10・寂寥と沈黙
業火に立ちすくむ藍川一味を置いて、三人は素早く別館を後にした。
依然として動きが緩慢な玲の腕を、火花は無理矢理掴んで引っ張る。
外に出れば、雨は止んでいた。
月明かりはまだ冴え冴えと、青白い光を発している。夜半ではあるが、迷わず歩くには十分な明るさだった。
足元はぬかるんでいたものの、三人は跳ねる泥を気にすることなく、薮の中へと突き進む。
やがて、別館の形がすっかり見えなくなったところで、玲は火花の腕を振り払った。
火花と凪が、じっと玲の瞳を見つめる。
玲はすぐに目を逸らして、唇を噛んだ。
「……少し、頭を冷やしてきます」
それだけ言うと、火花とは視線を合わせず、玲は森の中を真っ直ぐに進んで行った。
いくら月が照らしているとはいえ、木々の下は足元も悪く、視界は暗い。
「紫苑!」
火花が声をかけても、玲は振り返る気配すら見せなかった。
火花は思わず舌打ちをする。彼に対しての感情が、自分でもよく分からなかった。苛立ちと、心配と、怒りと、他にも何か含まれているような気がするが、今はとにかく、彼を追いたくてたまらなかった。
感情のまま、火花は足を動かした。
玲の背中を追い、火花は道なき山中を駆け出す。
その様子を、凪は溜め息を吐きながら見送った。
「やれやれ」
手頃な木の幹に、身体を預ける。
「これだからガキは嫌いなんだ」
呟いた声は、冷えた夜半の空気に溶けていった。
玲は予想以上に早足だった。
追いつくのに苦労した火花は息を乱し、振り向く気配のない玲の肩に手をかける。
玲は足を止めたものの、肩に触れる火花の手を、すぐに振り払った。
「あんた……大丈夫?」
凪の姿はとうに見えない。かなり森の奥深くまで来てしまったように思う。
数多の木に囲まれ、足元には雑草が鬱蒼と生い茂っている。月の光は変わらず森に遮られ、火花には玲の表情を窺い知ることができない。
火花の質問に、玲は答えなかった。
返答しない玲へ、続けて火花は言葉を紡ぐ。
「何があったの。教えて」
あの、俵に詰まった石を見て動揺した理由。あの石を知った経緯。
紫の魔術が効かなかった理由。そもそも紫の魔術の効力。何一つとして火花には分からない。
火花は再び、玲に歩み寄る。彼の表情を、少なくとも目に入れておきたかった。
「寄るな」
明確な拒絶の言葉に、火花は身を固くする。
冷たい声音。けれどその中に、恐れがあるのを火花は感じた。ほんの僅かに震える玲の声に、火花の激情が腹の底から育っていく。
「お前には関係ない」
何度聞いたか分からない、玲の得意のその言葉。
火花は頭の血管が、プツリと一つ、千切れたのを感じた。
「私には本気でやれなんて偉そうなこと言っといて……」
一年前、暑い夏の日。人に膝をつかせて、本気でやれとこの男は言った。
今なら分かる。玲は、剣術だけでは守りきれないものがあることを予期していた。
だからああ言った。持てる力の全てを使ってみせろと。
そうやって言っておいて。
「何? あの無様な太刀筋は!」
「うるさい」
「ろくに戦えもしなかったくせに……あんたは、何も話してくれない」
「……黙ってくれ」
「汽車で言ったこと忘れたの? 一緒に戦えるって、そう思ったのは私だけ?」
ああ、これが本音だ。
玲へ言葉を向けながら、火花は理解した。
彼が無様な姿を見せたことも、未熟な魔術を使う羽目になったこともどうだっていい。
ただ、玲に信じてほしかった。一緒に戦うに足る仲間だって、思ってほしかった。
でも彼は、何も話してくれない、信用なんかまるでされてない。
それが、とてつもなく、悲しい。
昨日、揺れる汽車の中で、玲の事情を知らなくてもいいと思った。
それは、嘘だ。
少なくとも今、火花は玲の信頼を強烈に欲していた。
「この……!」
火花は玲の胸を、拳で思い切り叩いた。
玲は火花の瞳を見ない。徹底して、視線を合わせることを嫌っているようだった。
火花の苛立ちが頂点に達する。その苛立ちを解消する方法を、火花は一つしか知らなかった。
「抜きなよ、今のあんたなら、余裕で叩きのめしてやれる」
「……やってみるか?」
「いい度胸。あんたなんて、今は少しも怖くない」
玲の表情は見えない。火花は昂る感情のまま、抜刀した。
玲は抜かない。その様子にも、火花の激情は増大していく。
二人の視線は交わらないまま、空気が張り詰めた。火花が半歩後ろに足を引く。踏みしめた雑草が、僅かに音を鳴らした。
「うるさいよ、君たち」
凪の心底呆れたような声が、二人の緊張を刺した。
同時に火花と玲の頭上から、大量の水が降り注ぐ。
二人の髪にも、衣服にも、靴にも、全てに勢いよく水が染み込んでいく。
多少は乾きつつあった全てが、ずぶ濡れになった。二人の周囲が沼地と化す。
火花も玲も、視界を確保するために顔を拭った。わかりきっている犯人を、二人は睨みつける。
凪はつまらなそうな顔をして、腕を組み、二人を見据えていた。
「頭は冷えたかい?」
身体まで冷えきるわ、と内心火花は毒づいた。
絶頂にあった闘争心まで火が消えてしまい、火花は刀身についた水を振り払う。
髪や服から水が滴る不恰好なさまをお互いに横目で確認する。
けれど、到底、笑う心地になどなれない。
玲への妙な心痛は、闘争心と反比例して、火花の胸を締め付けていった。
水の滴るどこか気の抜けた音だけが、森に響いていた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
次回、第二章最終話です。
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