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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第二章 碓氷屋事件
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5・蛍を結ぶ簪

 河越(かわごえ)は、古くから湧き出る温泉を観光資源として発展した町である。

 町の入り口には、派手な鈍色の門。それを潜って、火花と玲の鼻をついたのは、硫黄と屋台の匂いだった。


 町の中央に流れる大きな川に沿うように石畳の道が整備され、脇にはずらりと店が並んでいた。

 路面店もちらほらと店を構えており、灯篭(とうろう)が灯り始めた町は、賑わいを見せていた。


 遠く続く石畳の一番奥には、一際立派な木造の建物が見える。

 高台に聳える、黒塗りの格子と白壁。堂々たる瓦屋根は、まるでこの町を見守っているかのようだ。


 それが、二人が目指す碓氷屋(うすいや)。この町で最も老舗の旅籠屋だ。



 凪からはその碓氷屋で合流するよう指示を受けていた。

 二人は会話なく、石畳を進む。


 玲は、少しだけ先を歩く火花の揺れる黒髪を眺めていた。

 彼女が振り返りそうな気配はない。


 火花は、元気そうに見えた。つい先日まで意識不明だったとは思えない程に。

 深い紅に変化した瞳に困惑しながら、迷いなく汽車へやってきた。


 沈みかけた太陽が眩しい。

 目の前の彼女の背を、目を細めて追った。


 汽車の中で、目的をついぞ話さない玲に、火花は落胆していた。

 そんな彼女に僅かの罪悪感と、そして仄暗い喜びを抱く己に、玲は心底驚いた。


 二人の間には、お互いへの苛立ちが募りあって、大きくうねる淀んだ空気が流れていた。

 しかし、それが形を変え始めたことに、玲はなんとなく気がついている。


 玲は眩しさに、瞬きを繰り返す。

 彼女はただ、前を向いている。大切な友人や秘密を失った直後でも、その瞳に揺るぎはなかった。

 むしろ、その輝きが増している。

 その強さは、自分こそが求めていたものだった。


 鮮やかな羨望と、濁った劣等感。玲の胸中では、その二つが入り混じっていた。


 玲は、とある店の前を通りかかった。

 軒先には暖簾が揺れ、鉄と油のかすかな匂いが漂っている。

 棚には櫛や(かんざし)が所狭しと並べられ、夕陽を受けたそれらが鈍く光っていた。


 その群れの中で、一つの簪だけが妙に目に残った。

 黒鉄の細身の軸で、芯が真っ直ぐ通っている。先端には小さな琥珀がはめ込まれ、蛍を象った彫りが、夕暮れの赤に染まっていた。


 川沿いの風がそっと髪を揺らし、遠くで商人が威勢よく声を張り上げた。

 火花はまだ、歩き続けている。

 玲は、なぜかその簪を指先で掬い上げていた。硬い感触が、黒皮の手袋越しに、手のひらに伝わる。


 似合うだろうな。


 揺れる黒髪と、彼女の紅の瞳を思い出して、そう思った。

 決して華美でない。素朴で、無骨な印象すらある。

 けれど、非常に実用的なそれが、彼女の髪に映えると思った。

 値を告げる店主に小銭を渡し、玲は火花の背を追って小走りに石畳を進む。


「黒宮」


 追いついて、玲は火花を呼ぶ。

 黒髪を鬱陶しそうに抑えながら、火花は振り返った。



「やる」


 玲は簪を、まっすぐ火花に差し出した。

 少し走ったせいか、心臓の鼓動が耳に届いていた。


「あんた、これ……」

 火花はそう言って、驚いたのか瞬きを繰り返した。


 そのままじっと火花は、玲の掌中の簪を見る。

 何か考え込んでいる様子だったが、ややあって、彼女は柔く笑んだ。

 どうやら、気に入ったらしい。


「……ありがとう」


 火花のまっすぐな視線と言葉が、玲を射抜いた。

 玲には、己の行動の理由が分からなかった。彼女の髪紐を失った責任の一端は、確かに玲にある。

 ただ、きっと罪悪感だけではない。衝動、としか説明がつかないのだ。


