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紅華四季恋浪漫譚 蛍夏の章  作者: 浅葱ハル
第二章 碓氷屋事件
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4・震動と信頼

 煤けた石炭の匂いが鼻をつく昼下がり、火花は紅霞駅(こうかえき)から汽車に乗り込んだ。


 カタン、コトンと車輪がレールを刻むたび、低い響きが車内に渡る。白いブラウスに漆黒の袴を纏い、クロシェ帽を目深に被った火花は、列車内を闊歩した。

 時折駅舎の影が、薄曇りのガラスにひとつまたひとつと流れていく。

 昼なのに列車内は薄暗く、旅人たちの笑い声も抑えめだ。


 ショートブーツを鳴らしながら歩いていると、火花は見知った顔を見つけ、立ち止まる。

『相方』に見当がついていたわけではない。

 けれど、不思議と驚きはなく、一つ息を吸い込んで、深緑の布張り座席に腰を下ろした。


 火花の正面から、静かに本を閉じる音がした。

 ――顔を上げたその先で、薄手のハーフコート姿の玲が、真っ直ぐにこちらを射抜いていた。


 先に口を開いたのは、火花の方だった。

「あんたが、私を誘ったの」

「……そうだ」


 火花は自身の黒い袴をぎゅっと握る。(よど)みない、強い紫が待ち構えている。

 湧き起こった疑念を、火花は直接玲にぶつけた。


「どうして?」

「……要らなかったか?」

「答えになってない」

「お前には必要だと思ったから」


 玲は無表情のまま、変わらない。

 冷たい紫の瞳の奥に、確かな熱を感じた火花は、目線を落とす。喉の奥がひどく乾いていたが、ゆっくりと、大切に、言葉を紡いだ。



「ありがとう」


 静かに告げた。玲は、何も答えない。

 窓際に吊されたランプがゆらりと揺れ、木製の座席の面に影を落とす。その影を、玲はただ眺めていた。




 しばらく沈黙が続いて、それを破ったのは、今度は玲だった。


「身体はなんともないのか」

「なんともない。……むしろ」

 火花は両手を開き、じっとその掌を見つめた。

 感じる。魔力が、指先にまで行き渡り、身体の中を豊かに巡っていること。

 その感覚がとても心地良く、魔力がかつてないほど、身体に馴染んでいること。


 火花はクロシェ帽を、ゆっくりと脱いだ。

 目の前の玲を、じっと見つめる。


「ね、紅いでしょう」


 自嘲の籠った笑みを浮かべる。

 あれだけ玲に対して、魔力には頼らないと宣言していたのに。魔術など使わなくても、殿下だけでなく、この手に届く範囲の物は守り切れると信じていた。

 結果、このザマだ。


 親友を失い、漆黒の瞳も失った。


 この男はどう思うのだろう。

 憐れむのか、愚かしいと思うのか。

 火花は妙に、玲の胸中が気になった。

 同時に知るのが、怖くもあった。



「紅いな」

 玲は変わらぬ表情でそう言った。

 火花が畏れていた感情は、その表情からは読み取れない。




「強い色だ」



 小さく呟いた玲のその一言が、火花には聞こえてしまった。


 心臓が震えた。


 汽車の揺れと調和して、火花を大きく揺らす。

 身体がじんわりと温かくなる感覚が、心地よい。

 けれど同時に、この紫の瞳に射抜かれ続けるのが、ひどくむず痒く感じた。



「デッキへいく」

「おい」


 火花は素早く立ち上がり、クロシェ帽を再び被った。

 燕脂色(えんじいろ)の帯へ刀を差し、止める玲の視線から逃れるように、そそくさと歩き出す。





 火花がデッキへの戸を開けると、日差しが眩しく出迎えた。走る車輪の音が、ひときわ大きく聞こえてくる。

 そこには誰もいなかった。

 煤混じりの風が強く吹き荒れ、火花の髪を乱していく。

 列車は田園地帯を走っているようで、見渡す限り豊かな水田が広がっていた。


