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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第三章 艶やかに蠢くもの
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1・燻火と再起

第三章、開幕です。

 枕を叩きつける、間の抜けた音が部屋に弾けた。羽毛が宙に舞い、晩春の陽光を浴びて白く瞬く。


「あんの朴念仁!!」


 火花は自室のベッドの上で、恒例の枕への八つ当たりを行っていた。胸の奥に燻る熱は、あの夜の玲の沈黙を思い出すたびに、じりじりと広がっていく。



 陽は高い。暑い夏が近づいているのだろう。障子窓から溢れんばかりの光と熱が差し込んでくる。

 ぼふん、と枕が音を立てるたび、飛び散る羽毛が舞い、火花の黒髪に纏わりつく。

 わずらわしく思った火花は髪に手をやって、羽毛を取り除く。指先に、簪が触れた。


 なんとはなしに、それを髪から引き抜く。

 黒く長い髪がばさりと広がって、少しだけ火花の視界を狭めた。


 火花は簪をじっと見つめる。

 黒鉄を芯に作られているそれは、ひんやりと冷たい。蛍に見立てた琥珀が、陽の光を浴びて綺麗に光っている。


 それが、玲を連想させる。


 口を噤んだ、らしくない河越の夜の彼を思い出す。



 火花の紅い瞳が、燃えるように瞬いた。簪を握り、枕に向けて振り上げる。

 頂上に振りかぶったところで、彼女は動きをぴたりと止めた。




 火花には、簪を振り下ろすことが出来なかった。





 耳にかかっていた黒髪が一房、こぼれ落ちる。

 静かな部屋には、遠くで昼餉の用意をする侍女達の声が微かに流れるのみだ。



 火花はベッドから手を伸ばし、机に置いてある、ガラス瓶を手に取った。

 ガラスと触れ合う涼やかな音を聴きながら、中の石を二つ取り出す。

 白く濁る、拓海の遺した石。

 青く濁る、藍川が倉庫に隠していた石。

 見比べてみても、よく似ている。


 触れれば、やはり微かに魔力を感じる。

 これは一体なんなのか。

 拓海の死の真相を突き止めるためにも、この石の正体を暴かなければならない。


「拓海……」


 仇は必ず、討つ。

 業火の中、優しく笑った彼の表情が、今でも鮮明に思い出せる。


 幾つかの夜を越えても、拓海が自分の意思で、雅臣を攻撃したはずがない、と。

 それを火花は確信している。


 ……そのためにも。

 彼の協力が欲しい。


 火花はもう一度、掌中の蛍を見つめる。

 琥珀は光を浴びて燦々と、まるで生き物の様に輝いていた。


 今度は簪を、優しく握る。

 そのまま、乱れてしまった自身の黒髪を手際よく結い上げた。豊かな黒髪の中央に、蛍を据える。


 もうこの簪でなければ、上手く髪は纏まらない。









 同時刻、紫苑家の館。


 玲は自室の椅子に腰掛けていた。

 書棚から取り出した本を開き、頁を繰るものの、集中できない時間が続いている。同じ行に幾度も視線を往復させていた玲はついに、机の上へ本を手放した。


 少し開いた格子窓からは、玲の柔らかい髪を僅かに揺らす風が吹く。

 レースのカーテンはそよぎ、窓から侵入する太陽光を柔らかく変化させていた。


 碓氷屋別館、いや、藍川の倉庫に隠されていた石。

 鈍く光る、青く濁った石。


 玲にはそれに、明確な覚えがあった。

 机に置いてあるその石を、玲は摘む。綺麗な球体の、硬い感触だ。



 さて、紫の魔術には、秘め事を自白させる効力がある。

 幼い頃は使い所がないと思っていた魔術だが、国が滅びた後、玲はひどくこの力に感謝したものだった。


 核心を知る人物を見つけたら、この魔術を使えばいい。まどろっこしく口を割らせずとも、術を発動すればすぐに真実は明らかになる。

 ……そう思っていたのに。


 肝心の魔術は、不発だった。正しく発動できていたはずなのに。


 あの時維月は、「紫は青の魔術の下位互換にすぎない」と言った。

 似た系統の魔術師には、この魔術の効力は弱いのかもしれない。この力は、精神に深く関与する。青の魔術と似ている所はあるから、紫苑が藍川の分家だというのも本当かもしれない。……それは、玲にとってはどうでもいいことであるのだが。




「(無様だった)」


 玲は自分でも、あの夜の自分をそう評価している。



 藍川への怒りが滲んで、紫の魔術が効かなかったことによる動揺を隠せなかった。

 あんな無様な自分を、彼女に見られたくなかった。鈍い太刀筋を見られたくなかった。

 きっと火花なら、迷うことなく行動したのだろう。劣等感に似た感情が、玲の行動を緩慢にした。


 彼女の視線から、逃れたくてたまらなかった。

 放っておいてほしかった。ただ少しだけ、時間がほしかった。


 火花の激情を鬱陶しいと思う反面、その熱が、温かいと思う自分にも、玲は気がついていた。

 そう思う理由が、玲にはまだよく分からない。



「(俺は弱い)」


 すぐに前を向く強さ、弱さを曝け出す強さが、玲には足りない。

 だから、火花が眩しい。


 信頼されたいと憤る彼女の、その真っ直ぐさが、玲には羨ましくて仕方がない。


 一つ、深く深く息を吐く。


「(黒宮に会おう)」


 玲は摘んでいた、鈍い青の石を握りしめる。

 彼女なら、きっと迷わない。

 玲は椅子から立ち上がる。木と床の触れ合う鈍い音が部屋に響いた。

 椅子に立てかけてあった、愛刀を手に取る。そのまま、真っ直ぐ自室を後にした。



 行き先は、帝都の一等地に、大きな屋敷を構えるーー黒宮邸である。



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