第16話 坂下先生との面談
国公立を第一志望にしている生徒は150人ほど。
共通テスト前の最終面談は、講習の後の時間に割り当てられてる。5人の教師が手分けをして土日を含めた2週間で行う。
予定表とは変わって、オレは坂下先生の担当。しかも順番は本日のラスト。
『普段はホンワリしているし、けっこう優しい系の美女なのに、物言いがキツらしいんだよな』
ズバリと核心を突いてくるから「坂下の面談はメンタルやられるよ」ってのが3年生の評判だ。
予定表を見て安心してたのに、当日張り出さされた指示に「変更」の文字が記されて担当が坂下先生になっていた。しかも本日の最後だ。
『これじゃ、やりたいホーダイになるじゃん』
優しい顔でズバズバ言われるかと思うと、思い当たることが多すぎて、余計にブルーだ。
いざ始まると坂下先生のブースだけ妙に時間が押して、オレが始まる時間には、他のブースは全て終了。
進路指導室には人影がなくなってしまった。
ため息もつきたくなる。
開始早々、PCを突きつけられた。
「思ったより伸びなかったわね。伸びるどころかフミ高歴代でも記録的な破綻よ」
笑顔の坂下先生から、いきなりグサリとくる言葉。
「あなたのキャパから言っても、夏までのデータから言っても70は楽に越えると思ってたんだけど」
「すみません」
パッと出してきた模試の偏差値だった。ノートPCに表示されたグラフはフミ高生の過去のデータと重ねられて、明らかにオレの伸び方が低すぎるっていうか落ちてるのがわかる。
わかっちゃいるけど、可視化されてしまうと、やっぱりガックリくる。
「あくまでも、共通テストのでき次第だけど、これで薬だとしたら、千葉の中後期は危ないと思う。名大か九大っていっても、どっちも名門だけど、この辺りもギリギリだと思うわ。場合によっては後期日程まで視野に入れておいてね」
「はぁ。覚悟はしてます」
「ふぅ~ やっぱり影響は絶大だったわね」
「え?」
「そりゃ、無理ないか。本人があれなら、あなたも当然影響を受けちゃうだろうし」
言外に、しーのことが持ち出された。
『そりゃ、先生は合唱部の顧問だし、このあいだのシーンを見られてるもんなぁ』
坂下先生が通りかからなければ、オレ達は公衆の面前でキスするところだった。さすがに、いくらフミ高でも、これは問題になっていたはずだ。
『あんなシーンを見てるんだ。オレとの関係なんてバレバレだよね』
先生が言っているのは、しーの留学の件だ。総合型選抜に合格しておきながら「留学のために合格辞退」を持ち出したのだから、学校は大騒動になった。
「その節はすみませんでした」
「あら、やだ。あなたが謝ることないわ。彼氏さんとは言っても、保護者じゃないもの。それに総合型選抜だから形式として学校は関わってないの。一応、進路主任と一緒にお詫びに行ったけど向こうは事情をこっちよりもご存じで、とっくに諦めムードだったみたいよ」
「え? 大学が知っていたんですか?」
それは初耳だ。
「そうみたい。むしろ、なぜ今ごろ?って感じだったそうよ。ま、このあたりは個人情報だけど、君は身内みたいなモノだから、この程度は話しても良いわねっていうか、むしろこれは新井田さんに言ってはダメなことだからね」
「はい」
「あ、オレにはなんで言っても良いんだ? って言う顔ね」
この人、何気に鋭くないか?
肩をすくめた坂下先生は「そりゃね、前代未聞なのは確かよ」と笑顔で話している。
留学を選んだことで、しーは「合格辞退」を選んだ。学校推薦型だったら、ホントに一大事だっただろう。しかし「総合型選抜」は、あくまでも生徒個人を見て、大学が合格を出しているため、高校に責任はないということが建前だ。
それを考慮しても、しーの行動は問題とされた。
フミ高として何をどうするのか揉めたらしい。ハッキリ言えば「なんらかの処分をしろ」という話があったんだ。特に進路部の坂下先生以外の先生達が怒っていた。
けれども、最終的には、まさかの「お咎め無し」になったのには驚いた。
最悪、謹慎くらいはあるかもって思ったんだけどな。
オレの疑問符が顔に出ていたのかもしれない。
「日本中に名前を知られたJK歌姫が留学するせいで高校から処分されたなんて漏れたら、校長が議会に呼び出されかねないの」
くすりと笑いながらも、含まれている微妙な毒成分。
あ~ なんとなく、わかりました。大人の配慮ってやつですね。校長先生が保身第一で、処分するのを嫌ったってことか。
言わんとすることを理解したと思ったのか、坂下先生は「そうなの」と一人頷いている。
やめて! 私の心を読まないで!
この人、大人しそうな顔してるけど、案外とタヌキなのかも。いや、どっちかというと「メギツネ」か?
