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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第三章 艶やかに蠢くもの
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15・誇りと絆

 火花は西陽の強烈な橙を、瞼の裏で感じる。

 通り抜ける温かな風に乗った、畳と微かな土の香りが、心地よい目覚めへと導いた。


 目を開けば、ひび割れのある凪の家の天井が目に入る。



「ハナ!」


 ひょこりと現れた、雅臣の顔が視界いっぱいに広がった。心配を色濃く(あらわ)す声と表情に、火花は思わず破顔する。


「よく頑張ったな」


 雅臣の視線が、火花の頬の殴られた痕に向かっている。


 火花は寝ていた布団から起き上がる。

 辺りを見回すと、素朴な凪の居室に玲と雅臣が座って、こちらを心配そうに見守っていた。


 凪と拓磨の姿はない。すっかり根城のように使わせてもらっているが、凪にそのまま言えば即座に追い出されそうだと思って、火花はひとり苦笑する。



 玲がじっと火花を見据え、言葉を溢した。


「痛むか?」

「大丈夫。もうすっかり……とはいかないけど、問題なさそう」


 少しだけ(かす)れる声で火花は答えた。

 殴られた頬や腹は鈍く痛むが、体調に概ね問題はなさそうだった。

 青の魔石入りの酒は抜け切ったのか、頭の痛みは感じない。


「水を持ってくる。あと、何か食べられそうか」

「うん。お腹空いた」

「わかった」

「ありがとう」


 相変わらずの無表情で、黒い浴衣姿の玲はそれだけ言うと、立ち上がって土間に向かった。





 畳敷きの部屋に、雅臣と火花の主従だけとなった。

 火花は正座をして、雅臣に向き直る。


「申し訳ありません、証拠を持ち帰れませんでした」

「気にするな」


 雅臣は、かしこまって言う火花に手を伸ばし、黒髪をかき混ぜるように撫でた。



「あの女から、直接聞きました」

 怒りを静かに滲ませながら、火花は言う。


「拓海は、拓磨のために……もともとは、藍川に金で買われた間者でした」

 雅臣はまだ、火花を慈しむように見ている。


「でも、あの日、完全に操られるのを阻止するために、白の魔石を飲んで……」

 火花は言葉に詰まった。明瞭な報告ではないことは自覚していた。

 けれどきっと、雅臣なら分かってくれると、溢れるままに言葉を紡いだ。


 雅臣は哀しげに笑った。遠い目をして、かつての拓海を思い出しているようだった。


「あいつさ。俺に斬りかかる時、咄嗟に刃を返して峰打ちにしようとしてたんだ」

 雅臣は視線を落とし、拳を握る。


「いくら白の魔石を事前に飲んでたからって、とんでもない精神力だよ。流石は拓海だよな」

 火花は頷いた。彼らしいと、そう思う。


「私に、ごめんねって言ったんです」

 炎に包まれながら、どうして彼が謝ったのか、本当のところは今となってはもう分からない。

 けれど彼が火花と雅臣のよく知る、優しい拓海のまま逝ったことだけは真実だった。



 まるで拓海に捧げる黙祷のように、二人の間に沈黙が落ちた。

 蝉の哀しげな鳴き声と、土間で薪の燃える音が、優しく二人の耳に届く。







 しばらくして、雅臣は顔をまっすぐ火花へ向けた。主人の視線に、火花も強い瞳で顔を上げる。


「藍川蘭子に仕掛けられる前に、こちらが先手を打つことになった」


 雅臣は唾を飲み込む。



「四華族会議を召集すると、兄上が」


 四華族会議。

 紅華帝国を統べる、皇族と四つの華族の家長が参加する。


 皇帝ですら覆せぬ、絶対の決定力を持つ会議だ。



「疲れているところ悪いが、ハナも参加だ。大丈夫か?」


 普段の火花に参加権などないが、雅臣が言うのであれば参加する他ない。

 仮に骨が折れていようが馳せ参じなければならない、そういう会議だ。


 それは、あの藍川蘭子とて同じ。

 あの女が、来る。


 火花は布団を強く握りしめた。





「会議の前に、一つだけ確認しなきゃならないことがあるんだ」


 雅臣は体を正し、静かに言った。

 神妙な顔つきの主人に、火花は背筋を伸ばす。

 差し込む西日が紅く、雅臣の輪郭を照らしていた。









「お前、皇族として生きるつもりはあるか?」


 火花の喉が、ひゅっと音を立てた。





「俺の妹として生きる道も、お前にはある」


 雅臣の紅い瞳に揺らぎはない。まっすぐな視線を、火花もまた、強い眼光で受け止める。



 二つの紅が交わった。





「いいえ」


 きっぱりと、火花は否定した。

 同じことを何度問われても、きっと、返事は変わらない。





「私は、黒宮火花です」




 気高く、強く、優しく、温かい。

 そんな黒宮家の父を、母を、兄を誇りに思っている。


 何より、この主人を、侍衛として心の底から敬愛している。


 そこに揺らぎはない。

 たとえこの先、どんな真実を知ったとしても。




「そう言うと思ってたよ」


 雅臣は目に皺を作って笑った。

 場に満ちた緊張が解けて、二人の身体に満ちていた強張(こわば)りも柔らかく抜けていく。


