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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第二章 碓氷屋事件
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8・潜入と発見

 

 夜の帳が降りる。

 灯籠や旅籠屋達の明かりで幻想的に彩られた町を眼下に望み、火花と玲、凪は山中にいた。


 碓氷屋の別館を目前にした、薮の中。

 腰の高さまで生える雑草は、身を隠すにはうってつけであった。腰を屈めて、三人は息を潜めている。


 別館は、山の斜面を切り拓いた中にぽつりと建てられていた。

 瓦屋根と漆喰壁に黒の格子窓、二階建てと思われる一つの家ほどの大きさの館は、月明かりに照らされている。玄関脇に『別館』と墨書きされた木札がかけられていたが、少し煤けているのを火花は確認した。中に誰かいるのだろうか、二階の格子窓から、わずかに光が漏れ出ている。


 館の入り口には、二人の見張りが欠伸を噛み殺しながら立っていた。

 夕刻、火花と玲を襲った人物と同じに見える。

 こんな夜更けに見張りを置くほど、重要な『何か』がこの内部に隠されているのだろうと、火花は緊張感に身を固くした。


「ここが、藍川の倉庫でしょうか」

「確証はないけどね。可能性は高いんじゃない」


 虫の音に紛れながら、火花と凪は小声で会話をする。玲は何も言わず、じっと目の前の館を見据えていた。


「雨、降らそうか」


 凪が唐突に言う。火花や玲が反応するより先に、凪の青い瞳が僅かに光った。

 途端、小さな雨粒が火花と玲の頬を濡らす。

 やがて虫の声がかき消されるほどの音を立て始めた雨に、火花は少し表情を歪めた。

 意地の悪い笑みを浮かべた、凪だけを綺麗に避けるように雨が降りはじめる。


 火花のブラウスと、黒袴が重くなっていく。玲のハーフコートは多少雨粒を弾いているようだったが、水が染み込むまでに時間はかからないだろう。

 思わずじろり、と凪を睨んだ二人をせせら笑うように、凪は言った。


「二人は仲良く濡れててくれる? 僕、他人の分まで魔力を使いたくないの」


 火花には、凪が雨を降らせた意図は分かっていた。

 この雨で、足音や足跡を消してしまうつもりなのだ。それは分かるが、自分だけ雨に濡れないよう操作するのは、どうにも癪にさわる。



「ちょうどいいや。君たち、青の魔術についてどこまで知ってる?」

 濡れ鼠の二人を横目に、凪が問う。


「水を自在に扱える、と」

 苛立ったまま火花が答えると、凪は小さく笑った。

「それはその通り」

 返答は予想通りだったようで、小さく首を縦に振ったあと、笑いながら彼は続けた。


「表向きはね。でもね、強力な青の魔術師は、もっと、恐ろしいことができる」


 凪は唐突に立ち上がって、真っ直ぐに右手を伸ばす。その先には、突然の雨に天を睨みつけている見張りの二人がいた。

 凪の瞳が、怪しく揺らめく。


 突如、二人の様子に異変が起きた。

 頭を抱え、膝から崩れ落ちる。濡れて泥まみれになった地面に構うことなく、額を地面に擦り付け始めたのだ。よく聞けば、うめき声を上げながら、苦しそうに悶えている。


「彼らには幻覚を見てもらってる。これから館に入る人間のことなんて記憶しちゃいない」


 にこにこと笑いながら告げる凪に、火花は背筋が凍った。学院でも魔術の授業はあった。けれど、そんな話は聞いたことがない。……おそろしい、と思う。

 ちらりと横目に、隣の玲を見た。

 玲は無表情のまま、見張りの様子を見据えている。


「(知っていたのか)」

 火花はその表情を見て確信する。この男は、自分よりも遥かに、魔術に詳しいのだろう。


「応用すれば色々なことができる。思念を増幅させたり、人の感情を操ったり」

 思わず火花は顔を歪める。いくらでも、悪用ができそうな魔術ではないか。

 青の魔術と言えば藍川のお家芸だ。凪は深い青色の瞳ではあるが、藍川の連中も非常に濃い青色を瞳に宿している。彼らもきっと、凪と同じような魔術を使えるはずだ。


