第19話 れいのこと
木曜日。
静香が昼に帰った直後にスマホが震えた。
RINEの着信だ。
珍しい。レイさんだ。
二つ離れたベンチでサンドイッチをかじるシュガーを見てからタップする。
「大変な時期にごめんなさい。授業は大丈夫?」
ん? 声が上ずっている。すごく焦っている感じだ。
「はい。大丈夫ですよ。ちょうど今昼休みです」
ネット通話だと国際電話でも関係ないのは良いが、いきなりの通話は初めてだ。
『あっちは、まだ夜明け前だよな?』
声と言い、雰囲気と言い、よほどの緊急事態だろう。緊張した。シュガーがこっちを見て心配している。
「ごめん。悪いと思ったんだけど、ちょっとこっちもテンパっちゃったの。ね、あなたの学校にサトウタマエさんって、いるかな?」
「え? えっと、女の子…… ですよね?」
「そうよ。たぶん黒髪のロングにしてる。けっこうな美人だから目立つてると思うんだけど」
ロング? でも、この学校に「サトウタマエ」は一人しかいない。けっこうな美人ってのも合ってる。
サンドイッチをかじりかけたまま、こっちを見てるシュガー。オレの視線にキョトンと視線を返してくる。
一体何が?
相手がレイさんだけに、ある程度は大丈夫だろうと「たぶん後輩です」と答えた。
雰囲気で察したのだろう。「わたし?」と自分を指さすシュガーに軽く頷いてみせた。
髪の毛を指さしてから肩までの長さを示してみると、目を丸くしてから何回か頷いた。
唇だけで「カ・ツ・ラ」と言っている。なるほど。ウィッグか?
恐る恐るといった感じで近寄って来たシュガーを手真似で横に座らせた。
「髪型はちょっと、アレなんですけど、文芸部の後輩のことだと思います。それが何か?」
「あ! 知り合いだったんだ! わぁ~ 世の中狭いね。あのさ、兄がね」
ちょっと言葉を切ったレイさんは「新宿駅で飛び込んだの。中央線よ」と普通の声で言いきった。
「え? いつですか?」
「そっちだと月曜日になると思うんだけど。夕方」
この間の人身事故。あれは、レイさんのお兄さんだったんだ。
「遺書はなかったんだけど、警察は明らかに自殺だって結論よ。身体は昨日返されて、葬儀屋さんの方で、なんとかお葬式ができるカタチにしてくれてる」
電車に飛び込むというのはそういうことでもある。
大変そうだ。
「でもさ、やっぱり、なんで自殺なんてしたんだろうって思うじゃない? だから、何かわからないかと父が頑張ってくれたの」
ん? 話が読めないぞ。それがシュガーと何の関係が? オレの緊張が伝わったのか真剣な顔で、こっちを見ている。
その肩を「大丈夫だよ」って口だけで言いながら撫でると微笑み返してくるが、緊張の目は変わらない。そりゃそうだよ。オレの方が緊張してるもん。
「兄はフリーでSEみたいなのをやってたから、パスワードをメモしておく習慣があったんだ。それで助かったの。一覧で書かれたメモが見つかって、奇跡的にスマホが開けたのが昨夜のことだったんだって。そうしたらあなたたちの学校の名前と、女の子の名前や住所が出てきて」
「それがサトウタマエと?」
「そうなの」
その瞬間に全てが見えた。あの時のストーカーだ。レイさんの本名は橋本美玲さん。そして、シュガーのストーカーは橋本徹と言うのを思いだしてたんだ。
『同じ「橋本さん」か。だとすると少々ヤバい。レイさんのお兄さんだとしたら、追い込んだのは間違いなくオレの仕業だ』
背中に脂汗が流れながら、コートの上からシュガーの背中を優しく撫でる。
「それは、それは。あの、えっと、こういう時になんて言って良いか」
しどろもどろとはこのことだ。でも、レイさんは「身内が亡くなった相手にかける言葉に困っている」と取ってくれたらしい。
「あ、いいの。気を遣わないで? どのみち兄とはもう10年以上も前から口をきかなかったし。個人的には、それほどの動揺はないかな。でも、出てきた写真が問題なの」
「問題?」
「一応は、ちゃんと働いていたのよ。それが、ちょっと前に家出して、まあ、いい歳して家出もないでしょ。それだけでもあきれちゃうけど、この事件だもん。家族としては大混乱なのはわかる?」
レイさんの口調は、淡々としていた。確かに悲しみの色がない。
「それでね、スマホに残された写真が問題みたいなの。私は一枚しか見せてもらってないんだけど」
もちろん、とっくに「何を言いたいか」はピーンときてる。
『シュガーをクスリで拉致した時にラブホで撮った写真が残っていたんだな』
簡単に全部消すはずがないとは思っていたけど、こんな時に出てくるとは。まあ、ネットに流出してしまうよりもマシか。
「ひょっとして、ヤバい写真ですね?」
答えはわかっていても、聞かざるを得ない。
「身内の恥なんだけど、実はそうらしいの。ゆー君なら口が硬いから話すけど、相手は未成年ぽいっていうか、その子はあなたの後輩なんでしょ? だとしたら兄の犯罪ってことね」
答えに詰まったオレ。逆にレイさんが気を回してくれたらしい。
「あっ、私は、その人が本当にいるのかどうか確認したかっただけだから。これで忘れてくれる?」
「それって警察には?」
「ううん。言ってないわ。さすがに身内の恥を警察に言うのはちょっとね。でも、被害に遭われた方にお詫びをしなくちゃいけないと思う。知らん顔はできない。被害に遭った人へのお詫びは遺族の義務だもん。ただ、実家は商売をしてて、両親ともてんてこ舞いの状態だから、私も電話で知って何かしたいって思って。ゆーくん達の学校名が出てきたから、何か知らないかなって思っただけよ。今、日本に戻る手配をしてる。ね? 心当たりがあったら何か教えてもらえないかな?」
心当たりが大ありではあっても、うかつなことが言えない。
やば~
まさか、こんなことになるとは。
『万が一、表沙汰になればシュガーのところに警察から連絡が行ってもおかしくないぞ』
もちろんカタチとしては被害者への事情聴取になる。けれども「普通であれば」と考えてゾッとした。
親に連絡が行ってしまう。あの父親に!
