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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第三章 艶やかに蠢くもの
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7・仮面と毒

 夜が更けた。

 帝都の藍川邸では、煌びやかな仮面舞踏会が開かれている。

 そこは密やかで、妖艶な熱に包まれていた。


 邸内の大広間には、天井から大きなシャンデリアが吊るされている。

 何百もの水晶が、広間をぐるりと囲む燭台の光を美しく反射していた。

 磨き上げられた寄木の床は足音をよく反響させ、会場の一角には日本酒や和菓子も並ぶ。

 会場の至る場所に百合や蘭などの花が活けられ、華やかな雰囲気を演出していた。


 白と黒の燕尾服姿の紳士たちと、真珠を胸に光らせる令嬢たちは、皆一様に仮面を身につけている。奏者により弦楽四重奏が奏でられる中、ゆったりとワルツを踊る者もいれば、グラスを片手に談笑に華を咲かせる者もいた。


 火花は臙脂色のスレンダーラインドレスを身に纏い、会場の壁に張りついていた。

 室内の湿った熱気と音の反響が、火花はどうも居心地悪くてたまらない。


 足首が見えるほどの丈のドレスを着用していたが、普段袴姿の彼女にとって動きにくいことこの上ない。視界が悪く装飾の派手な仮面も、煩わしくて仕方なかった。

 ドレスの中には万が一のために、ガーター仕込みの小刀を隠している。服の上から軽く触れて問題ないことを確認し、火花は隣で佇む玲の様子を覗き込んだ。


 仮面で表情は隠れているが、どう見ても、楽しんでいるようには見えない。

 玲も他の参加者と同じように燕尾服姿だ。舞踏会で帯刀するわけにもいかず、彼は仕込み杖を持ち込んでいる。


 二人は密かに視線を彷徨わせ、参加者の様子や、給仕する藍川家の使用人達を観察していた。


 目標は、この館の女主人――藍川蘭子の側近。初老の執事だ。

 彼に偶然を装って近づき、玲の魔術を発動する。藍川の秘密が隠されている場所を、詳細に()()()()()()。そういう計画だ。


 火花は身につけた仮面に触れる。羽飾りのふわふわとした感触がくすぐったい。

 これを火花と玲に渡したのは凪だった。



「はい、これ」


 数刻前、夕陽が差し込む凪の家でのことだ。

 舞踏会への潜入準備をする火花と玲に、凪はそれを投げてよこした。


 蝉が哀しげな声で歌う中、カランと軽妙な音が室内に響く。拾い上げる二人に向かって、大きな欠伸をしながら凪は言った。



「特製の仮面だよ」


 可愛らしい羽と光り輝くガラスによって装飾されたけばけばしい仮面は、今日の舞踏会にはふさわしいのかもしれない。

 しかし、特製と言う凪の真意が分からず、火花は凪の顔を見上げた。



「君達その瞳で行ったら、すーぐバレちゃうでしょ。これをしていれば瞳の色は黒く見える。そういう魔術がかかってる」


 確かに、紅と紫の瞳の色をした参加者は目立ってしまうに違いない。

 火花は納得するが、この仮面を用意したのが一体誰なのか、少しだけ気になった。



「ねえ、一応忠告だけどさ」


 凪は笑いながら、けれどどこか真剣みを帯びた口調で言う。

 火花も玲も、彼の青く凪いだ瞳を見据えた。


「魔術の使い所を間違えないようにね」


 その声音には、なぜか後悔と願望が宿っている気がした。



「世の中なんにでも長所と短所がある。魔術師の魔力が枯渇すれば、代償を払うことになる」


 言いながら、凪は畳にごろりと横になる。ふたたび欠伸をしながら、彼は続けた。


「紅の魔術師は、視力が失われていくでしょ」


 火花は頷いた。聞いたことがあったのだ。

 だから火花は雅臣に、なるべく魔術を使って欲しくない。


「青は、精神障害を起こすのさ」

 自嘲気味に凪は言って、自身の瞳を指差した。


「紫は?」

 火花は振り返って、燕尾服姿になった玲を見る。


「青と似ているな。自分の本音が分からなくなる、と言われている」


 火花は思わず、眉間に皺を寄せた。

 厄介で、(むご)い副作用だと思った。


「必要な時以外、使うつもりはない」

 安心しろと、言外に伝える玲に火花はくすぐったさを感じた。


「他は?」

「白は身体の不調、黄色は……」



 そこで、凪は言葉を止めた。


「まあいっか。君たちには関係ないことだしね」


 その時の凪の声音は、なぜか悲しそうだった。








 さて、舞踏会に潜入した二人は小声で会話を交わす。


 もちろん視線は室内を巡らせたまま。

 一向に執事らしい使用人が見当たらないことに、火花は少し苛立ちはじめていた。


「あまりここで壁の花をしていても、怪しまれるな」

「どうする? ワルツでも踊る?」

「……踊れるのか、お前」

「馬鹿にしてる? 一応華族の令嬢ですのよ」

「そういえばそうだったな」

 火花と関わっていると、玲は定期的にその事実を忘失する。


「……まあ、舞踏会で踊ったことはないけど」

 それは、踊れないということではないのか。玲は冷たい目線を火花に送った。


「あんたこそ踊れるわけ?」

「忘れているのか、俺は王子だ」

「元ね。どうせあんただって出来て剣舞でしょ」

 玲は黙った。


「足を踏んでも許してくれる?」

「俺も踏むかもしれない」

「ありえない。踏んだら殴るから」

「言ってることおかしいだろお前」

 玲は仮面の下で苦笑した。

 慣れないダンスを踊るより、こうして火花と言い合っている方がまだマシだと内心思った。




 奏者の演奏が終わり、ワルツの音が途絶えた。


 合わせたように、大広間の奥に据えられた重厚な扉が、音を立ててゆっくりと開かれた。

 会場の参加者の視線が、一斉に扉の奥に集中する。


 数多の視線を浴びて、艶やかな声が、広間に響いた。



「みなさま、お楽しみいただけていますでしょうか」


 深い紺色のドレスを身に纏い、淑やかな所作で、女は現れた。


 絢爛な装飾の仮面を身につけてはいるが、その奥で、獰猛で危険な青い光が(うごめ)いている。



「あれが……」

 玲が呟く。


 藍川蘭子。この館の女主人だ。

 四華族・藍川家を随一の影響力を持つ家にまで発展させた、社交界の華。


 むせかえるような花の香りが広がっていく。甘ったるく、喉にまとわりつくような……



 火花は息を呑んだ。

 この匂いを知っている。


 桜の舞い散るあの日、拓海から感じた香り。間違いない。


 腹の奥から、血が沸騰し、逆流した。


 手の震えを抑えようと、火花はドレスの布を引き裂かんばかりに握りしめる。


「あの女……!」

「抑えろ」

 火花の手首を、玲は強く掴んだ。


「殺気を出しすぎだ。抑えろ」

 そう言う玲だって、杖を持つ手に力が籠っていた。

 二人は蘭子を、必死に怒りを押し殺しながら見つめ続ける。


 紅を引いた蘭子の唇が、ゆっくりと笑みを形作る。

 蘭子の背後から、幾人もの給仕たちが現れた。彼等が手にする沢山のグラスには、妖しげな、少し青みがかった空色の液体がなみなみと注がれている。


「さあ、皆様。お待ちかねのお時間でございます」


 美しく、潤いのある耽美な声。その中に、毒々しい音と空気が含まれている。

 火花と玲は、氷の刃に喉元をなぞられたような感覚を得て、身体を固くした。




 恐怖が始まる予感がする。









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