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ただ、君を応援したかった  作者: 新川さとし
冬 12月~3月
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第36話 語ると堕ちる

 どうしてもこれを聞いてほしいと聞かされたのは、坂下先生との会話を録音したもの。会話を黙って録音するのはどうかと思った。正直、ためらいはあるけど、絶対に嫌だと断るほどに忌避感はなかったんだ。


「坂下先生、こんばんは!」

「あら、めずらしい。今日の試験はどうだったの?」

「ははは。すみませーん、勉強不足でした~」

「もう~ 部長の萩原さんがそれだと、後輩に示しが付かないわよ」


 確かにこれは坂下先生の声だ。他人の通話を聞かされる違和感はあったけど、オレは耳を離すことができなかった。


「先生、聞きましたよ。シズが酒井先生の愛人になったってお話。古川君は知ってるんですか?」

「え? 愛人って、そんな。あなた、何を言ってるの」


 これって、微妙に否定してない反応か。


「ごまかさないでください。シズが酒井先生の愛人として留学させてもらうこと。先生もご存じなんですよね?」

「あ、えっと…… あら、誰からそんな話を?」


 ま、坂下先生としたら、それを肯定するわけにもいかないか。どっちみち、そういう言い方はできちゃうんだし。


「今日、シズから聞きました。古川君よりもはるかに男として魅力があるから良いんだって言ってましたけど、ホントなんですか?」

「あら、そうなの。だとしたらそうなのかな?」


 えええ! しーが、自分でそんなことを?


「せんせー そこでとぼけなくてもいーじゃないですかー。どうせ、もう決まってるんですよね? シズが言えないのはわかるけど、先生まで、古川君に教えてあげないのは可哀想だと思います」

「それも、そうなんだけど」

「みんなで騙すんですか? そりゃあ、大人だからエッチが上手なのはわかるけど。だからって簡単に愛人になるんですか? シズも先生も、ひどいじゃないですか! みんなで騙して! せめて先生から教えてあげてください!」

「……でも、ほら、いい加減なことは言えないし」


 小さなピッという電子音。


 時々、プチプチ雑音が入ったけど、紛れもなく坂下先生の声だった。優しい坂下先生が「本当のこと」を認めたがらず、言いにくそうにしているのが伝わってきた。


『これって、萩原さんが、どんどん突っ込んでくれなければ絶対に先生の本音も、それにしーの言い分も聞けなかったんだろうな』


 歩きながらならと自分で言ったのに、いつの間にか立ち止まっていたオレ。


 暗い道でスマホを握りしめていた。

 

「こんなの聞かせちゃって、ごめんね。今日シズとは会場が一緒だったの。チラっとだけど話してみて。どうしても許せないって思った。ほんとは、この後ろのところで、もっとひどいことを言ってたけど。ごめんなさい。これ以上、あなたに聞かせるなんて、そんな残酷なこと、私には…… できない! ごめん!」


 半泣き声だった。


 萩原さんて、こんなに良い人だったんだ。オレのために泣いてくれてるなんて。


 むしろ、今はそっちに感動だよ。


 それにしても「遙かに魅力がある」に「エッチが上手い」か。やっぱり、そうなるよなぁ。そして、この後もっと露骨な話になったのか。やっぱ、オレじゃあダメなんだな。


『それにしても、しーも女の子同士だと、そんなことまで喋っちゃうのか。いや、萩原さんだから、本音に近い話ができたのかな、あぁ、それにしても、やっぱヤツのアレはすごいんじゃん。オレなんて比較にならなかったのか』