 後を追ってくる、玲の革靴の音がすぐに聞こえた。

 火花は紫の瞳と、再び相対する決意をし、熱された欄干に肘をつく。振り返ると、やはり玲の姿がある。

 彼は眩しそうに、少し顔を歪めていた。


 そのままじっと、目線を合わせる。

 二人の間に、しばらく会話は無かった。


「(こいつ、追いかけてきたくせに、何を黙っているんだ……?)」

 火花は玲に微かな苛立ちを覚える。それをきっかけに、いつもの調子が戻った気がした。

 この男には、苛立ちと、奥底に僅かな安心感を抱いているのがちょうど良い。


「あんたの目的は何?」

「……。」

「答えて。この秘密主義者」

「お前には」

「関係ないって? 私はもうあんたに全てを明かしてる。あんたも少しは教えてよ」


 強めの口調で告げる。

 それでも、玲は何も言わない。

 僅かに表情を曇らせていたから、きっと話すかどうか迷っているのだろう。

 暫く火花は待ってみたが、玲が口を開くことはなかった。


 微かな落胆が、胸にぽとりと落ちる。


「分かった、もう無理に聞かない」


 分かっている。付き合いは決して長くない。交わした会話も多くない。


 それでも、数度、本気で刀を交えた。

 そして彼は、決して安全ではない旅路へ誘ってくれた。

 それはきっと、自分に対する多少の情と、信頼があったからだと、そう思ったのは、自惚(うぬぼ)れだったのだろうか。


「待て」


 再び玲の元から逃げようとする火花の腕を、玲は掴んだ。

 その時、ひときわ強い風が吹く。


「あ」


 突風に、火花のクロシェ帽が巻き上げられていく。

 火花は咄嗟に手を伸ばしたが、玲に掴まれた腕は動かず、指先は空を掻くばかりだった。


 同時に、長い黒髪を結んでいた髪紐もひゅるりと逃げていく。

 舞い上がった黒い紐は、夏の陽光にきらりと揺れて、遥か彼方の青空へ吸い込まれていった。


 火花の束ねていた黒髪が顔に纏わりつく。

 視界すら遮られて、火花は思わず顔を歪めた。


「すまない」


 静かな謝罪が、玲の口をついて出る。

 火花は思わず玲を睨むが、彼に悪気がないことは分かっている。

 嘆息し、暴れる髪を粗雑に押さえつけた。


「いい。適当に結んでいた私が悪い。……でも、邪魔だな」


 ふう、と火花は息を吐く。

 火花はもともと長い髪を鬱陶しく思っていた。しかし、仮にも四華族の令嬢である。

 出席しなければいけない舞踏会や社交の場で、短髪では目立ってしまう。

 ならばいっそ、と束ねられる長さに伸ばしているのだ。


 玲は暴れる髪に苦心する火花を見据え、そして、唐突に告げた。


「俺は、皇太子殿下の命で動いている」


 火花は玲の言葉を受けて、思考を巡らせる。

 皇太子と懇意にしているということだろうか。


「つまり、あの凪とかいう男と同じってこと?」

「……。」


 また黙る。どうやら凪とは、全く同じ目的で動いているわけではないらしいと火花は察して、再び質問しようと口を開いてから、やめた。


 玲はどうやら、言葉を選んでいる。

 今必要なことは、きっと、彼の目的を探ることじゃない。


「あんたに、背中を預けていいってことね?」

「ああ」


 今度は短く、はっきりと肯定する玲に、火花は笑った。


「それだけ聞ければ、今は充分」


 話せないこと、話したくないことが、この男にはたくさんある。

 この無表情で無口で言葉足らずで不器用な男が、少しでも、寄り添おうとした。

 その事実に、火花は満足しようとした。


「あんたのことは気に入らないけど、腕は信用してるから」

「俺もだ」


 その返答も、心底気に入らない。

 気に入らないから、火花は笑った。



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