が浮かんだ。篤信は火花の父らしく、我慢強い方ではない。


「黒宮の忠誠を疑うつもりはない。……とはいえ、藍川殿の言葉にも一理ある」


 二人の応酬に、雪哉が口を挟んだ。

 雪哉は隣に立つ火花を横目で確認する。

 皇太子の強い視線を感じて、火花は深い息を吸った。



「黒宮火花」

「はい」


 火花はその場で片膝をつき、雪哉に向かって頭を垂れる。




「如何なる事があろうとも、黒宮としての生を全うせよ。皇族としての生は与えぬ」


「光栄の極みにございます。この命尽きるまで、皇家への忠誠を誓います」




 火花は大きく、はっきりとした声で誓った。そこに一切の澱みはない。

 この答えを後悔する日は永遠に来ないと、確信できている。

 背後から父の温かい気配と、蘭子の刺すような視線を感じた。



「それで……済ませると?」

 静かに見守っていた当主のうち、蘭子だけが呆れを孕んだ声を溢した。


「茶番ですわ。皆様は、この娘が皇族の血を引いていないと、黒宮が不逞を犯していないと、本気でそう思ってらっしゃるの?」


 蘭子はもう淑女の仮面を剥いでいる。明確に嘲りを火花に向けた後、聡一郎と玉枝へ視線を向けた。


「では聞くが、証拠でもあるのか?」

 篤信が、黒の鋭い眼光を蘭子に向けた。武勇で名を馳せる黒宮の当主の怒りの声は、火花でも身がすくむほど恐ろしい。


「そうでなければ、貴殿は黒宮家を根拠もなく侮辱したことになるが」

 蘭子は篤信の視線を受け止め、微かに笑うものの、返す言葉は見つからないようだった。

 ほんの少し沈黙が場に落ちて、次に口を開いたのは聡一郎だった。



「藍川殿が憂いているのは、黒宮から皇族が出ることでは?」

 眼鏡の角度を直しながら、聡一郎は淡々と、抑揚のない声で言う。


「ならば、先程殿下と本人がその可能性を否定した。それで問題ないはずだが」

 聡一郎は蘭子にそう言い放った後、心底理由が分からないと言わんばかりの怪訝な表情を浮かべた。



 聡一郎が頼りにならないと踏んだ蘭子は、残る一人に笑みを向ける。

 玉枝は変わらず微笑を湛えたまま、凪いだ金の混ざる瞳を、中央の生け花に向けていた。


「黄賀様、なんとか仰ってくださいませ」

 乞うような蘭子の声音に、玉枝はやっと視線を動かし、蘭子を真っ直ぐ射抜く。



「藍川の、あなた」


 突然の、温度のない声。空気がひりつき、玉枝に全員の視線が集中した。

 雪哉だけはその空間の中でも、何事もなかったかのように表情を崩さない。



「見苦しい」

「……なんですって?」

「このわたくしに醜いものを見せないで。先程から耳障りで仕方ありません」


 風雅を好んでいる。――いや、狂おしいほど愛でている玉枝にとって、蘭子の立ち振る舞いは許し難いものであった。会話すら交わすつもりがないようで、玉枝は即座に蘭子から目線を外し、自らの美しい作品を再び眺め始める。



「話になりませんわ」

 蘭子は動揺からか、僅かに声を震わせた。


 味方がいないことを悟り、蘭子は唇の端を噛む。



 皇太子に図られたと、そこで蘭子は初めて察した。


 他の貴族達を抱き込み、黒宮家を糾弾して権威を落とすつもりだった。

 しかし、火花を皇族には迎えないという公の宣告がなされ、解決の様相を呈した今。もし糾弾を行えば、皇太子の宣告に疑念を持っていると受け取られかねない。

 そうなれば、旗色が悪いのは藍川の方だ。



 腰掛けたままの雪哉の表情は変わらない。

 僅かな弧を描く乾いた唇が、喜怒哀楽の一切を読み取らせない。


 雪哉の影が、ステンドグラス越しの光を受けて伸びている。

 その影が、得体の知れない怪物のようだと蘭子は思い、背筋を冷たくさせるのだった。


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