第23話 メッセージ
「ただいま!」
「遅くなっちゃった」
「今、病院を出たよ」
そんなメッセが入ったのは、いつもよりもだいぶ遅くなった20時前。
気にはなったけど「なんで遅くなったんだよ」とは聞けなかった。何かを勘ぐっていると取られかねないもんね。
『だからといって、何も言わないのもダメだよなぁ。よく考えろ。以前のオレだったら、どうしてた? 古川祐太なら、こんな時、なんて言うんだよ?』
つまりは、無難な返事を選択。
「お帰り~ よかったね!」
雪だるまスタンプで「お帰り」と「お疲れ様」を送る。
あれ?
沈黙。
こないだは、ひっきりなしに送られてきたのに。
既読は付いたけど、ただそれだけ。
え? おい、こんな時に故障? アプリがバグった?
あわてて、いったんアプリを閉じて、もう一度開く。
なにも変わらない。
そんなはずがないだろ?
わかった。こういう時は再起動だよな。
電源を落として再起動するまでの1分間が地獄のように長い。
でも、ホントは気付いたんだよ。メッセなんて何も入ってないんだよ。オレへの言葉が浮かばないんだよって。
メッセが来るのが1時間遅かった理由はわかってる。それだけ「レッスン」に熱が入ったんだ。
男と過ごした後に疲れ切って、オレに送る言葉も浮かばなくなった。
それが真実ってわけだ。
『今までは、コンサートでどれほど疲れても、いや、疲れた時ほどオレとつながろうとしてくれたのに。言葉が浮かばないんだよな』
それが今の姿。
それが答え。
それが、オレ達の事実なんだ。
「現実を認めなくちゃ。だんだんとヤツになびいていくなんて、初めからわかってただろ? それが、思ったより早くなっただけだよ」
そんな情けないつぶやきをこぼしてた。
『それなら、いっそ、こんなものいらねぇ!』
スマホを投げ捨てかけたオレは、辛うじてその手を止めた。
『しーが、このあと頑張って送ってくれたらどうするんだよ? オレの態度が変だと思ったら、きっと心配させちゃうぞ』
そんなの、ダメだ。
オレは笑顔で送り出すんだろ?
つまらないヤキモチなんか!
夢を邪魔するなんて!
そんなサイテーな男に成り下がるわけにはいかないんだよ。
でも、心の持って行き場がなかった。
「ダメだ、ヤバい、これは、ヤバい」
また、空気が……
たかだかメッセが入らないぐらいで、なんてダメな弱虫だったんだよ。そんなにクソだったのかよ、オレは!
負けてたまるか。
慌ててバスルームに駆け込む。まだ張ったままのヌルくなった湯に頭から突っ込んだ。
息を止めるだけのつもりだった。でも、オレは何かを叫んでたんだ。
叫ぶ
叫ぶ
叫ぶ
水の中にバブルが弾け続ける。
ぷはぁああああ!
ハア、ハア、ハア
部屋着にしてるトレーナーを一絞りして、洗濯機に放り込む。
バスタオルで頭を拭きながら部屋に戻った。
メッセが入ってる!
手に取る前から「なんて返せば良いんだ?」と思っている。そのくせ、心から嬉しがってる自分を恥じる。
「シュガー?」
最近、アイコンをバラの形の角砂糖に変えたシュガーからのメッセだ。意外だった。夜、メッセを送ってきたことはほとんどなかったのに。
「先輩。受験勉強お疲れ様です」
そんな硬い文面で送ってくるのはあの子なりの気遣い。いつもオレの横にはしーがいるから、万が一にも勘違いされないように「先輩、後輩」以上の雰囲気をメッセには見せないようにしてるのがわかる。
今日のお礼を言いたかったのかも。
本当に珍しいことをしてきたってことは、やっぱりショックがデカかったんだよね。
「大丈夫だよ。まだ帰ってこないから」
そんな風に送ったオレは、やっぱり寂しかったんだと思う。
「今日はありがとうございました」
「真面目にお礼がしたいんです」
「present for u」と書かれている、柴犬が骨を咥えて走り回ってるスタンプだ。
「お礼なんて良いよ」
「絶対そう言われると思いました」
「だから先輩に二択をさせてあげます」
「二択って?」
「presentはワ・タ・シ と タマちゃん特製の愛情弁当。どっちを選びますか?」
ネズミを見つけてハートがドキドキしている、国民的ネコ型ロボットのスタンプだ。
よく、こんなの見つけてくるよな。
何となく、ホッとしたんだと思う。
それに、このマンガの風呂好きヒロインの名前をチラッと思い浮かべたのもどこかで影響があったのかもしれない。
ちょっとだけ、イタズラ心を取り戻せたんだ。
「じゃ、タ・ワ・シでよろしく」
送信ボタンを押して三秒もなかった。
シュガーからの着信。
