第22話 疑念
土曜日。
シュガーのバイトの件はしーに喋っていなかった。今さら教えるべきでもない。
かと言って、どんな理由であれ女の子と会うのだ。てきとうなウソを吐いて出かけると、レッスンに行くしーに心配を掛けることになりかねない。
ウソは真実に隠せという。
だから、下手なウソを吐くよりも「レイさんと会ってくる」という事実を話して家を出た。目的はそれなんだからウソではない。
頭の痛い話になりそうなのは、わかっていたこと。
こういうのは、あれこれ悩むよりも当たって砕け…… 砕けては困るけど、とりあえずぶつかってしまった方が悩まなくて済むものだ。
途中でシュガーと待ち合わせてレイさんの家に向かった。本来はバイトが入っていたが、オーナーに電話をして事情を説明すると、なぜか出勤扱いで休みにしてくれた。フルオプションにしておくのでと好待遇の有給休暇だ。
もちろん、言外の意味はわかっている。
「お互いのため」だ。
あっちがどう思おうと、オレはシュガーのために全力を尽くすのみ。
結果的には、レイさんが色々と面倒を見てくれたのがオレ達にとってラッキーだった。少なくともいきなり警察沙汰にはならなかったのだから。
ご両親と話をする時も間に立ってくれたし、明らかにオレの肩を持ってくれたのも助かった。
おかげで、話が最小限でまとまった。
最初にレイさんの両親から手を突かんばかりに謝られた。その前提が「パパ活」であったとしても未成年であるのがこちらのアドバンテージ。
「彼氏さんにも大変申し訳なかった。お二人の間のこれからのことに支障が出ないと良いのだが」
お父さんが、そうやって心配してくれたけど、ま、ホントの彼氏じゃないしな。ただ、この時ばかりは、横でレイさんが心配そうな目はしていたのはわかってる。
『大丈夫。しーにはバレないようにしますから』
大事な時期に変な心配をかけるわけにはいかない。
おそらくお父さんの車だろう。白いセダンで迎えに来てくれたレイさんには、来る途中で「オレが口を挟むために、今だけ彼氏ってことにしますので」と断ってはあったけど、納得してもらえてない気がしている。
そりゃあ、車の中で、ずっとオレの手を握りしめながら小さく震えていたシュガーを見ているんだ。誤解もするよね。
ここで「しーには言わないで」なんてことをわざわざ言うのは悪手なのはわかってる。あとでゆっくり話せばわかってもらえるだろうと思うことにした。
なにしろ、オレが立ち合うためにはこの「彼氏」という立場になる手しか思いつかなかったのだから仕方ない。ホントは、シュガー本人を立ち合わせたくなかったくらいだ。
しかし、相手からしたら後で本人から何を言われるかって話になるから、連れてくるのはやむを得なかった。
それに、聞いてみると、相当な金額だったはずの貯金がすっからかんに引き出されていたらしい。
向こうの親からしたら「脅迫を受けいていたのか?」という話にもなりかねない。容疑者は、当然、シュガーとなる。
そこのわだかまりを残さないようにするのが一番大事なところ。
これは、メールを見てもらって一応の納得はしてもらえたはず。
スマホに残ったフリーアドレスの履歴がポイントだった。シュガーあてに送ったメールが、あの時を境にして何度も戻ってきた痕跡がハッキリ残っていたんだ。
それなのに食事に誘ったメールなどの「事前」のものはしっかりと残されていた。
つまりは「佐藤珠恵との接触はパパ活の時まで」と考えるのが自然なこと。
もちろん、細かく見ていけば、あるいは専門家が調べたら不審なものがあったのかもしれない。
いや、やっぱり疑うよ。
そこでご両親は葛藤したはずだ。
息子の名誉を守るのか、それとも失った貯金を取り戻すことを考えるのか…… 脅迫者を追い詰めたいのかという二択。
初老のご両親は前者を選択したらしい。