『それはヤバい、マジでヤバい、激ヤバじゃん』
さすがに狼狽えた。あの親が知れば、どう動くのかわからない。
周りを見回す。よし、ここにはオレ達以外誰もいない。
「レイさん、あのさ。その子の家、ちょっとワケありなんだ」
「ワケあり? そうなんだ。やっぱりそういう感じ?」
「えっと、なにが『そういう感じ』なのかはわからないけど」
「だって、パパ活…… 売春してたんでしょ? こんなに可愛いんだもん。どう見ても兄さんがお付き合いできるレベルじゃないわ。お金でも出さなきゃホテルなんて行ってくれるはずないし、ヘンな写真が撮れるわけない。そういう子の親なら面倒なのはわかるわ」
一瞬カッとなりそうだった。でも、思い直した。「パパ活」は事実だし、細かい事情を説明してもどうせ分かるはずがない。
『なによりも、あの親は、そういう感じだもんな。そこは間違ってないんだし』
むしろ、誤解を利用して警戒させて、直接親に連絡が行かないようにさせた方がいいと判断した。
「えっと、まあ、色々と抱えてる子だからさ。対応も考えた方がいいと思うんだよ。とりあえず、動くのを待ってもらえませんか?」
「今は動くに動けないのは確かなんだけど、どうして?」
「たまたま、オレは、その子の事情を知っているんです。だから、それを会って説明したいなって。それから考えてもらえませんか?」
レイさんが黙った。
「……ね」
低い声だ。
「はい?」
「あのさ、立ち入ったことを聞いちゃうみたいなんだけど」
「はい」
「ゆー君は、その子と大丈夫なの?」
一瞬絶句してから「大丈夫って言うのは?」と返したら、いくぶん慌てたような声で「ううん。ごめん。余計なことを聞いちゃったね。忘れて?」と返ってきた。
慌ててフォローしてくれるけど、ひょっとしたら何か誤解された? いや、ともかく下手に動かれるのはヤバい。あのクズにだけは話を持っていったらダメだ。
「ええ。オレがその子のことを知っている事情もお話ししますので。ただ、その子の親はホントにヤバいんで。それだけは頭に入れておいた方が良いと思います」
「わかった。ありがと。その子の親はヤバい人なんだね? じゃあ、ゆーくんのアドバイスを聞いてから対応を考えるから」
「そうですね、そうしてもらった方が良いと思います」
「ありがと。聞いて良かったぁ。ホント、頼りになるよぉ」
「いえいえ」
「あ、じゃあ、日本に着いたら、一度会って貰えるかな? 受験前にヘンなことに巻き込んでごめんね」
「いえ、ご心配なく」
とにかく、親とか学校に連絡されたらマズい。場合によってはシュガーもつれてくか。
「じゃ、とりま、ウチの親には焦って動かないように言っておくから。そっちの子にフォローは頼めるかな?」
「佐藤さんにですね? もちろんです。後輩なんで」
「わかった。突然ごめんね。そして、ありがと。じゃあ、日本に帰ってから、また!」
「はい。またよろしくお願いします」
シュガーの親バレだけは防がないと。
とりあえずは、これで良かったんだよな?
「先輩。あの、何となく聞こえたんですけど、それってやっぱり、あのストーカーのことですよね」
「うん。あ、じゃあ、今わかってることを説明しておこうか」
まだ、去年のこと。
あの時、まるで酔っ払いが絡んでくるように、わけのわからない何事かを怒鳴り続けた、あのオヤジの顔をチラリと思い出しながら、レイさんのことを説明した。
青ざめていくシュガー。
『あ~ これ、間違いなく厄介なことになるぞ』
目の前の女の子は守ってみせると、心に誓っていたんだ。
タマちゃんは、静香の帰る日=レッスンの日は「見守るため」と言って裏門のそばにあるベンチでお昼を食べることにしました。
(節約のため自分で作っています)
「一緒にお昼を食べる」と周りの目が誤解するといけないのと、どのみち祐太がお弁当を食べられないのは計算のウチ。
少し離れたベンチで食べます。
最後に「食べきれないんで一切れだけ」を渡して食べてもらう作戦です。