「要するに、強力な青の魔術は精神を操ることができる、そういうこと」

 どこか吐き捨てるように凪は言う。その声音は、まるで自身の魔術を嫌っているかのようだ。笑顔を貼り付けたまま言う彼の心情が、火花にはさっぱり分からない。


「まあ、君達にはどうせ効かないだろうから、心配しなくていいけど」

「それは……どういう意味ですか?」

 火花は思わず凪へ問う。しかし、凪は火花へ視線を返すのみで、答えようとはしなかった。


「さて、今はこれくらいにしておこうか」

 凪は両の手のひらを音を立てて合わせると、ずぶ濡れの二人へ向き直る。

 再び、性格の悪い笑みを深めて、ねっとりとした声で告げた。


「これだけ講義してあげたんだ、働いてくれるよね、お二人さん?」


 それだけ言った後、その場から動く様子のない凪に、火花と玲は深い深い溜め息をついた。





 雨はまだ、勢いを弱めることなく降り続いている。

 火花と玲は立ち上がった。水を吸って重くなった袴が煩わしくて仕方なくて、火花は苛立つ。隣の玲も同じことを思ったようで、いつもの無表情が少しだけ歪んでいる。


「いってらっしゃーい」

 凪の楽しそうな声は、雨音に溶けていった。







 未だに地を這う見張りの真横を通り抜け、火花と玲は格子戸を静かに開け放った。


 二人は、別館に侵入した。


 内部は静かな二階建ての日本家屋だ。もちろん本館ほど大きくはないが、元々客室として使われていたのは事実のようで、板張りの廊下の奥には、客室へと続くだろう引き戸が見える。

 玄関から艶の抜けた踏み板の階段が、上階に向かって伸びている。

 二人は顔を見合わせた。


 外から見て灯りが漏れていたのは二階だ。


 二階の様子を確認するため、玲は軋む階段を慎重に登って行った。火花は付いて行こうかとも思ったが、一瞬逡巡して、やめた。


「(きっと、紫苑ならうまくやる)」


 それよりも、一階を先に探っておこう。そう結論付けて、火花は玲の背中を見送った。



 火花は、ひんやりと冷たい空気の漂う狭い廊下を進んだ。

 すぐに引き戸へ辿り着き、聞き耳を立ててみたが、中に人の気配はない。

 静かにその戸を引くと、畳の客室が広がっていた。


 欄間や障子越しに、月光が優しく室内を照らしている。洋風の机や椅子が置かれ、客室としての名残が残っているが、埃っぽい空気が漂う空間だった。


 火花が静けさに耳を澄ませながら室内を見回していると、その場違いなものに、すぐに気が付いた。


 畳敷の上に、妙なものがある。

 俵だ。三十は積まれている。

 火花の身長と同じくらいの高さに積まれたそれに、猛烈な違和感が湧き上がる。


 火花は室内に誰も居ないことを確認して、その俵に近付いた。

 俵だけは、この室内で埃をかぶっていないことに気がつく。

 虫が羽ばたくような胸騒ぎが、火花の心臓を揺らした。


 一つ呼吸をする。

 迷わず、火花は鯉口を切った。愛刀を抜き放ち、俵のうちの一つを、音を立てずに斬る。


 中から零れ落ちて来たものは、米ではなかった。

 月明かりに淡く照らされた、キャンディのような、わずかに濁る、青みがかった石。



 火花は目を見開いた。

 確かに、色は異なる。

 けれどこれと同じ石を、火花は知っていた。


「これは一体、なんなの?」


 火花はその石を手に取る。やはり想像した通り、それには微弱な魔力が宿っていた。

 拓海の家に隠されていたものと、似た石。それが意味するところに、火花は眉間に皺を寄せた。

 もしここが藍川の倉庫なのだとしたら。

 拓海と藍川の間に、何らかの繋がりがあるかもしれないということだ。

 そんなことが、あるはずがない。


 考えを巡らせても、結局答えは見えない。

 火花はわずかな時間、そこに立ち尽くしていた。




 突如、階上から、大きな音がした。激しい音に、館全体が揺れたような感覚に陥る。

 刀同士が斬り結ぶ金属音と、男達の怒声が響き渡った。


 玲が戦っている。

 火花は慌てて、掌中の石を握りしめたまま、音の方へ走り出した。





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