もちろん橋本徹を追い詰めたのはシュガーではないし、直接的にはオレでもないから、警察に行ってもらっても「この件」では困らない。
しかし、追及されるといろいろとボロが出て、何より父親がこれを知ればどうなるかという大問題が出てくる。
ナアナアですませるのが一番だろうってのがオレが考えていた結論だった。
両者が一致した。
「彼女も安易なことをして反省しています。オレ達は忘れることにしたので、そちらもなかったことにしてください」
そんな感じで納めた。玉虫色の和解だけど「レイプの話」は警察に言う気持ちがないことと、証拠の画像と個人情報を削除することとを交換して話は終わった。
厚みのある封筒を用意されていた。本人は最後まで受け取りをためらったが、逆に、受け取らないとあっちは安心できないはずだから無理やり受け取らせた。
ともかく、なんとか父親に話が行かずに済んだという決着は満足できたよ。
いや~ マジで疲れた~
思ったよりも時間が掛かった。
冬の早い夕暮れの気配が見えている。
駅に入ったシュガーの顔色が優れない。
『色々と辛い思いをさせちゃったもんなぁ。本当は、あの男が死んだ件も教えたくなかったんだけど』
さすがにそれは無理だったのが悔やまれる。弁護士でもなんでもない、ただの高校生には、これが限界だよ。
ホームのベンチにへたり込むシュガー。
無理もない。
「わかってると思うけど、シュガーは悪くないからな? 全く悪くないとは言わないけど、すくなくとも、あいつが死んだのは大人である自分の責任だ」
声が届いているのかいないのか。
あぁ、落ち込んでるよ。
東京の私鉄にありがちな「道行く人から丸見えのホーム」だけに、たまに通る人がチラチラッと見ていくのは気になる。
「落ち込むのはわかるけど、最悪の最悪は回避できたし、これでもう何もないだろうから。忘れよ?」
「ちがうんです」
「ん? 違う? 何が?」
「ごめんなさい」
「大丈夫。これで終わったから」
丸めた背中を、隣に座ってよしよしと優しく叩くと、身体を預けてきた。端から見たら「イチャイチャカップルがケンカをして仲直り中」って風情だろう。
ギュッと背中から抱きしめた。少しでも安心させてあげないといけない。
距離感が「先輩・後輩」じゃないってことは意識しているけど、今さらだ。
シュガーが悪く受け止めることなどないと思えるからこそのスキンシップだしね。
「また、先輩に迷惑を」
腕の中で泣きながら繰り返し言っている。こういう時「迷惑だなんて思ってない」というセリフは通じない。
「また、オレがおかしくなったら頼むぞ。シュガーが頼りなんだから」
コクコク頷いているシュガーが泣き止んだのは、それからしばらくしてからだった。
「先輩、これ、おわびですから!」
そう言ってオレのホッペにキスしてくる茶目っ気まで見せてきた切り替えの早さはすごいと思った。
って言うか、とっさによけなかったら普通のキスになってたぞ。
「あのね、人前で、こーゆーことはしないの」
「へへへ。じゃ、こんど、こっそりと」
はい、どうぞと、目を閉じてキスを受ける仕草。
「こら!」
ピンと人差し指でおでこをはじく。
「だ、か、らぁ、人前だぞ」
「あ~ん、いけず~ じゃあホテルに行きます? 身体でお詫びしちゃいますよ〜 守り抜いた膜を、ぶべっ」
思わず、頭をペシッとしていた。
「そんだけ元気が出たなら、大丈夫だな」
微苦笑のオレ。
「10パーセントは冗談なんで、安心してくださ~い」
涙笑顔のシュガー。
90パーセントの本気の方は軽く無視させてもらうとしよう。突っ込むところじゃない。
ともかく、これで一段落。
……のはずだった。
狭い道路に停まっている白い車に気付く余裕なんて、オレにはなかったんだ。
今週は土曜日もレッスンがあります。