「先輩! マジですか! えっと、いつ? あの今から? 大丈夫です。この間おうちの場所は覚えたし。あ、でも、シャワーはする時間だけ待ってください。すぐですから。できる限り急ぎますんで! それとも先輩のおウチじゃない方が良いのかな? 万が一のこともありますよね。じゃ、ラブホ? 新宿辺りに行けばきっとありますよ。ネットで予約できるところ探します! あ、そ、それとも明日? 明日だったらバイトなんて休みますから。一日中どうぞ。それに、私ちょうど今、安全期なんで。濃いところを一発、あ、いえ、何発でも先輩のお好きなだけ。大丈夫、万が一なんてあり得ませんから!」
食いつくような勢いで喋ってる。
しまった~
「待て、待て、待て。オレが悪かった。すまん。メッセをよく読んでくれ」
「え? え! え! えええええ!」
決して大声ではなかったけど、それが心底の悲鳴だったのは伝わってきた。
『あ~ やっちゃだめじゃん、こんなの!』
心から後悔した。これはオレが悪い。
どうやって謝ろうかと、そっちに気を取られながら、でも、何となく「救われた」と思っている自分が悔しかった。
・・・・・・・・・・・
静香:SIDE
午後6時45分。
病院中に夕食のニオイが満ちている。
ギリギリの時間に服を着た私は、ひとり異臭を放ちながらエレベーターを降りる。
いつもの時間だ。
ロビーに降りていったらレイさんが迎えてくれた。
横に並んだ前沢さんに一言、何かを言って、こっちに走ってきてくれた。私は慌ててマスクを重ねがけする。
「お疲れ~」
差し出してくれたのはお茶のペットボトル。
「ありがとうございます」
頭を下げて受け取ってから、前沢さんを見ると、小さく手を振ってエレベータの方に向かった。
それを目で追った私に「車で来てるんだ。一緒に帰ろうと思って」とレイさん。
「え? あの、でも、そんなの申し訳ないです」
こんなクサイ人間を乗せるなんて、きっと迷惑を掛けちゃう。
「いーの。いーの。あのね、あなたと話したいから来たんだ。押しかけてきちゃってごめん。帰り道で話したいと思ってさ」
真面目な顔をしているから、何となく話の中身はわかってしまう。私には断る言葉がなかった。
地下の駐車場に止まった白いセダンの助手席。
「どう? レッスンはどの辺りまで進んでるの?」
レッスンの話を最初に振ってくれるのはレイさんの優しさ。その間も、マスクが外せない。せっかく頂いたお茶もマスクを外すのが怖くて、手に持ったままだ。
「ふふふ。大丈夫よ。案外、周りにはニオわないのよ?」
「え……」
「あのねぇ。私が先輩だぞ? いちおう、言っておくけど、私だってルイしか経験なかったんだからね?」
『そうだったんだ……』
「あら? 誰とでも寝る女だとでも思ってた?」
「そんなことないです!」
「先生は案外と紳士なの。自分だけ出すとか、そんな野蛮なことはお嫌いよ」
私は答えようがなかった。
「先生の容態は昨日聞いたし、さっきも前沢さんに確かめたの。しばらく、本番は無理よね。となったら先生がどんなことをするかくらい想像できるわ。だから、お茶を飲んだ方が楽だと思うよ? やっぱりさ、彼以外のものだと、慣れるまではマズいし、喉もいがらっぽくなるよね~」
あっけらかんと、しかしズバリと言い当てられて、ドキンとした。でも、納得は行く。
『そっか。レイさんだって先生としてるんだもん。わかっちゃって当然か』
むしろ、隠せると思う方がおかしい。
「あのさぁ、まだ入れてないんでしょ? そしたら、先生のホントの良さなんてわかってないだろうから、すごく辛く感じるのはわかるの。自分が汚れちゃってる感覚? でも、最初だけだからね? 慣れたら、そんなもんかって思うし。すっごく気持ち良くなれる。テニスをしたのと何にも変わらないよ? 受け入れちゃえば良いの。あんまり悩まないで? ほら、飲んじゃいなさい。そっちの方が気が楽になるよ~」
いつもよりも軽めの口調なのも、きっと自分を気遣ってのことなのだろう。
ため息を一つこぼしてから、ペットボトルに口を付ける。
ゴクッ、ゴクッ
「うん。そうよぉ。半分くらい飲んじゃって。後は歯を磨けばバッチリ。すぐキスしちゃっても絶対にわからないからね。覚えておくといいわ。これ、マメね」
クスクスクスと笑顔を振りまきながら、レイさんがハンドルを切る。
首都高に入った。
本線に合流した後、レイさんは、こちらを見ずに「許してあげなさい」と一言。
「こんな時にって思うかもしれないけど、こんな時だからこそ、許すの」
「許すって、あの、でも、あの、いったい、何を」
「佐藤さん。昨日、言ったわよね?」
レイさんが言おうとすることが飲み込めない。何を言おうとしているのかわかるんだけど、頭が受け入れてくれなかった。
「あのね、男性は愛情とか、好きって気持ち以外でも迷う時はあるの。でも、許してあげるのよ? ゆーくんだって男の子だもん。可愛い子に言い寄られれば仕方ない時があるわ。それに、あっちの方はわりと緩い子みたいだし。男を落とすテクもあるんじゃないかな。ゆーくんみたいな真面目な子だと、ひとたまりもないと思うよ」
「あの、それは」
なんで「それ」が前提なんだろう。
