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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第三章 艶やかに蠢くもの
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2・夕暮れと契り

 西の空は、茜と紫が混ざり合っていた。


 黒宮の屋敷の中央には、広大な中庭が広がっている。その白砂に影が落ち、若葉の緑がやわらかく夕陽を弾いていた。

 その庭を臨む縁側に、火花は腰掛けていた。側には、薄紅の花びらを僅かに残した桜が佇む。時折風に揺られて、ひらひらと花弁が火花の足元へ舞い降りた。


 火花はここからの景色を気に入っていた。時折聞こえてくる、黒宮の兵達が鍛錬する掛け声も、耳心地が良い。



 板張りの廊下を踏みしめ、こちらへやってくる足音が一つ聞こえる。


 火花はちらりとも視線をやらない。足音の正体が、分かっていたからだ。

 先程侍女が知らせてきた来訪者の名を聞いた時は驚いたものだが、少し時間をかけて考えれば、来訪の理由は明白だった。



 きっと彼は、話をしに来てくれた。



 玲は、縁側で寛ぐ火花から少しだけ距離を置いて、何も言わず、自身も腰掛けた。

 火花はその気配を感じて、玲の方に初めて視線を向ける。

 黒いズボンに、紺色のハーフコートを纏った玲が、夕陽に照らされていた。目線を落とし、物憂げな表情を浮かばせる彼を見て、火花は沈黙を受け入れる。その静寂が、大切な言葉を選んでいるゆえだと分かったから。



「……話をしてもいいか」

「うん」


 しばらくして、静かに告げた玲に、火花は短く言葉を返した。


 肺まで届くよう、深く息を吸ったあと、玲は静かに語りはじめた。




「……俺の国は、武芸と農業が盛んな、いい国だった」


 玲の視線の先にあるのは、かつての自国の姿なのだろう。低い声の中に、懐かしさが滲んでいる。その表情が、わずかに歪む。


「ある日突然、獣達が里に下り、全てを荒らした。民を殺し、作物を荒らし、ひどい有様だった。……一つの里の話じゃない。順を追うように、次々と……」


 ぽつり、ぽつりと。こぼすように、玲は言葉を紡いだ。


「辺りの盗賊どものせいで、民は貧しくなっていた。……不安に駆られ、民は暴徒化した。獣が突然暴れ出した理由を、根拠もなく、王族の策略と決めつけて聞かなかった」


 言葉は平静を装っている。だが、膝の上に置いた拳が、かすかに震えていた。


「獣達も、民達も、様子がおかしかった。まるで操られているように、理性を失って……」


 そこで、玲は一つ、唾を飲み込んだ。努めて、平静に話を続けようとする様が、火花には逆に痛々しく映る。けれど、目を逸らしてはいけない気がして、じっとその姿を捉えつづけた。



「……父は、民達に囲まれて死んだ。直接、声を届けようと、民の前に出て」


 静かに告げる玲の表情には、明確な後悔と寂寞が浮かんでいた。


 数秒、時を置いて、玲が火花の瞳を真っ直ぐ射抜いた。そこには、強く輝く紫がある。

 火花が欲して仕方なかった、玲から火花への信頼の情が、宿っている気がした。


「理由が知りたくて、最初に獣が暴れた里山に調査に行った。そこで見つけたのが、これだ」


 玲がポケットから石を取り出す。

 火花は息を呑んだ。


 青く濁る石は、藍川の倉庫で見たものとよく似ている。

 しかし、どことなくそれより濁りが強い上に、中央にひびが入っていた。


「この石の正体は未だ分からない。……が、藍川が背後にいる。それが確信できた」


 玲は石を握りしめた。その力は強く、怒りが滲んでいる。



 夕風が、二人の間をすり抜ける。

 火花は玲の話に、何も言葉を返さなかった。彼はその痛みに、共感も同情も求めていないと、はっきり分かっていたからだ。

 けれど、語られた玲の無念が、胸の奥底に棲み始めた。そんな妙な感覚を火花は覚えた。


 それに、言葉でなくても、返すものはある。

 火花は袂から、ハンカチに包まれたガラス瓶を取り出した。


「これを見て」

 白く濁る石を、玲に差し出した。

 それを見て、玲の表情が驚きに染まる。


「拓海の部屋に隠されていた」

「っ、なんだと……!」

「あの時、拓海もまるで何かに操られてるみたいだった」


 火花は思い出す。あの時の拓海は、顔色が悪く、足元もおぼつかない様子だった。

 そして、甘ったるい不自然な香りがなぜか彼から漂っていた。


「藍川を探るしかないね」

「ああ」


 力強く頷いた玲に、火花も首を縦に振った。

 紫雲国を滅ぼした原因、拓海の死の背景。

 そのどちらもに、あの石と藍川が深く関わっている。


 操られているような不自然な行動、精神を操る強力な青の魔術、そして青く濁る石の存在。

 火花も玲も、それが意味するところに、なんとなく勘づいている。


 遠くで鶯が鳴いた。

 呼応するように、穏やかな風が二人の間を通り抜けた。

 もう残り少ない桜の花びらが、玲と火花の頭上から舞い降りる。

 二人はじっと、お互いの瞳を見た。


 紫と紅の色は、夕陽に照らされて似通って見える。


 火花は左手で拳を作り、玲に向けた。

 玲は迷うことなく、右手で拳を作る。

 二人はただ静かに、その拳を触れ合わせた。



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