第43話 四国の片隅で 2
新幹線はさすがに速い。
むしろバスが長かったが、それでも昼過ぎには着いた。
久しぶりの対面は、父子、お互いにどこかしら照れる。
「意外と近かったよ、それに思った以上に都会だった」
「ははは。特別なモノは何一つ揃わないが、普通のモノならなんでもあるぞ」
「ごめん。それ、意味わかんない」
「まあ、住めば都ってヤツだ」
父親が運転してきたのは中古の軽。ただし4WDなのが、なるほどと思わせる。
「ああ、この車か? 山間に入ってくなら、コイツに限るんだ。これ以上デカいと道を踏み外すからな」
「え?」
「あぁ、心配するな、落ちた時はジッとして助けを呼ぶと、みんなで道まで引き上げてくれる」
「もう、経験してるんだ?」
「今年は、まだやってないぞ。それに大学周りは、ほら、こんな感じだ」
いったいどんな道なんだと驚きつつも、さすがに大学のまわりは「ちゃんとした田舎」だった。学生向けと思える店もチラホラあって、これなら何とかやっていけそうな気がした。
驚いたことに、構内の見学も父親が予約してくれていて、卒業間近だという女子学生の案内まで付けてくれた。至れり尽くせりというやつだ。
下にも置かぬもてなしぶりで見学を終えることができた祐太は、いささかの驚きを隠せない。いくら東京から来たとは言え、ここまでしてくれるものだろうか?
狐につままれたとは、こんな感じだろう。
そんな息子に父親は帰りの車内で秘密を明かした。
「産学協同って言うヤツさ。大学と地元の企業が一体となって地元を盛り上げなくっちゃいけない。ウチの村は、そのモデルケースになるみたいでね」
「研究に来るってわけ?」
「先生だけじゃないぞ。インターンシップや見学で大勢の学生さんが来る。けっこうウチの村を気に入ってくれる人もいてね。彼女もそのひとりで、実習に来てすごく興味を持ってくれたんだよ」
「えー だから父さんのことをやたらと聞いてきたんだ?」
親切に細かいところまで説明してくれる合間に「古川収入役の人となり」について質問攻めだった。
「ははは。彼女は優秀だぞ。県内の農家の娘だが、なんとウチの村が作る会社の初の大卒社員になるんだからな」
「え? そんな人に頼むなんて公私混同とかじゃ……」
就職を控えた学生を息子の案内役に使うなんて、父親が最も嫌いそうなやり方だ。
「まだ、社員じゃないしな。それに狭い村で公と私を分けるなんて、できないことの方が多いんだぞ」
祐太は、その一言にさらに驚いた。生粋の公務員とでも言うべき父親は公私をキッチリ分けないと気が済まないはずだったのに。
「なんだ、驚いてるのか? まあ、確かに変わったよ。自分でもそう思う。要するに、村のみんなの大切なモノを守るために、自分のこだわりなんて捨てたのさ」
「そうなんだ」
収入役のための村営住宅…… という名の、みるからに古びた一軒家に着くまで、みちみち父親がやってきたことを聞かされた。
自分の父親が、自分の見えないところで、そんなことをやってきたのかと驚かされることばかりだった。
「まあ、そういうわけで、父さんはすっかり、この村のやり方っていうか、この村の人達に愛着を持てたんだよ。だから、今は、こういうのもありになった」
「こういうの?」
「ま、すぐわかる。あ、あとな、さっきの話だが、今は村の人達が幸せな笑顔になってほしいのが最優先なんだ。そのためなら自分が何かにこだわるなんて、ホントにちっぽけなことだって思えたから、もう、何でもできるぞ。こだわるよりも、実際に話してみるとなんとかなるってなことはいくらでもあるからな」
心から楽しそうに笑う父親は、静香のことに一言も触れなかったのは事実だ。
しかし、村でやってきたこと、出会った人達のこと、やろうとしていること。
楽しそうに話してくれるのは、自分を気遣ってのことなんだと理解できるほどには祐太も大人になっている。
「よし。到着と」
平屋の、作りだけは大きい古びた家だ。
カラリと戸を開けて入った瞬間だった。
パチンと電気が付いて「歓迎! ゆーたくーん!」という雄叫びのようなモノを確かに聞いた。
パン、パン、パン
クラッカーが鳴った。
「え? え? え? え?」
いったい、何が起きた?
