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ただ、君を応援したかった  作者: 新川さとし
冬 12月~3月
130/169

第15話 坂下先生の頼み


 3回目のレッスンの翌朝。 


 初回の反省から、オヤクソクが一つできた。


 レッスンの翌朝の朝食を自分でやるということ。


 しーは最後まで心配してたけど「こういう時期だから、たとえ心配してくれてるからであっても、余計なことでイラつきたくない」と説明することで決着した。


 そして、レッスンの時以外、普段の様子は、だんだんと変わらなくなってきた。


 オレが()()()()()()()()しきりに気にするし、理由もなくひっついてこようとする。いつもと違うと言えば違うし、ずっとこうだったと言えばそうかもしれない。


 一緒に部屋を出るのが当たり前になりすぎていたせいか、逆に朝イチに玄関前で合流すると何となくぎこちなくなるのが不思議だ。


 外にいるのは静香が先なのに、声を掛けるのは祐太が先になる。


「おはよ」

「おはよう」 

 

 並んで歩いても黙りがちなしー。オレも何を話しかけて良いかわからなくて黙って歩く。


 校門が見えたあたりで「ね?」と言葉を出した。とっても言い辛そうだ。


「来週からなんだけど」

「ん?」

「レッスンを増やしてもいいかな? 週三回」

「おっ、頑張るね」

 

 ダメだなんて言えるわけないじゃん。


「ほら、共通テストも受けなきゃだし、冬休みに入ったらテストまではお休みにしてもらおうと思うの」

「なるほど。受ける以上はしーも勉強しなきゃだよな?」

「うん。一応だけどね。特に英語は頑張るつもり。向こうに行っても英語は何かと使えるって」

「そっかー」

「冬休みは、勉強とゆーのお世話三昧だね」

「ありがと」


 一拍空いた。

 

「でね?」

 

 ん? 話がまだある?


 わずかな緊張が見える。


「共通テストが終わったら、先生がレッスンを毎日にするって言ってくださってるの」

「おぉ、ますます熱が入るね!」


 笑顔を作るのには慣れたけど、慣れない。


 笑顔の下に憂鬱そうな光が見えてしまうのはひいき目なのか。


 一方で、レイさんに言われた「すぐに毎日になる」という予言が現実になったのだと腹の下の方に冷たい何かが取り憑いてきた。


 頑張って笑顔を出してるけど、頬が強ばりそうだ。


「頑張ってみるね。応援してもらってるんだもん」


 前を見つめたまま、しーは背筋を伸ばして歩いてる。その言葉は、どこか独り言のようにも聞こえた。


「ところで、坂下先生の話、どうする? 受けるの?」

「うん。酒井先生に相談したんだけど、発表の場は多いほど良いって仰ってくださったわ。それもあって、レッスンが増えるんだもん」


 そうだよなぁ。オッサンが毎日ヤリたがるからだなんて言うわけにはいかないもんな。先生の「お願い」のおかげで毎日、オッサンの部屋へ行く理由ができたんだ。


 オレ達にとっては良かったかも。


「コンサートは、いつだっけ?」


 分かっていることを、わざわざ聞いてみせる。


「卒業式の翌日だよ。場所はいつものホール」


 先生からの「お願い」の正体は、合唱部の卒業コンサートへの参加。それもソロを歌ってほしいということだった。


 なにしろ合唱部の元部長は、今話題のJK歌姫だってのは知れ渡ってる。


 ちょっと前に校長から「卒コンに出演させてほしい」とねじ込まれたらしい。


 普通なら断る。


 しーが巨匠の個人レッスンを受けていることは坂下先生も承知している。合唱部顧問としても、そのために部活を辞めている生徒を卒コンだけ参加させるなんて立場が無くなるだろう。


 坂下先生も困ったらしい。


 校長の個人的な頼みと言うだけなら断りようもあった。


「せっかくだから、ぜひとも出演を。プロになる前に、ウチの生徒として聞ける最後のチャンスだろ!」


 そんな風に同窓会からも、PTAからも「強いお願い」という名の圧力が掛かった。おまけに、東京都教育委員会からも「都知事からも要望が出ている」と非公式の打診があったらしい。


 「東京都教育委員会児童・生徒等表彰の特別賞に選ぶ予定だ」とご褒美まで付けてくる周到ぶりだ。


 いや、それだけではない。いつの間にか嗅ぎつけた天下の国営放送からも「ソロシーンだけでも流せないか?」という問い合わせまで入ってしまった。


 そこまで言われてしまうと坂下先生も断りにくい。

 

 せいぜい、テレビは個人的な取材だけにして欲しいと答えたらしいが「コンサートの音声ファイルだけでもほしい」と言われると、校長が先にOKと答えてしまったらしくて断り切れなかった。