 比較されていたこと自体、けっこう堪えていた。まあ、きっと、オレのことを庇うように言っているウチに、萩原さんに本音を見抜かれたって辺りが正解なんだろうけど。


 どう考えても「ゆーの方がエッチが下手よ」なんて言っている姿は想像できない。


 こういうところで、分かったように思い込むとすれ違っちゃうからね。気をつけないと。


『しーは、オレが下手だとか、ヤツの方が上手いとか、そんなナマなことは絶対に言わないさ』


 優しい子だ。それは自信がある。絶対にそんなことは言わない。


『でも、思っていたからこそ、萩原さんに見抜かれたっていうのはあるんだろ?』


 萩原さんが言ってたのが本音なんだろうな。だからこそ、萩原さんは本気で心配して泣いてくれてるんだもん。


 はぁ~


 奴は天才だ。世界の権威だもんな。


 それに比べりゃ、オレは単なる、高校生だし。


 男としても負け、人間としても負け。しーに何かをしてあげられるわけでもないのがオレって男だ。


 幼なじみって言葉に甘えてたのかなぁ。


『やっぱり、オレは君の(そば)にいてはダメなんだな。ごめん、しー 君の邪魔をしてたんだね』


「……! ……わくん!」」


 たぶん、ぼーっとしていたんだろう。


「古川君? 古川クン?」


 心配そうな声が聞こえていた。


「あ、ごめん。ちょっと、ぼーっとしちゃってた」

「よかった。反応が無くなっちゃったから。大丈夫? 歩きながらって言ってたけど、お出かけ先なんでしょ? ちゃんと帰れる?」

「ありがとう。心配掛けちゃってごめん」


 ほんと良い人なんだな。萩原さんって。さすが合唱部の部長さんだ。


「ね、古川君。私、味方だからね」

「ありがとう」

「シズも、先生もひどいよね。……ねえ、もしも、復讐するなら、手伝うよ」

「え? 復讐?」

「うん。だって、シズは、あんなに尽くしてるあなたのことを騙してるんでしょ? これは浮気だよ! だって酒井先生との肉体関係を受けいれてるんだもん。許せないでしょ? だから復讐しちゃおうよ。私、古川君のためになんでもするよ。ね? 何でも言って? 手伝うから」


 それは、けっして通り一遍の、上辺の言葉ではない気がした。心の中に激しい憤りみたいなモノがある人の言葉だ。


 情熱というか、言葉に真実の怒りが満ちているっていう迫力があったんだ。


『心から、許せないって思ってるんだな。やっぱりバスケマンがあれだけ浮気しまくってるんだ。きっと、身につまされるって言うか、同じ立場だって思って余計に腹が立つんだろ。それにしても、萩原さんも、よく別れないよな』

 

 しーが急に辞めた後に部長を引き受けてくれたくらいだ。責任感の強い、真面目な人。しかも、付き合ってきた男は、さんざん浮気しまくったあげく、中学生と淫行して停学にまでなったのに、まだ別れてない。


 尽くす人なんだな、萩原さんって。


『それだけに許せないんだろうね。それなのに、そういうしーの送別会を開いてあげたいとまで言ってくれる』 


 こんなにできた人なんて、そうそういないよ。そんな人がオレに厚意を寄せてくれることには感謝しかなかった。


「あの、さ」

「なに?」


 萩原さんの口調が、ちょっと険しくなった。そりゃ、これだけ親切に言ってくれてるのに、すぐ受け入れないんじゃ腹も立つよね。でも仕方ないんだよ。


「萩原さんの気持ちはとってもありがたいと思う。でもね。オレは復讐したいだなんてこれぽちも思ってないんだ」

「え!!! ウソ!!!」

 

 半ば絶叫だった。そんなに怒ってくれていたんだ。ありがとうと頭が下がる。


「オレはしーを堂々と幸せな形で送り出してあげたいんだ。だから、もしもオレに同情してくれているなら、ワガママかもしれないけど、このまま見て見ぬフリをしてくれないか?」

「あ、あ、だ、だけど、あの、浮気を、うわっ……」

「うん。そうかも知れない。普通に考えればそうだろうけど、でも、ちょっとだけ別の見方をするとさ」

「別のみ…… かた?」


 相当に驚いているらしい。まあ、そうかもね。


「あんなにすごい人に気に入られても、まだ、オレのことを好きなフリをしてくれてるんだよ? あらゆる面で、オレなんかよりもすごい人が相手だ。しーは外見で人を判断しない。だから、何度も関係していれば、年齢差があっても好きになることだってあるはずさ」

