第10話 静香の困惑 SIDE:静香
落ち着くの、静香!
自分に言って聞かせなくてはならない。
祐太が自分に怒ったコトなんてほとんど無かったことだ。いつだって、何だって許してきてくれたではないか。
『とにかく、何を怒っているのか、まず聞かなくっちゃ、だよね』
怒るはずのない人が急に怒った。次の言葉を待ってみようとした。
そこに、一つ、息を吐いてから祐太が尋ねてきた。
「しーかは、その話、よく考えたの?」
「どうしたの? いつもと違うね」
幼なじみが「しーか」と呼ぶときは、大抵、心配しているときだ。だとしたら怒っているわけではないのだろうか?
『怒ってるけど心配してるの? 心配だから怒ってる? いったい何を?』
覗き込んでくる目を見つめ返しながら、パパッと計算をした結果、出した答がとっさに口を出た。
「あ~ ゆ~ったらヤキモチやいてるぅ~」
嬉しかった。とっても嬉しかったのだ。思わず祐太の二の腕をつかんでしまった。
「ヤっキ、モチ ♪ ヤっキ、モチ ♪ ヤっキ、モチぃ〜 ♫」
嬉しさのあまり、リズミカルに繰り返してしまった。
『ゆーがヤキモチを妬いてくれた!』
祐太が正面からヤキモチを妬いてみせることなんてめったにない。
昨日だって、そうだった。
雷漢と二人きりで2時間過ごした。いろいろと話せて楽しかったと言ったら、素直に喜んでくれた。合唱部の仲が深まると良いねと心からの笑顔だった。
それなのに、今日はこんなに違う。怒りの仕草に心配顔。これは「相手が違うから」と言うことに他ならない。
『光輝君が1年の合宿で告白してきたことを覚えているんだよね。ふふふ。ちゃんとヤキモチ妬いてくれるんじゃないの~ ゆーってばぁ』
嬉しくて頬がニマニマと緩んでしまう。
「ちげぇ~よ。心配してるんだよ」
「へぇ~ し、ん、ぱ、いですか~ 心配ねぇ~」
なんてわかりやすいヤキモチなんだろう。ついでに、このまま告白してくれれば良いのに。
「♪ふふふ♪ でもぉ、大丈夫だよ。私が光輝君のことは男性として何とも思ってないのはよく知ってるでしょ?」
喋ってしまってから、知らないうちに、かつて告白してき相手を「酒井君」ではなく「光輝君」呼びするようになったことに気付いてしまった。
とっさに「マズイ」と思ったけど、祐太は無反応だ。
よかった。どうやら気付いてないらしい。ホッとした。
しかし問題は祐太の渋面が続いていることだった。
『何を心配してるの? ヤキモチじゃないって? じゃあ、何?』
こういう時、いつだって、自分が無神経でいたことを祐太に指摘されて気付くのだ。子どもの頃から変わらぬ関係。
自分の好きなことに夢中になると、他のことを考えられなくなる悪いクセだ。
静香は息を呑んで次の言葉を待つことになる。
視線を外したまま「考えてほしいんだ」と祐太は言う。
「なんで、酒井は父親に君のことを話したと思う?」
「え~ それは、だって、そのぉ~」
そう言えば、なんでだろ? 3年生になって仲良くなったから? でも、そんな話、誰にも喋ってないって言ってたし…… やっぱり、親が有名人だと話したくないのはわかるけど。でも、確かに、なんでそれを今頃、私に?
「もちろん、しーかの歌が上手いのはあるさ。間違いない」
祐太の顔を見ているとモヤモヤしてくる。わかりかけてるのに、わかりたくない気がするのだ。
静香は黙ってしまう。
「でも、それだけだってホントに思ってるの? しーかが酒井にとって特別扱いしたい相手だってことじゃない? 酒井が君のことをどう思っているのか知らないわけじゃないんだろ?」
ズバリと言われて、ハッとした。
あまりにも巨大な嬉しさのあまり、考えてなかったことだ。本当は、真っ先に気にしなくちゃいけないことだったのに。
『私、酒井君の好意を利用しちゃってるってこと?』
人の気持ちを弄ぶというか、利用するなんて絶対にしちゃいけないこと。そのくらいは静香だってわかってる。
自分はそれをしてしまったのだろうか? そんなの、最低ではないか。
静香の理性は、それを理解した。
『でも、このチャンスを逃したくない』
それが静香の本音だ。何がどうあっても、世界の酒井に歌を聴いてもらえるチャンスなんて二度と無いのだから。
「それは、その…… 酒井君だから、じゃない?」
苦しい。自分でも理屈になってないのはわかってる。
「理由になってないと思うけど」
珍しく祐太が手を緩めてくれない。
「えっと、えっと、ほら、幹部の交流会だから、とか……」
「じゃあ、なんで萩原さんは紹介しないの? 雷漢だっているんだろ? 交流会のためだったら、その三人でってな話になりそうじゃん。ってか、むしろ、そっちの方が普通だと思うんだよ」
「それは、その……」
「これをきっかけにして、酒井は君とつながりを作りたいわけじゃん? そんなのわかってるだろ? 巨匠のところに連れて行くからって言われてノコノコついて行って、この先、その見返りを「やめて!」」
思わず、激しく言葉を遮ってしまった。わかってる、ゆーの言ってることは正しい、悪いのは私。
『でも、でもっ、でも、でもぉ! このチャンスを見逃すなんてできないよ』
勢いをつけて立ち上がる。
『イジワルだよ、ゆーは! 分かってるクセに!』
自分が100パーセント悪い。光輝の好意を利用している自分は、本当に最低の人間だ。でも、このチャンスを見逃すことなんてできない。
だから、理屈を振り切ろうとしたのは無意識のことだった。
「とにかく、明日の晩、酒井先生のところに行くのは約束しちゃったの! 今さら変えられないんだから!」
祐太の顔を見られない。だって、悪いのは自分だってわかってる。
「ごめん、もう寝るね! お休み!」
飛び出すように家を出て、怖いものを閉め出すように家のドアを閉め切ったのだ。
第12話「ごめんなさい」
で家に戻った静香を描きます。