「ホントに偶然なんだけどね。私、見ちゃったんだ」
「見たんですか?」
「そ。駅で彼女を抱きしめているところ。あれは、ヤラれちゃってるね~ 魔性の魅力に吸い寄せられたんじゃないの?」
「そんな」
違う。きっと、突然、抱きつかれたんだ。ゆーはそういうところ疎いし、女の子を力任せに振りほどけないから。
「しずちゃんは真面目だから『浮気なんて許せない』ってなるかもしれないんだけど、ハッキリ言って、それは違うからね?」
「でもゆーがそんなことを」
「そう言うと思ってた。昨日話したでしょ? 彼氏が浮気してるって話を何の根拠もなく、ここまで言わないわ? はい、これ」
ダッシュボードのスマホをポンと渡された。
写真が表示されてる。
「何枚か撮ったから、全部見て良いよ~」
駅のホームで女の子を抱きしめてる。
抱きつかれてるんじゃなくて、ゆーが手を回して抱きしめてた。後ろからの写真だけど、私がゆーを見間違うはずない。
それに、こんな寒いのにコートも着てないし、私が持っているのと同じ柄のマフラーを付けてる男性なんて、ゆーしかいない。
最後の写真には、身体を起こしてキスをねだる顔の女の子の映ってる。
「これって佐藤さん?」
「文芸部の後輩なんでしょ? でも、ゆー君は一緒に我が家に来たし、ちゃんと自分の口で言ったわ。この子の彼氏ですって」
お兄さんと佐藤さんがパパ活をしていたことは聞いた。
その時のことをもとに脅迫された可能性があるけど、表沙汰にしないためには、話し合うしかなかったって。
その話し合いの場に「彼氏です」と言って乗り込んできたのがゆーだった。それがまず信じられない。でも、レイさんが、そこにウソを吐くはずがない。
何よりも、この写真があるんだし。
「ゆー君は、どんどん話をまとめていったわ。佐藤さんは、彼を全面的に信頼して、いっさい口を挟まなかったの」
佐藤さんが心から信頼しているように見えたから、ご両親は恋人同士であることを全く疑わなかったらしい。
「この写真は帰り道の駅で撮ったの」
私は、ただ震えて、言葉が出せなかった。
「でも、ほら、彼は真面目だし。一度、あなたが浮気を認めさせた上で許してあげれば、こっちに来てる間も、ずっとあなたのことだけを考えてくれると思うわ」
違う。そんなことを、私がする権利なんてない。
ワタシはかぶりを振った。違う、そんなことできない。ゆーが浮気? 信じられないけど、でも、本当にそうなら、私が何か言えるはずなんてない。
「あー なんか、全部認めたくないって感じか~」
レイさんの口調は私への説得に掛かっているのはわかった。
「事実は事実として認めようよ? これをキッカケに、あなただけを見てくれるようにシツケればいいだけなんだから。むしろ、おトクだよ? こうやって弱みを握って、それを許してあげれば、ゆー君みたいなタイプは、ずっとシズちゃんだけを見るようになるから」
レイさんの言葉が右の耳から入って左に抜けていく。
『違うの。ショックなんて受けてる方がダメなんだよ? 私が先に裏切ってるの。私は会えなくなるんだし。ゆーがこうしても、何も言えるわけがないの』
レイさんと会話していたはずだった。
でも、何も考えられなかった。
「あ、ところで、ゆー君に連絡しなくて良いの?」
「あ!」
レイさんの言葉に反応できたのはそれだけだった。
そうだ。まだ、終わったよメッセを入れてない。きっと心配してるよ。
「ただいま!」
「遅くなっちゃった」
「今、病院を出たよ」
三つを立て続けに送った後、何を送って良いのか、わからなくなっていた。
・・・・・・・・・・・
オマケ視点
先輩ってば。本気で謝ってくれちゃって。ホントに可愛い!
だいいち、こ~んなの勘違いする方が悪いんですよ。単なるジョークなんだから。なのに、先輩は思いやりがあって、人の痛みに気を遣ってくれるんですね~
申し訳ないけど、利用させてもらっちゃいました。
ふふふ。こんなので月曜日のお弁当を受け入れてくれるなんて大ラッキーですよ。
さて、問題は父親に食材をバレないようにしなくちゃってあたりですか。先輩への愛情をい~っぱい込めたお弁当を横取りされたら、包丁で刺したくなっちゃうのは止められないでしょうからね。
どうにかして、ヤツにバレないように作らないと。それはこれから考えましょうか。
ふふふ。
次回から「プレゼントはタワシ」使わせてもらっちゃいまーす。
昼間は最低でしたけど、先輩のおかげで貯金は予定額に届いたし。いっそコンカフェのバイトも辞めちゃって良さそうですね。
キスだってできたし、抱きしめてももらえました。
最高ですよ。
あー なんて素敵な一日だったんでしょう。
先輩、大好き!
何度も申し上げていますが、今回は4人の「善意」が交錯しております。
善人による善意の行為が、良き結果につながるのかどうか
というのは、いつも考えさせられますよね。