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ただ、君を応援したかった  作者: 新川さとし
冬 12月~3月
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第13話 確信


 六時を過ぎた。


「勉強しなくちゃ。今日はぜんぜんやってないし。明日の予習も手を付けてないし」


 風呂からよろめくうように上がってから、まっすぐ机に向かったが、とてもではないがテキストを開く気持ちになれない。ウォーミングアップにと思った微分すら解くことができなかった。


 考えないようにしても「今、何をしている?」ということばかりを考えてしまう。いくら考えないようにしても、次から次へと見たくない姿が浮かんで、振り払うのに苦労する。


 公式を一つ当てはめれば終わるような問題ですら解き方がわからない。


「英語に変えよう。集中して読めば、ヘンなことを考えないですむ」


 自分の弱さに嫌気がさす。しかし、一つひとつの英文は読めるのに、文章が何を言ってるんだかさっぱり頭に入ってこない。


「音読だ! 音読するんだ!」


 中学生のように音読してみても呪文にしかならない。


「単語だ! こういう時は単語をやれば良いんだ」


 今日のノルマは終わっている単語帳に切り替えたが、ちょっと曖昧な単語になると少しも思い出せなくなっている。


「手を動かせ。ヘンなことを考えないですむように、全力で手を動かすんだ」


 大量に買ってあるボールペンで、ひたすら単語をノートに書いてみる。ゲシュタルト崩壊でもしたように綴りが出て来なくなる。しまいにはfだかbだかもわからなくなって、ペンをバキッと折る。