「今、失礼なこと考えてない?」
「いえ。そんなことないです」
「ま、いいわ。どっちみち、もう、彼女の進路の話は学校から離れたの。留学の最終決定は、むこうさんの返事待ちよ。音大からも『酒井先生の話なら間違いはないでしょう』って、ヘンに保証されちゃった」
微苦笑を浮かべた坂下先生は、ふっと思いついたように言った。
「聞いたわよ。昨日の校門の件。君がやらせたんだって?」
「え? いや、ぼくはそんなことは」
「ふふふ。いーの。ぜんぜん悪くないから。むしろ感謝してるわ。ただ、それなら私にも声を掛けてくれれば良かったのにって思ったわ。聞きたかったなぁ」
「いえ! あの、あれは突然、しーが勝手に歌い出しただけで」
「あ、ごめんごめん。責めてないからね? むしろ、留学の背中も押してくれたんでしょ? これで10年、いえ、5年後には音楽界の宝石が誕生よ。一人の音楽人としては感謝してるんだから」
にこやかにサラリと言われたが、その笑顔の薄さと口調に微妙な引っかかりを感じた。
目を真っ直ぐに見つめ返す。
センセイハ、ナニカヲイオウトシテイル。
「何か言いたそうね」
「先生の率直な意見は…… 聞いても良いですか?」
「他の人の個人情報に関わるから、言えません」
思った以上にビシッと言い切られた。
「だけど、あなたの話なら別よ」
オレの話? 何で?
「僕の話が、なんで?」
笑顔を消した坂下先生は、小さなテーブル越しに身を乗り出してきた。
「このところのあなたの様子を見ている限りだと、あなたが知っているんだってことを想像してるの」
「知ってるって」
なんでそれを? 答えて良いのか?
オレの逡巡にダメを押すように、ゆっくりと言葉を吐き出してくる。
「彼女の留学は、しばらく会えないっていうだけじゃないわ。知っているんでしょ?」
坂下先生は、知っているんだ。しーがヤツと一緒に住む話まで。
返事ができなくて、オレは一度目を閉じた。全てを諦めるかのように。
ため息を一回だけ吐き出した時、坂下先生が立ち上がる気配を感じた。
目を開けた時には、すぐ横に立っていた。
ポンと肩に手が載せられた。
「辛かったね」
とても、優しい表情だった。言葉が出なかった。
「ごめんね。立場上、あなたに教えてあげられなかったの。酒井先生のところに、もうレッスンに行っているのも聞いているわ」
「それは、しーが話したんですか?」
「レッスンのことだけは教えてくれたわ。でも、事情を見抜けないほど間抜けじゃないつもりよ」
小さくため息を落として、先生の視線が外される。どこかしら、何かを諦めた表情に見える。
『先生はレッスンの秘密も知っているんだ……』
「ごめんね。あなたたちの関係が、私はよくわかってなかった。あ、仲良しなのは知っていたわ? 有名カップルですもの。でも、いくらカレカノでも留学の件は個人情報になることだから言えなかった。まして、巨匠酒井のウワサ話なんてことを告げて、波風を立てるわけにはね」
ごめんなさい、と先生が両手を揃え、深々と下げてきた。
「先生、止めてください。先生の責任は一切ありませんから!」
「ありがとう、そう言ってくれて。他の先生方は、こっちの業界のことは一切ご存じないわ。だから、気が付いているのは、私と、あなただけよ」
何を、と言う目的語を喋ってないけれども、先生の顔を全てを語っている。
「いち教師としては、それに一人の人間として、この話は止めるべきだった。それに教師という枠を越えて、あなたよりもず~っと年上の女として、もっと早くあなたに教えるべきだった。それは反省しているの」
「あなたの気持ちがわかるなんてことは簡単に言わない。たぶん、誰も間に入れないくらい……」
一瞬言葉を切った先生は「愛し合っているんだなって思った」と一気に言った。
先生から「愛し合う」なんて言葉を聞くとドキッとする。
「そういう愛情を受け取れる新井田さんは同じ女としては羨ましいわ」
先生の目は、むしろ憐れみを浮かべていた。
「えっと、あの?」
「苦しいでしょ? よく耐えてる」
「先生、あの」
「ここだけの話よ? それに、これは新井田さんには言えないけど」
「はい?」
「あなたが知っていると言うことに、彼女は気付いてない。気付かせてないのね。本当にすごい。だから、余計に苦しいよね? もっと素直になっても良いのに」
何かに苦しんでる時って「苦しんでるんだな」ってわかってくれる人がいる、っていうだけで、何かのストッパーが外れるときがある。
オレは人生で初めて、それを学んだのかもしれない。
気が付けば、先生のスカートに顔をこすりつけて、みっともなく、情けなく、とってもとってもひどい顔で、泣きじゃくっていたんだ。
共通テストの翌日(2日間かかります)は、学校で自己採点を提出。各予備校がデータを集めて木曜日までにデータを戻して、最終的な受験校を決めます。テストから出願まで時間が無いため、国公立組は出願作戦を何パターンか作っておくことになっています。私立の共通テスト利用者は、共通テスト前の出願が多いので、とっくに面談が終わっています。