 卒コンは、毎年録音して部員に配っていることも知られていた。だから、一つ譲ってくれと言われれば断る理由が見つからないのだ。


 しまいには東京都知事が聞きに来るという話にまで発展していた。


 何度もしーに「ごめん」と言いながらの話だったらしい。


 話を聞いて気がかりだったのは二つ。一つは「部のみんながどう思うか」ということ。そして巨匠がどう思うのかということ。


 部長となった萩原さんを中心に、全員が「一緒に歌いたい」と大歓迎の姿勢を見せてくれた。この辺りはしーの人徳もあったんだろう。それに「プロ級の歌手と一緒のステージに立つ」というのは、普通の高校生にとっては魅力的だもんね。


 最終的に「それなら酒井先生の判断次第で」となった。


 こうして巨匠のOKが出た以上、それを断るセンはなくなったということ。


「じゃあ、曲を決めないとだね」

「もう、3曲中の2曲は決まったよ?」

「はやっ!」

「1曲はみんなと歌うの。ほら覚えてる? 新歓コンサートで歌った」

「『春の海の歌』だっけ?」

「さすがぁ。ちゃんと覚えてくれてる」

「そりゃね」

「そうなの。あれなら、他の卒業生も自信を持って歌えるだろうし」


 あ、ちゃんと、仲間のことを考えての選曲か。しーらしいな。


「それと、みんなの耳に馴染んでる英語のポピュラーな曲を探す予定よ。これが決まってなくて。坂下先生が考えてくださるって」


 当日のお客さんには、普段クラシックを聞き慣れてない人も来るからということで坂下先生から勧められた「作戦」らしい。


「それと、中原中也って覚えてる?」

「あ~ 汚れつちまつた悲しみにってやつだろ」


 つい最近、思いだしたよ。


「そうよ。あの人の山羊の歌という詩集に納められている一つで『悲しき朝』という詩があって、それに昭和の大御所というか酒井先生のお師匠さん格になるそうなんだけど、信田光政先生が軽やかな曲を付けたの」

「へぇ~」

「悲しいっていう題名なのに、とっても軽やかな曲で。これなら、3月に合ってるかなって思ったわ」

「どんな曲なの?」

「え~っとぉ…… あ、昨日、ミッチリ練習したから、ちょっとだけ歌ってみて良い?」


 驚いた。しーが自分から、そんなことを言い出したの初めてだ。


 アウンの呼吸でカバンを受け取る。


 目で「ありがと」と言って小走りに前に出てクルリン。


 校門から真っ直ぐ入ったモニュメントをホールの壁に見立てて、姿勢良くスッと立った。


 それだけでも、絵に描いたような美しさだ。


♫ 河瀬の音が山に来る、


 迷いのない歌い出し。


 澄んだ声が朝の空気の中でピーンと張りつめた音として広がった。


 美しかった。


♫ 春の光は、石のようだ。


 ワンフレーズ歌っただけで、みんなが足を止めてる。


♫ (かけい)の水は、物語る

♫ 白髪の(おうな)にさも()てる。


 しーを取り囲むように半円ができて、少しずつ小さくなっていく。みんなの視線は釘付けだった。



♫ 雲母(うんも)の口して歌つたよ、

♫ (うしろ)に倒れ、歌つたよ、


 登校途中の生徒も先生も、全てが足を止めた。百人以上は集まってる。


♫ 心は()れて皺枯(しわが)れて、

♫ (いわお)の上の、綱渡り。


 軽やかでいて、澄んだ高い音から強い低音まで。


『すげぇ。しーの歌は知っていたつもりだったけど』


 ホンの少しの間に、素人のオレが聞いても別物だった。


 この歌声は別世界だよ。


 背筋がゾクッとなるって、こんなことなんだろう。


 音量が、さらにアップ。歌がクライマックスだと感じさせる迫力があった。

 

♫ 知れざる炎、空にゆき!


♫ (ひびき)の雨は、濡れ(かぶ)る!


 フォルテッシモで歌いきった!


 アカペラとは思えない圧倒的な響きが、聞いている全員の心を捉えている感じだ。


 おそらく間奏が入るんだろう。しーの歌が途切れてる。


 しかし誰一人として動かない。「次」を感じさせるオーラが、誰一人として身動きさせなかったんだ。


♫ われかにかくに手を(たた)く……


 高く伸びやかな音から一気に落として、しかも音量も一気に絞りつつ、余韻を残す響きが、長く、長く、長く。


 小さな音になっても確かな響きが続いて、そして ……途絶える。


 優雅な礼をしたとたん、取り囲む全員が、興奮の面持ちで拍手、拍手、拍手。 



 フミ高の朝が、異様な興奮で始まったのは確かだった。 




「悲しき朝」は、ちゃんとした曲が着いている歌もありますが

信田光政先生は、現実に存在するいかなる人物とも、全く関係のない

架空の存在ですので、ご了承ください。

なお「東京都教育委員会児童・生徒等表彰」というものは実際に存在し、毎年数十人が表彰されますが「特別賞」なるモノは存在しません。

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