4・再会と宣告
「ごめんください」
帝都のはずれ、木造平屋の小さな町屋。その玄関前で、火花は立ち尽くしていた。
陽は高く、ブラウスに袴姿の火花の影が短く地面に写っている。
凪からと思われる手紙が黒宮邸に届けられたのは、昨日のこと。作戦会議をするから来いと、この場所と時刻を指定しただけの手紙が届いたのだ。
瓦屋根の小さな家は、いかにも素朴な庶民の住まう家だ。帝都から東に少し離れた立地であり、似たような外観の家が周辺にたくさん集まっている。
幾度戸を叩いても、声をかけても、中からは何の反応もない。
場所や時間を間違えただろうか。手元の手紙や懐中時計を火花は今一度確認するが、間違いは見当たらない。困った。
火花は天を見上げる。
高く青い空が嘲笑うように、容赦のない強い陽の光を放っていた。
「うるっさいなあ、もう」
すると、ガラリと板戸が、激しい音を立てて唐突に開いた。
中から苛立ちに顔を歪めた凪が、髪を乱暴に掻きながら現れる。
「普通返事がなかったら、勝手に入るでしょう」
「……それはどこの国の常識ですか」
「あーうるさいうるさい。僕は横になるから、もう後は勝手にやって」
「体調でも悪いんですか?」
「二日酔い。わかった? いい? ほっといて」
作戦会議のある日に、二日酔い?
呼び出しておいて、「勝手にやって」?
常識外の行動をとる年上の男に、心底呆れる。
一から十まで凪が悪いはずだが、彼にそれを指摘したところで仕方がないのを、短い付き合いながらも火花は学習していた。
「ったく。なんで僕の家でやるのさ……」
ぶつくさ言う凪の背を追うように室内に入ると、すぐに土間が広がっていた。煤けた柱や板の廊下に、人の暮らしの温もりが滲んでいる。
奥には畳敷きの和室が広がっていた。中央にちゃぶ台があり、ひとつ湯呑みがその上に置かれている。部屋の隅には、布団が二つ畳まれていて、凪の生活を垣間見ている気分になった。
構うなと言わんばかりに、凪は火花に背を向け、さっさと畳の上でごろりと横になる。
「(こういう大人にだけはなりたくない)」
蔑みを含んだ目で火花は凪を見下ろすも、本人はどうせ気にも留めないのだろう。
奥に視線を向けると、板塀で囲まれた小さな裏庭がある。畑の畝が綺麗に整えられていて、青葱や胡瓜が静かに風に揺れていた。
その畑を臨む縁側の端に、見慣れた柔らかい黒髪が揺れているのに火花は気がついて、そちらに足を向ける。
「紫苑、作戦会議って聞いたんだけど。あんたも?」
「ああ」
「……あの人、とても話ができる状態に思えないんだけど」
同じことを玲も考えていたようで、二人で凪の広い背中を睨みつける。
その刺すような視線に気付いていないのか、無視しているのか、凪は微動だにしない。
「水でも飲ませた方がいいか?」
「頭からかけた方が早いんじゃない」
「……あそこに湯呑みがあったぞ」
「あんた最近、冗談が通じるようになってきたね」
火花は苦笑した。以前より、玲と話すことに緊張感がなくなってきた。きっと彼もそう感じているだろう。
それが少しだけ、くすぐったい。
「邪魔するぞ」
戸口から聞こえたその声に、火花の心臓が跳ねた。
聞き慣れた、火花にとって特別な音だったから。
板戸を遠慮なく開ける音も、間髪入れず火花の耳に届く。
反射的に振り返って、急いで土間へ向かって、高揚感に胸を踊らせながら火花は駆けた。
「殿下!」
第二皇子、雅臣が、少し疲れを滲ませながらも、笑みを湛えてそこにいた。
特徴的だった彼の金髪が黒く染められていたし、簡素な鼠色の浴衣姿だったから、以前と印象は少し異なっている。しかし、火花にとってそれは大した問題ではなかった。
雅臣の声、表情、態度。それら全てが主人であることをしっかり証明している。
実際に雅臣と離れていた時間はそこまで長くないが、火花は懐かしさに胸が熱くなった。
駆け寄った火花の喜色満面な姿を見て、雅臣も穏やかな笑みをこぼす。
そんな主人の変わらない様子に、火花の胸いっぱいに安堵が満ちていった。
「ご無事なんですね、本当に」
「この通り元気にしてるよ。ハナも、元気そうで何よりだ」
「意識を失っただけです。全く問題ありませんよ」
だけ、と言い切る火花に雅臣は笑う。くしゃっと顔を崩したように笑う雅臣のその表情が、火花はとても好きだった。
「いつも通りで安心した」
「いままでどちらに? お話が、たくさんあるのです」
どこから、何から話せば良いのやら。火花が逡巡しはじめたところで、雅臣の背後で人影が動いたことに、彼女はようやく気がついた。
雅臣に夢中で、火花は周りがまるで見えていなかったのだ。
「それも含めて、話をしよう」
場を支配する、空気の流れを止めるような、そんな声。
室内に響いた声は、決して大きくはない。特別低かったり、重厚感のある声音でもない。
けれどその一言だけで、全員の視線を集めて、捕えて、離さない。そんな音を、男は発していた。
雅臣の後ろから、一人の男が現れる。
その姿を見た途端、顔色を変え、火花と玲は少し慌てて居住まいを正す。
凪だけはまだ背を向けたまま、何も反応しない。
「皇太子殿下、ご無沙汰しております」
火花は深いお辞儀をしながらそう言った。
皇太子――雪哉は、白銀の長い髪を緩やかに三つ編みにし、簡素な浴衣を纏っていた。庶民に似せた変装であろうが、その実全く、彼の溢れ出る気品を誤魔化せていない。
「火花、久しぶりだね。よく話は聞いているよ」
雪哉と直接話したことは数えるほどしかない。
しかし、雅臣と血縁を同じくする兄であり、火花の兄の主人でもある皇太子は、身近な存在でもあった。
近い存在とは言えど、雪哉の放つ不思議な威圧感に、いつも背筋を伸ばさずにはいられない。
雅臣が次の皇帝は兄以外に考えられないとはっきり言うほど、賢く人望も備えた、非の打ち所がない人物だった。
「玲、ご苦労だった」
雪哉のねぎらいに、玲は無言のまま、改めて深く頭を下げる。
「凪、いつまでも寝ていないで、こちらに来い」
凪にだけは、ほんの少しあたりが強い気がする、と火花は感じた。
背を向けたまま、ちっ、と凪は舌打ちをする。やはり寝ていたわけではなく、会話は全て聞こえていたらしい。
およそ皇太子にとる態度とは思えないが、それでも凪は、頭を抑えながらも素直に指示に従った。
ちゃぶ台を囲うように、全員が畳に座る。
全員が着座したことを確認して、皇太子――雪哉は静かに口を開いた。
「結論から言おうかな。藍川家を取り潰す」
空気が、引き締まるのを火花は感じた。
柔和な笑みを湛えて、穏やかな口調ではあるのに、彼の中にある苛烈なものが波打っている。
おそらく火花よりずっと深く、濃く、紅い――雪哉の瞳が強い光を放っていた。