「どっちにしろ、お前が妹みたいな存在であることに変わりはないしなあ」


 雅臣が呟いて、火花の頬の青痣に軽く触れた。

 痛いですよ、と抗議の声を上げる火花の顔にも笑みが浮かんでいる。




「お前、疑問に思ったことはあるのか?」


 雅臣の問いに、火花は返す言葉を失った。


 本当は、考えないでもなかった。

 紅華帝国の歴史上、皇族以外が紅い瞳を発現したことはない。


 けれど、皇族とは血を交えないという黒宮の鉄の掟を、父や母が破るはずがない。

 それが意味するところを、火花はあえて考えないようにしていた。



「お前が知りたいのなら教えるよ。俺は、答えを持っている」


 優しい言葉に、火花は胸がいっぱいになった。

 けれど、今その答えをすぐに導き出せない自分がいる。知りたいと思っているのかすら、己の感情なのに、明確に手繰(たぐ)れない。


 困惑を隠せない火花に、雅臣は笑って言った。


「知りたくなったら聞け。いつでも答えてやるから」


 火花は強く頷いて、雅臣の顔を見上げた。

 笑顔の自分が、主人の明るい紅の瞳に映っている。


「(こうやって、すぐに人をたらしこむんだからなあ)」

 そんな主人が、火花は大好きだった。


「あんまり優しくすると、私、どんどんつけ上がりますよ」

「何を言ってるんだ、今更だろ。散々俺を馬鹿にしておいて」

「馬鹿になんてしてません。少しからかってるだけです」

「違いが分からないな」

「この想いが伝わらないなんて、ああもどかしい」

「よく口の回るやつだなあ、まったく」


 雅臣は呆れた声を出すが、表情はとても柔らかい。

 いつもの空気に、火花の胸が温かい熱で満ちていく。




 ふいに、土間から「あちっ」と声がした。

 玲が粥を器に盛る際に、何か小さな失敗をしたのだろうか。


 雅臣は小声で火花へ尋ねた。


「お前、紫苑玲と……その……、つまり……」

 雅臣は言いにくそうに、言葉をまごつかせた。


「はっきり言ってください、そんなんだとまた、婚約者様に愛想尽かされますよ」

「またとはなんだお前」

「知ってるんですからね。で、なんですか?」


 言葉を濁す主人に、火花はじとりと視線を向ける。

 雅臣は唇を引き結んだあと、言葉を漏らした。


「恋仲になった……のか?」

「はぁ?」


 呆れ返った声が出てしまう。

 眉間に皺も寄っているだろう。

 一般的に主人に向ける態度ではないのだろうが、こういう頓珍漢(とんちんかん)なことを言い出す雅臣が悪いと、火花は結論づけた。


 玲が盆に水と、湯気の上がる粥を乗せて戻ってくる。雅臣と火花の妙な雰囲気に、玲は小首を傾げた。


「玲、火傷した?」

「いや、大丈夫だ」


 なら良かった、と火花は言う。

 玲と火花の間に漂う空気に、雅臣の疑問はさらに膨れ上がった。



 明らかに、二人の纏う雰囲気が軽くなっている。


 学院在籍時の、お互いを射殺さんばかりの視線はどこへ行ったのだ。

 火花から玲への呼び名も変わっている。

 何より、火花が大切に持ち歩く簪は、玲から贈られたものだと言う。

 これだけ揃って何もないと言う火花の方こそ、おかしいんじゃないかと雅臣は思った。



「玲と私は、まあ、相棒みたいなもんです。背中合わせに戦うと最高なんですよ」


 ねえ?と同意を求める火花に、玲は怪訝な顔を返した。


「また一緒に戦いたいね」

「そうだな」

「そういえば鍛錬に付き合ってよ。結局一度も勝ててない」

「怪我を治せ。話はそれからだ」

「ふうん。そんなこと言って、魔術ありの私に負けると思って怖いんでしょ」

「一度も勝てていないくせに、随分と気が大きいな」

「腹の立つ男」

(いのしし)女」

「はあ? 華族に向かって無礼すぎる。謝れ」

「俺に勝ったらな」

「よし今すぐやろう。刀はどこ?」

「腹の虫が鳴ってるぞ。冷める前に早く食え」


 軽口の応酬を始めた二人に、雅臣は苦笑いを浮かべた。







 夕陽が障子の長い影を室内に伸ばしている。

 玲の持ってきた粥を綺麗に平らげた火花を見守った雅臣は、立ち上がった。


「さて、俺は明日の準備もあるから失礼する。くれぐれも身体をしっかり休めるんだぞ」

「はい」


 火花は雅臣を正面から見つめて笑う。


「なあハナ」

「はい」

「お揃いだな」

 雅臣は自身の紅い瞳を指差して言った。


「はい」

 その火花の肯定を聞いたあと、雅臣はまた満足そうに笑って、室内から出て行った。




 板戸が閉まる。



 粥が無くなった皿を前にして、火花の瞳が潤んでいることに、玲は気づいた。

 気付いて、気付かないふりをしようと、彼は顔を火花から(そむ)ける。


「良いお方だな」

「そうでしょ? 私の自慢の主人なんだから」


 火花は、誇らしげに言った。


 彼女の声はすこし震えていた。それにも玲は、気がつかないふりをした。



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一気読みしました! ハラハラする展開や火花と玲の関係性など、目が離せない要素が満載でした!
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