3・枕と座布団
火花と玲は夕暮れの中、縁側での会話を続けていた。
以前よりも、玲の纏う空気が穏やかだと火花は思う。
縁側は昼の熱がまだ残り、木の感触が温かい。心地よさに身を委ねながら、火花はいつもと変わらず無表情な玲を眺めていた。
「あと一つ聞いてもいい?」
「なんだ?」
「紫の魔術ってなんなの?」
火花は残っていた素直な疑問を玲へぶつけた。
「……ああ」
玲はそういえば言い忘れていたとばかりに、澱みなく返答する。
「秘めていることを自白させる力がある。藍川維月には効かなかったが」
「なるほど」
だから、維月を掴み上げたあの時に、魔術を発動したわけだ。納得して、火花は小さく頷いた。
「あんたには、隠し事できないね」
「お前はそもそも、嘘とか隠し事が下手だろ」
「……そんなことない」
呆れたように言う玲に、少しむくれて火花は否定の言葉を口にした。
「一つ気になっていたんだが」
「ん? なに?」
「それはなんだ?」
玲は火花の頭頂部を指差した。
自室から出る前に取り損ねた、羽毛がいくつかふわふわと黒髪の上で揺れていることに、火花は今更ながら気がつく。
髪に手をやり、毟るように取り除いて確認した。手のひらの中でくるくると踊っているのが、なんとも可愛らしい。
……まさか玲に苛立って枕に八つ当たりしたなれの果て、と言うわけにもいくまい。
返答に困り、玲から視線を逸らして火花は沈黙を貫いた。
近くで、カラスが鳴いている。
「お嬢様!」
鋭い声が飛んだ。突然の大きな声に、火花は反射的に飛び上がり、声の主を探る。
廊下の端から、見知った顔の壮年の侍女が火花を見つけたらしく、足早に近づいて来た。
彼女は黒宮の侍女の中でもかなりの古株で、火花にとって第二の母のような存在である。
あっという間に縁側までたどり着いた侍女は、玲に軽く会釈を済ませると、そのまま火花へ怒りを滲ませて詰め寄る。火花が思わず、げ、と小さく声を漏らしたのを、玲は聞き逃さなかった。
「また、やりましたね!?」
「………………なんのこと? 私、知らない」
火花の視線が宙を泳いでいる。
それは無理がある。と、玲は思った。
「お嬢様に嘘は無理です。諦めてください」
溜め息混じりに、侍女が言う。
「あれほど枕を壊さないでくださいと、申し上げておりましたのに……!」
悲痛な声をあげる侍女の顔を、火花は意地でも見ようとはしなかった。
なお、侍女が今月新調する火花の枕は三つ目である。
「仕方ないじゃない。みんなだって気に入らないことがあれば枕の一つや二つや三つ投げるでしょ。ね、紫苑」
「……何の話だ?」
玲はバツが悪そうな火花を見る。しかし、その表情に焦燥はあれど、反省の色は見られなかった。
「投げません。投げたとしても破壊しません」
「だって腹が立ってたんだもの」
「いいですか、貴女はご令嬢なのです。しかもただのご令嬢ではないのですよ、四華族の! 黒宮の! ご令嬢なのですよ!」
そういえばそうだった、と玲は目が覚める心地だった。じっと火花を見ると、助けを求めるような視線で玲を見返す火花に、玲は呆れをはらんだ目線を送った。
「紫苑だって壊すよね?枕くらい」
「……壊さない」
「え、ほんとに?」
「お前……」
玲は今一度冷たい視線を火花へ送る。
しかし火花は、どこ吹く風だ。
「もう少しお淑やかに! お願いですから」
「父上や兄上に注意されたことないけど」
「あの方々も武芸にしか興味ありませんから!」
諦めているようで、でも諦めきれない侍女の声音。
玲は、この侍女に少しだけ同情した。
「ああ、椿様がご存命ならどんなに嘆かれる……いいえ、あの方も枕を破壊するお方……まさか、これは遺伝?」
侍女はぶつぶつと独り言をこぼしている。
なお、椿とは火花の亡き母、黒宮椿のことである。前皇后の侍衛として苛烈に生き抜いた女傑だった。そんな母のことを、火花は心から尊敬している。
「諦めたら? 黒宮はこういう家風なんだよ」
「家風……?」
玲は呟く。全く悪びれた様子のない火花が珍獣に思え、開いた口が塞がらない。
「いい加減にしてくださらないと、お嬢様の枕代の予算を組まなければならなくなります」
「それはいいね。豪華な着物はもういらないから、代わりに枕をたくさん買っておいて」
「そういう問題ではないだろ」
「ええ、おっしゃる通りです」
思わず口を挟んだ玲に、侍女が強く強く頷いた。
侍女がもう一歩火花へ詰め寄る。火花は彼女の勢いに押され、後ろに半歩のけぞった。
「次に壊したら、枕の代わりに座布団を丸めて寝ていただきますからね」
「えー」
火花は困ったように頬を掻く。
数秒経ってから、ぽつりと呟いた。
「……座布団って、枕より投げにくいよね」
「壊すなよ」
座布団まで壊す予定の火花に、玲は鋭い一声を浴びせる。
火花は鬼の形相の侍女から逃れようと、視線を巡らせて、ふと、玲の側の愛刀を目に留めた。
刹那、良い事を思いついたと、破顔した顔を玲へ向ける。
「紫苑、この後時間ある?」
弾んだ声。玲は驚いた。
火花が玲へここまで屈託のない笑みを向けたのは、初めてのことだったから。
「ちょっと身体、動かしていかない?」
「……ああ」
意図は十分に伝わった。
玲が静かに同意を伝えると、火花は満面の笑みを深めて侍女からするりと身をかわす。
その笑顔に、玲の心臓の奥が僅かな熱を持った。
「私たち、鍛錬してくるから!」
火花はこっちにきて、と玲に声をかけ、素早く縁側を走り出した。
「お嬢様! 話は終わってません!」
侍女の怒りの声を背中に浴びても、火花の足は止まらない。玲は侍女を哀れに思いながらも、すぐに火花の跳ねる背中を追った。
駆ける彼女の黒髪には、玲の贈った蛍の簪が飾られている。夕陽を浴びて赤く煌めくそれを見て、玲は誰にも気付かれないよう、密かに口角を緩ませるのだった。