「いらっしゃーい。あなたのお父さまが救った村へようこそ!」
若い女性に、いきなりハグされた。
「あの、えっと」
瞬間的に、自分とさして年齢が変わらないと思える女性だとわかった。いきなりのスキンシップに仰天だ。そのやわらかな肩越しに、十数人のジジババ、オッサン、オバちゃんが拍手している。
さらに、すぐ目の前にはふたりの筋肉男が、抱きつくタイミングをうかがっているではないか。
「ははは。みんな、これはやり過ぎでは?」
苦笑いしている父親。
少しは事情を知っていたらしいが、思っていた以上だったのだろう。そもそも家主が留守の間に、これだけの人が待ち構えていること自体が東京では考えられない。
「えーんだよ! ホントは、みんな来たがったけど、このウチじゃ入りきらんきに。ワシらが代表じゃけん」
「そうよ。あ、来られない人も、料理だけはって持ってきてるけん」
「あ、あの」
ようやく離れてくれた女性。やっぱり祐太と年が変わらない感じだ。
「私は石田紗奈って言います。お父さまにお世話になってる部下です。よろしくね、祐太君」
「あ、父がお世話になってます」
微かな違和感の正体を考える前に、グッと部屋に引き入れられてしまった。
「ほら、そんな硬い挨拶は抜きにして。入って入って。あ! ステイ! あんた達はステイよ! あなたたちが抱きついたら潰れちゃうでしょ!」
紗奈の厳しい一言で筋肉男達は、よく躾けられた柴犬のような表情でシュンとしたが、すぐに切り替えて「じゃ、こいつで!」とコップを持ち出したのである。
「さ、今日は父君も特別にOKじゃゆーとるきに」
透明な「何か」をトクトクトクと注がれる。
「村長! 準備はよかよ」
「そっか。よし、乾杯じゃ!」
おー
といつの間にか全員がコップを持っていた。父親も、紗奈から注がれたコップを差し上げる。
「カン、パーイ!」
「カンパイ」
「カンパイじゃぁ」
「よーこそぉ、黒山村へ」
文字通りの「乾杯」だった
祐太は口を付けただけで咳き込んでしまうのを、みんながニコニコと見守りながら、次々と空になったコップをこれ見よがしに差し上げるのだ。
この村の歓迎の仕方なのだろう。
そこから、ほんとうにわけのわからない騒乱に巻き込まれた。かわりばんこで自己紹介を受け、そのついでのように酒を注がれる。
部屋の半分ほどを占める巨大なお膳には、溢れるほどの料理が載り、ジジババはかわりばんこに、あれを喰え、これを食べろと勧められる。
合間に「この村は治外法権じゃけ」とわけが分からぬうちに、またしてもオバさん達から渡されたコップに次々と注がれるのは焼酎に地酒である。いや、他にも酒の類いはあったのだろうが、覚えていられたのはその程度だった。
腹一杯でも、さらに「これもあったぁ」と新たな料理が出てきて食べさせられる。
都会っ子の祐太からしたら、おそろしく「おしつけ」がましい歓迎の宴であったが、不思議と不快感は少しもなかった。
むしろ、温かいものが心の中に生まれていたのだ。
それは、おそらく、全員が「この人の息子だから」と歓迎してくれている気持ちが伝わってきたからだ。父親が、周りから受けている感謝をナマで見て、誇りに思えない息子はいないだろう。
いや、それ以上に、父親は見事に、この村の人達と溶け込んでいる姿が新鮮だったのだ。
「お父さんのおかげで村が救われたんだ」
村長はそう言った。しかし、そんな言葉がなくても、不器用な、それでいて心からの笑顔を浮かべているこの人達を見れば、祐太にだって伝わってくるのだ。
『父さんは、この人達が笑顔になれる村を本当に作り出したんだ』
すぐ横に座った父親は、誰かに話しかけられるたびに大声で笑っていた。家で見たことのない姿だった。
ついさっきハグしてくれたお姉さんは、父親と挟むように座って何かと世話を焼いてくれた。途中からは無理に差し出される杯を「代わりに飲む係」にすっかり収まっている。
祐太が形だけ口を付けると、そのコップを奪い取るようにして代わりに飲み干してくれるのだ。
『口を付けちゃってるのに。気にしないで飲んでくれるんだ?』
いくらなんでも、これだけ度重なると祐太の方が恐縮してしまうが「祐太君が遠慮する事なんてないのよ。任せとき」と、グイグイと飲み干している。
「すみません。口を付けちゃったのに」
「いーの。私が勝手にやってるんだし。まかせといてぇよ、本気じゃけん」
年齢は大して変わらないはずなのに、なぜか祐太の世話を焼きたがる。
そこに男女のニオイはなくて、むしろ「世話を焼く嬉しさ」ばかりが伝わる不思議な感じのする人だ。
『なんか、良い人なんだな。それに、他の人達も、すっごく喜んでくれてる』
家がひっくり返るような大騒ぎが、なぜか心地よかった。ささくれた祐太の心に、黒山村の人達の優しさが染み通ったのかもしれない。
慣れぬ酒に、たらふくの手料理。長旅の後。
そして疲れ切っている心。
祐太は、いつの間にか眠りに就いていた。
気付けば、布団に寝かされていた。覚えている大騒ぎなどウソのようにシーンと静まりかえっている。スマホを見れば、既に三時だ。
父親も寝ているはずだ。
「水……」
いや、その前にトイレに行かないと。
まっくらな家の中をスマホのライトをつけて移動した。トイレの場所だけは確かめておいて良かった。
寝直す前に、せめて顔だけでも洗っておこうと洗面所の灯りをつけたときだった。
鏡の前で発見したのである。
「え? これって」
化粧水に乳液のビン。他にもチラホラと化粧品がある。
一人暮らしの父親が使うはずのないもの。
あきらかに女性の痕跡だ。つい最近開けたらしい。新品のように見えても、ちゃんと使いかけになっている。目の前のモノが伝えてくるのは、父と誰かが、最近になって一緒に暮らし始めたのだという雰囲気だった。
瞬間、思い浮かんだのは「あの人」の顔だった。
『石田さんって言ったっけ?』
いるとか、いないではなくて、祐太の思考は「誰」ということにのみ向かった。
瞬間、母親の顔が浮かんだのは事実だ。しかし、ついさっきまでの温かさのおかげなのだろうか。不思議と父親が「裏切った」とは思えなかった。
むしろ祐太の口元は緩んだのだ。
「やるじゃん。父さん」
明日、帰る前に、あの人と連絡先くらいは交換しておくかと、ひとつ伸びをして、黒山村の夜を過ごしたのである。
本作品は未成年者の飲酒を奨励するものではありません。
しかし、日本では未成年のウチから飲酒することが慣習化している地域がいまだに、たくさんあるのも事実です。
また、作者には四国・徳島県の風習、風土を貶める意図は全くありませんので、ご了承ください。