第39話 徳島へ
神の視点で眺めていたら、それはいっそ喜劇だったかもしれない。
翌日、ふたりとも熱を出していた。
部屋着のまま、数時間も公園のベンチで泣いていたのだ。風邪も引くだろう。
一方、祐太は、それを心配して遠くから見守っていた。決別の言葉を口にしたとは言え、ひとりで泣いているのを放っておくわけにいかなかったのだ。
つまりは、とっぷりと日が暮れるまで見守っていた祐太も、身体が冷え切ってしまったのである。
まる二日寝込んだ。
心配した美紀さんが顔を出してくれたが、おそらく静香から話を聞いているのだろう。必要以上に話しかけることもなく、ただ身体の心配だけをしてくれた。
ありがたかった。
フミ高では、3学期になった瞬間、全員に最低一通の調査書が自動的に発行されている。
祐太も、始業式に受け取っていたものを使って、リサーチ返却を受けたその脚で願書を出した。
受験先は徳島大にしてあった。リサーチを見た限りでは、合格ラインに届いているはずだ。
ここに至るまでの己の運を思うと「ラッキーは起こらないだろう」と旧帝大系は諦めたゆえの受験先。
『どのみち、この家も無くなっちまうわけだしな』
あくまでも官舎であるから、父親が「出向」のカタチをやめる年度末、つまりは、この3月末に引き払わねばならないのは言われていた。
二次に向けた勉強を頑張りながら、合間を見て引っ越し準備をしていくことになるだろう。
どうせ引っ越しをするのだとしたら、全国どこでも良かった。
富山と最後まで悩んだが、二次の問題を取り寄せてみると、徳島の方が相性が良い。
忸怩たるものがあると言えばあるが、覚悟を決めた。
スポンサーの許可も昨日のうちに電話で得ている。
息子がそばに来ることを心から喜んでいるように思えるのが何とも釈然としない部分ではある。しかし、そこは良しとするしかない。
だが、父親から余計な一言が出てきた。
「静香ちゃんはどうするんだ?」
無遠慮な言葉だ。
「どうするって言っても」
「6年間、放りだしておくわけにはいかないだろう。オレに遠慮しなくても良いぞ。こっちにだっていろいろと大学はあるぞ。それに新井田さんなら、オレも挨拶をしておけば大丈夫だと思うんだが」
それは「一緒に住め」と言っているようなものだ。
「彼女には歌があるから」
「あぁ、JK歌姫だったか? お父さんはよくわからないけど、こっちでも歌なら続けられるんじゃないか? 鳴門教育大なら近いし、音楽専攻もあったと思うぞ」
「いや、そんなローカルな名前を出されても。彼女は世界に出ていくんだよ。全然、選択肢にならないよ」
「え? 世界? まさか留学するのか?」
「そのまさかっていうか。ほら、いつかコンサートで一緒だった酒井光延の紹介でウィーンに留学するんだよ。数年はかかると思うよ。その後は世界的な歌姫になるんじゃないかな」
「なるんじゃないかなって、お前なぁ。そんなに離れてて、しかも世界の歌姫って、お前、それはその…… 大丈夫なのか?」
「お父さんが、それを言う?」
妻を何年放り出していたんだよ、と言外の非難。こういうところが、まだ自分が幼いなと思いつつも、なかったことにされるのも嫌だったのだ。
「結婚した相手と、『まだ』の相手は違うと思うぞ。それに、母さんの病気のことさえなければ、お前が高校に入る時にこっちに来るはずだったからな」
それは初耳だった。母親から、そんな話一度も聞いたことがなかった。
「いくら、静香ちゃんが良い子でも、何年も離れたら「別れたんだ」……え?」
しばしの絶句の後で、低いトーンの声が聞こえた。
「そうか。辛かったな。すまん。理由は想像はするが、それは聞かないでおく。オマエの好きなようにして良いぞ。ただ、一つだけ、ダメな父親として言わせてくれ」
祐太は、そこに返事する言葉が思いつかなかった。
「相手がどれだけ良いお嬢さんでも、別れる、別れないはお前の自由だ。時には運もあるしな。ただ、後悔だけはしないように、言いたいことはちゃんと伝えておいた方が良いと思うぞ。ずっと一緒にいられる相手なら良いんだが、別れる相手には、なおさら自分の気持ちとか、考えたことは伝えておくんだ。父さん、それだけはお前に覚えておいてほしい」
何とも返事のしようがない。
「じゃ、とにかく金が必要なら早めに教えてくれ。ちゃんとこっちでやるから。引っ越しの業者もこっちで連絡するんで、予定の方は後で決めよう。とにかく今は受験のことだけを…… なるべく考えるんだ」
「あぁ。わかった」
「じゃな。あ、それとな……」
ちょっとしたためらいを感じて祐太はスマホを握り直した。
「徳島大を受けるなら、いちど、こっちに来てみないか? お前に見せたいものも、会わせたい人もいろいろと、その…… あるからな」
「うん。どのみち、大学は一度見たいと思っていたから来週辺りかな? いっぺん行くよ。じゃ、予定が決まったら連絡するから」
「おぉ。待ってるぞ。ちゃんと飯食えよ」
「父さんこそ。オレよりも料理しないだろ? そっちにコンビニもないらしいじゃん」
「なあに、こっちは田舎だからな。あっちこっちから食事が差し入れられるし、作ってもらえたりするんだ。お前が思うほど不自由はないぞ」
不思議と父親の声が、若返っている気がするのは、永住を決めたからなのだろうか?
祐太はチラリと思ったが、それは言わないことにして電話を切った。
とにかく、今は受験勉強を…… の前に、もうしばらく寝ていないとダメかもしれない。
美紀さんに差し入れてもらったリゾットを、電子レンジに入れる祐太であった。
徳島大を受けることになりました。
やっぱり心境の変化が大きいですね。
美紀さんは、ふたりのことに全く触れずに差し入れしてくれてます。祐太もそれをわかった上で、ありがたく受け入れています。
お父さんはお父さんで仰天中なのかもしれません。