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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第三章 艶やかに蠢くもの
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4・再会と宣告

 

「ごめんください」



 帝都のはずれ、木造平屋の小さな町屋。その玄関前で、火花は立ち尽くしていた。

 陽は高く、ブラウスに袴姿の火花の影が短く地面に写っている。


 凪からと思われる手紙が黒宮邸に届けられたのは、昨日のこと。作戦会議をするから来いと、この場所と時刻を指定しただけの手紙が届いたのだ。


 瓦屋根の小さな家は、いかにも素朴な庶民の住まう家だ。帝都から東に少し離れた立地であり、似たような外観の家が周辺にたくさん集まっている。


 幾度戸を叩いても、声をかけても、中からは何の反応もない。


 場所や時間を間違えただろうか。手元の手紙や懐中時計を火花は今一度確認するが、間違いは見当たらない。困った。


 火花は天を見上げる。

 高く青い空が嘲笑うように、容赦のない強い陽の光を放っていた。




「うるっさいなあ、もう」


 すると、ガラリと板戸が、激しい音を立てて唐突に開いた。

 中から苛立ちに顔を歪めた凪が、髪を乱暴に掻きながら現れる。


「普通返事がなかったら、勝手に入るでしょう」

「……それはどこの国の常識ですか」

「あーうるさいうるさい。僕は横になるから、もう後は勝手にやって」

「体調でも悪いんですか?」

「二日酔い。わかった? いい? ほっといて」


 作戦会議のある日に、二日酔い?

 呼び出しておいて、「勝手にやって」?


 常識外の行動をとる年上の男に、心底呆れる。

 一から十まで凪が悪いはずだが、彼にそれを指摘したところで仕方がないのを、短い付き合いながらも火花は学習していた。


「ったく。なんで僕の家でやるのさ……」


 ぶつくさ言う凪の背を追うように室内に入ると、すぐに土間が広がっていた。煤けた柱や板の廊下に、人の暮らしの温もりが滲んでいる。

 奥には畳敷きの和室が広がっていた。中央にちゃぶ台があり、ひとつ湯呑みがその上に置かれている。部屋の隅には、布団が二つ畳まれていて、凪の生活を垣間見ている気分になった。


 構うなと言わんばかりに、凪は火花に背を向け、さっさと畳の上でごろりと横になる。


「(こういう大人にだけはなりたくない)」


 蔑みを含んだ目で火花は凪を見下ろすも、本人はどうせ気にも留めないのだろう。


 奥に視線を向けると、板塀で囲まれた小さな裏庭がある。畑の畝が綺麗に整えられていて、青葱や胡瓜(きゅうり)が静かに風に揺れていた。

 その畑を臨む縁側の端に、見慣れた柔らかい黒髪が揺れているのに火花は気がついて、そちらに足を向ける。



「紫苑、作戦会議って聞いたんだけど。あんたも?」

「ああ」

「……あの人、とても話ができる状態に思えないんだけど」


 同じことを玲も考えていたようで、二人で凪の広い背中を睨みつける。

 その刺すような視線に気付いていないのか、無視しているのか、凪は微動だにしない。



「水でも飲ませた方がいいか?」

「頭からかけた方が早いんじゃない」

「……あそこに湯呑みがあったぞ」

「あんた最近、冗談が通じるようになってきたね」


 火花は苦笑した。以前より、玲と話すことに緊張感がなくなってきた。きっと彼もそう感じているだろう。



 それが少しだけ、くすぐったい。







「邪魔するぞ」


 戸口から聞こえたその声に、火花の心臓が跳ねた。



 聞き慣れた、火花にとって特別な音だったから。




 板戸を遠慮なく開ける音も、間髪入れず火花の耳に届く。

 反射的に振り返って、急いで土間へ向かって、高揚感に胸を踊らせながら火花は駆けた。


「殿下!」


 第二皇子、雅臣(まさおみ)が、少し疲れを滲ませながらも、笑みを湛えてそこにいた。


 特徴的だった彼の金髪が黒く染められていたし、簡素な鼠色の浴衣姿だったから、以前と印象は少し異なっている。しかし、火花にとってそれは大した問題ではなかった。


 雅臣の声、表情、態度。それら全てが主人であることをしっかり証明している。

 実際に雅臣と離れていた時間はそこまで長くないが、火花は懐かしさに胸が熱くなった。


 駆け寄った火花の喜色満面な姿を見て、雅臣も穏やかな笑みをこぼす。

 そんな主人の変わらない様子に、火花の胸いっぱいに安堵が満ちていった。


「ご無事なんですね、本当に」

「この通り元気にしてるよ。ハナも、元気そうで何よりだ」

「意識を失っただけです。全く問題ありませんよ」


 ()()、と言い切る火花に雅臣は笑う。くしゃっと顔を崩したように笑う雅臣のその表情が、火花はとても好きだった。


「いつも通りで安心した」

「いままでどちらに? お話が、たくさんあるのです」


 どこから、何から話せば良いのやら。火花が逡巡しはじめたところで、雅臣の背後で人影が動いたことに、彼女はようやく気がついた。

 雅臣に夢中で、火花は周りがまるで見えていなかったのだ。



「それも含めて、話をしよう」

 場を支配する、空気の流れを止めるような、そんな声。


 室内に響いた声は、決して大きくはない。特別低かったり、重厚感のある声音でもない。

 けれどその一言だけで、全員の視線を集めて、捕えて、離さない。そんな音を、男は発していた。


 雅臣の後ろから、一人の男が現れる。

 その姿を見た途端、顔色を変え、火花と玲は少し慌てて居住まいを正す。

 凪だけはまだ背を向けたまま、何も反応しない。




「皇太子殿下、ご無沙汰しております」


 火花は深いお辞儀をしながらそう言った。



 皇太子――雪哉(ゆきや)は、白銀の長い髪を緩やかに三つ編みにし、簡素な浴衣を纏っていた。庶民に似せた変装であろうが、その実全く、彼の溢れ出る気品を誤魔化せていない。


「火花、久しぶりだね。よく話は聞いているよ」


 雪哉と直接話したことは数えるほどしかない。

 しかし、雅臣と血縁を同じくする兄であり、火花の兄の主人でもある皇太子は、身近な存在でもあった。


 近い存在とは言えど、雪哉の放つ不思議な威圧感に、いつも背筋を伸ばさずにはいられない。

 雅臣が次の皇帝は兄以外に考えられないとはっきり言うほど、賢く人望も備えた、非の打ち所がない人物だった。



「玲、ご苦労だった」

 雪哉のねぎらいに、玲は無言のまま、改めて深く頭を下げる。


「凪、いつまでも寝ていないで、こちらに来い」


 凪にだけは、ほんの少しあたりが強い気がする、と火花は感じた。

 背を向けたまま、ちっ、と凪は舌打ちをする。やはり寝ていたわけではなく、会話は全て聞こえていたらしい。

 およそ皇太子にとる態度とは思えないが、それでも凪は、頭を抑えながらも素直に指示に従った。




 ちゃぶ台を囲うように、全員が畳に座る。

 全員が着座したことを確認して、皇太子――雪哉は静かに口を開いた。




「結論から言おうかな。藍川家を取り潰す」


 空気が、引き締まるのを火花は感じた。

 柔和な笑みを湛えて、穏やかな口調ではあるのに、彼の中にある苛烈なものが波打っている。


 おそらく火花よりずっと深く、濃く、紅い――雪哉の瞳が強い光を放っていた。






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