「で、でも、あの、古川君がいるのに」

「今、オレのことをどう思ってるのか、正直、わからないよ。でも、あの子は優しいからオレの受験が終わるまでショックを与えないようにって我慢してくれてるんだと思う。ホンの少しだけは、オレのことも好きでいてくれてるんだろうけど…… それは疑ってないよ。まだ本気で好きなフリをしてくれてるんだし」

「好きなフリをしてる? で、でも、あの、つきあってるんだよね?」

「そうだね。まだ別れてない。でも、さ、あの子は、夢に向かって一直線に羽ばたきたいはずだ。なのに、オレのせいで足止めされちゃってる。それを、オレのためを思って懸命に我慢してくれてるんだ。すごく優しいと思うよ。それなのに復讐したいだなんて、とてもじゃないけど、オレには思えないんだ」


 相づちというか、返事すら聞こえなくなった萩原さんに「だから、ごめん。君の気持ちは嬉しいけど、そっとしておいてほしい」と言って、見えないのは承知で、そのまま頭を下げたんだ。


 寄せられた厚意に対して誠意を返したかったから。


「ね、ね、本気なの? このままじゃ、シズばっかり良い思いするんだよ? 許せるの? 古川君、良いように使われてただけじゃない!」

「えっと、あの、初めて電話する相手に、言う言葉じゃないのは承知だけど、これだけ親切に言ってくれてる萩原さんだから、言うよ。オレは彼女を愛してる。愛してるから、それでいいんだよ。自分の愛した人が夢を掴んでくれれば、オレはそれが嬉しいんだ」

「だって!」

「ありがとう、萩原さん。オレのために泣いてくれて。この電話、絶対忘れないから。それと、受験が終わったら、サプライズ送別会、協力するからね! ありがとう!」

「う、うん。そ、そうなんだ……」

「じゃ、コレで切るね。おやすみ。そしてありがとう」

「おやすみ」


 誰かに喋ると、心の中が整理されるときがあるらしい。


 たぶん、今がそうだったんだろうと思う。萩原さんが向けてくれた純粋な厚意のおかげで心が温かくなって、自分の言葉で、自分の気持ちがわかった。


 これでいいんだよ、これで。


 オレも自分の気持ちがわかった気がする。


 しーの夢が叶う!


 これでいいんだ…… あれ? なんでだろう。涙が止まらない。何でだよ、涙、とまれ!


 心がざわついて止められない。


 頭の中をさっきの自分のセリフが駆け巡って、何が何だかわからなくなっていた。


 その日、オレはどうやって家に帰ったのか覚えてない。


 ただ、宗一郎からのありがとうメールと二人が指輪をそろえて見せつけてる写真が何枚も送られて「おめでとう」のスタンプとメッセを大量に送ったのだけは、ハッキリと覚えてる。


 ちゃんと食事もしたし、風呂にも入った。


 まったく眠れなかったけど、しーからお弁当を渡されて、試験も受けに行った。


 マークを塗りつぶしたのも覚えてる。


 だけど、すべてが、水の中から外の音を聞いているときのように、ぼやけていた。


 自分を取り戻したのは、自己採点を提出しに行く月曜日のことだった。




高3生は共通テストの翌日(月曜日)の朝イチで、自己採点の結果を学校に提出します。それを大手予備校3社が受け取って、全国集計をします。

私立も受ける人はここから私立対策が本格化し、国公立一本の人は2次対策に励みます。

それにしても…… 

善意の人による善行は時に手の付けられない行為となり

悪意の人による悪行は、時に善行となりえると申します。

萩原恵は、とても良い人ですが、この日、子どもの頃から持っていたウサギのぬいぐるみを引きちぎったそうです。 笑笑

              

今回のタイトルは「語るに落ちる」という言葉から来ています。

辞書的に言うと「問いつめられると用心してなかなか白状しないことも、自分勝手にしゃべらせると、人は案外白状してしまうものである。話やその他の表現の内に、隠している本心がつい出てしまう」(日本国語大辞典より)

                

これを大元にして「語る と 堕ちて」しまったと言う心境ですね。

ちなみに、萩原さんも最後の方の絶叫が本心だったのかもしれません。

こっちは「語るに落ちる」でした。笑笑

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