 およそ自分らしくない。

 しかし火花の笑顔を前にして、理由を探るのを、玲はやめた。



 簪を受け取った火花は、その場で黒髪を一つにまとめあげる。

 そして簪を黒髪の中央に挿し、彼女は清々しい笑みを溢した。


 似合っている、とは、言葉にして告げなかった。





 石畳の道を、再び二人は歩く。

 道の最奥に佇む碓氷屋は、近づくにつれその存在感をどんどん増していった。


 歩いていると、二人はすぐに気付いた。

 何者かに、尾けられている。足音と物騒な気配が、背後から漂っていた。


 気づいたが、二人は速度を変えず歩き続ける。



「この先に、少し開けた場所がある」


 玲にだけ聞こえるよう、ぼそりと火花が呟く。

 大通りから一本入った道の奥には小さな祠があり、そのあたりは少しだけ場所が開いている。そこまで行けば、多少の乱闘騒ぎを起こしても問題はなさそうだと言うのだ。


 火花は玲より半歩前に出て、先導するように歩き始める。


「そこまで行こう」

「わかった」


 玲は素直に頷いて、火花の背を追う形になった。


 火花の言う通り、祠の周辺は周囲を木々に囲まれた、広い空間となっていた。

 二人がその中央あたりで足を止めるとすぐに、背後の足音が大きくなる。


 最早隠そうともしていない騒がしい音の主を、火花は振り返って睨みつけた。



「よぉ、お二人さん」


 すぐに下卑た声がした。四人の男がぞろぞろと現れて、火花と玲が逃げられないよう、道を塞ぐように立つ。


「お熱いねえ」


 四人のうちどの男が発したのかも分からない。その声に、火花は嘲笑した。

 いかにもなゴロツキの声音である。

 金だけでいいからよこしな、と威勢のいいその声が予想通りの内容で、面白かったらしい。


「半分まかせた」


 玲がぽつりと言う。

 火花が唇の端を緩め、帯に差した刀をぬらりと抜いた。


 好戦的な男たちを前にして楽しそうな火花を横目に、玲も少し遅れて刀を抜く。

 火花の黒袴と、玲の紺色のハーフコートが翻る。

 臆せず臨戦態勢を取る二人を見て、少し面食らった男たちだったが、それでも軽薄な姿勢は崩さなかった。



 数秒の沈黙が流れる。


 四人のうちの一人が、玲に斬りかかった。

 それを皮切りに、火花と玲はお互いの背を合わせた。

 自らの視界に入る敵のみを、注視するためだ。


 玲は斬りかかってきた一人の小刀を、刀で受ける。

 そのまま、腹に強烈な蹴りをお見舞いした。


「がっ…!」


 蹴られた男の悲鳴じみた声。

 それと同時に、火花は眼前の男へ向かい跳躍した。


 虚を突かれた男の狼狽を見ながら、火花は刀を素早く振り上げる。

 男の握る小刀が弾け飛ぶ。

 そのまま火花は身体を回転させ、肘を男の横っ面に叩き込んだ。



 二人が倒れて、残りが二人。


 そのうちの一人が、及び腰になったのを、玲は見逃さなかった。

 瞬時に距離を詰める。

 直接刀を持つ男の手をむんずと掴み、地面へと力強く引いた。

 男が体勢を崩す。

 玲は、その背中を踏みつけた。


「うっ……あ」

 男が、干からびた蛙のような体勢で、地面に伏した。


 火花は最後の一人をじろりと見据える。


「おい!」


 流石に分が悪いと悟ったらしい。

 男が大きくもどこか情けない声をあげると、地面に倒れた三人も各々なんとか立ち上がる。



 もとより、彼らを追いかけるつもりはない。


 これ以上二人が追撃する気がない事を悟ったのか、それ以上は何も言わず、素早くその場から逃げ去った。



「物騒な町」


 火花が呟き、刀を鞘へと収めている。

 彼女と共に戦いへ身を投じたのは初めてではあったものの、玲は共闘に心地良さすら感じていた。


 火花の簪の蛍が、赤い陽の光を浴びて煌めく。

 激しい戦闘にも、火花の黒髪は乱れていない。


 二人は目線を合わせると、再び、碓氷屋へ向かって歩き始めるのだった。


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