「気分転換をしなくちゃか」


 机に齧り付くのを諦めて、いつも通りに腹筋と腕立て伏せを試みる。けれども、腕立ての姿勢を取った時点で「この形はダメだ!」と、慌てて飛び起きた。


 心臓がぎゅっとつかまれる気がして「脚を折っている人間は、こんなポーズはできないんだぞ」と自分に言い聞かせてると、じゃあ、どんな形でヤッてるんだ?と考えてしまう。


 慌てて、机に戻る。


 せめて単語だけでもと思っても、文字の一つひとつが踊り出してくる。


「勉強するんだ! 集中打、集中!」


 受験生と言うこともあるが、今の祐太がことさらに勉強にこだわるのは、心理機制で言う「逃避」である。


 考えれば考えるほどに頭の中に湧き出してくるドロドロを何とか遮断しようとするなら、受験生の立場として()()()()()行動は勉強すること。


 要するにドロドロから逃げ出したいというだけのことだ。


 好きな人が、男に抱かれている姿が浮かぶ度に脂汗が流れ、うっとりとキスする姿が見えてしまう度に手が震える。


 どうにもならなかった。


『か、化学だけでもやっておかないと』 


 無理だった。しまいにが中学生でも知っている元素記号まで間違えて書く始末だ。


 開くだけ開いて、そのまま閉じたテキストが積み上がっていく。


 その時だった。


 机の端に裏返して置いてあるスマホが震えた。


 ガー ガー ガー


 着信のバイブ。


 反射的に手に取る。


 メッセが三つ。


「ただいま!」

「遅くなっちゃった」

「今、病院を出たよ」


 7時12分。


「寒いね! 雪が降ってるよ!」


 と届いた直後に「疲れた~」の吹き出しのついた柴犬スタンプ。


 返事をする暇もなく「すごく充実してた。頑張ったよ!」と送られてきた。


 目を閉じ、机を思いっきり一つ殴りつけてから、雷漢に教えてもらった雪だるまスタンプで「良かったね!」と送り返した。


「返事は大丈夫だよ!」

「ゆーのペースで勉強してて」

「私が勝手に送ってるんだから。休憩の時に見てね」


 気を遣ってくれているのがわかる。なぜだかわからないが、文字の一つひとつに、愛情だって感じる。


「これは本物なんだよなぁ」


 心から、そう思う。


 だからこそ、と唇を噛みしめる。


 机の上の何もかも、いや、部屋中のモノを壊して、窓から放り出してしまいたくなる衝動が生まれていた。


 文字を入れるだけで、なんで、そんなに脂汗が出るのか。


 わからない。返事をどうすればいいのかも分からない。なんで、こんなに優しい文面を送れるのかもわからない。


『ついさっきまでヤッてたんだろ!』


 またしても机をガンと拳で叩いてから「ちょうどノッてきたよ」と送った。


「気を付けてね」の雪だるまスタンプまで付けて、メッセを打ち切ろうとしている自分がいる。


 それなのに、それでも返事を期待してしまう自分が情けなかった。


 愛情一杯のメッセを打ってきたしーの指は、ついさっきまで男と指を絡ませあっていたのだろう。


 手の中のスマホを壁に叩きつけたくなった。


 ふっと事件を思い出した。


「マジで他人ごとじゃないのかもな」


 入院の原因となった男。現在、精神鑑定に入ったとニュースでやっていた。


『バットで人を殴るなんて無理だ。まして大好きな人をだなんて考えられもしない』


 けれども何かをメチャメチャにしたいという衝動が生まれているのは確かだった。


「オレはあの男とは違うぞ。だって、これはしーのためなんだ。オレは笑って送り出す。オレは何にも知らないんだ! しーが夢に向かって歩けるように、何も気付かないんだ。今日は夢に向かってレッスンを受けてきただけなんだからな!」


 絞り出す声で「よかったね」と言ってみる。


 声が震えていた。


「第一、今日、ヤッたとは限らないんだぜ? ホントに、歌のレッスンだけかもしれないじゃん」


 一ミリも信じてないことを呟いてみせる。


 そこに重なるように次のメッセが届いた。


「ケイさんの妹さんがピアノを担当してくださったの。芸大ピアノの4年生なんだって」


 ピンときた。浮かぶのは絶望。


『あぁ、なるほど。他の人もいたよってことを伝えてるわけだ。「だから、心配ないよ」と言いたいんだろうな』


 一見すると、このメッセは普通のことに思える。


 しかし、祐太が「知っている」とは思ってないからこそのメッセだと思えば、ちょっと意味が変わる。


 おそらく、巨匠の家でのレッスンや、夏の前に食事に連れて行ってもらったのを祐太が知っているという程度が、静香の意識のはずだ。


 だから「他の人がいたよ」は、祐太に余計な心配をさせたくない気遣いというわけだ。


『逆を言えば、心配することをしてきたってわけだろ? ってことは、ヤルことをヤッたから、その言い訳をしたくなるって心理じゃないのか?』


 今までのしーなら「ケイさんの妹さんが来てくれました!」とか言って、写真を送ってきたはずだ。ひょっとしたら、巨匠も一緒に写っているかもしれない写真を無邪気に撮るかもしれない。


「それがないってことは、おそらくウソ。ひょっとしたら100パーセントのウソじゃなくて、オーティオススの関係かなんかで最初に顔を出しただけって可能性もある。つまりはアリバイみたいなもんだろ。だってケイさんの妹さんとホントに一緒だったなら、相手次第だけどお茶くらいはしてくるよね」


 だから、これはアリバイ工作に違いない。


 今までのしーなら、絶対に考えもしなかった行動だ。するとかしないじゃなくて、考えもしなかった。


「わかっちゃうんだよなぁ。しーのことだもん。これはウソ。絶対、オレに心配を掛けないようにって思ってるんだろ? はぁ~」


 なぜか、ケイさんの妹が、のメッセで確定した気がした。


 恋人が他の男に3時間も抱かれていた。


 その事実を飲み込まなければならないのだろう。


『どんな顔をして迎えりゃ良いんだよ!』

 

 送られてきた「礼佳あやかさんっていうんだって」という文字を見ながら全身が震える。


「まあ、電話じゃないだけマシか」


 文字なら声の震えがバレない。


「何とかして、今日はウチに来させないようにしないと」


 しかし、良いアイディアが浮かばない。普通なら居留守でも仮病でも良いはずだが、静香には通用しない。


『この時間に出かけていればムチャクチャ心配するだろうし。具合が悪いとでも言おうもんなら、徹夜で看病されそうだもんなぁ』


 疲れ切って帰ってくるはずのしーに、そんなことはさせられない。


『だけど、この顔を見せるのだけはマズい。絶対にマズい。声だけでもダメだ』


 男なのに涙が止まらない。全身に震えが止まらない。例え面と向かわなくても、声でわかってしまうはずだ。


 まして、顔を見られたら……


 目の周りが腫れているのを、慌てて冷やしても焼け石に水。


 合唱部のコンサートの後みたいに、道々、メッセが来る。


「駅を降りたよ!」


 会いたくねぇ~ 今は、絶対に会えないよ!


 心からそう思った。


 そのくせ、自分はセコいと思う。  


 本当に、セコい。


 自分のセコさが嫌になる。


 廊下の足音をチェックしないではいられないのだ。


 しーの足音が通過する。


『帰ってきたか。かなり疲れてるな』


 足音で何となくわかる。ウチの前を通るときだけ「元気!」ってことを意識しようと思っていることまで丸わかりだ。


『ってことは、喜んで抱かれているわけではないんだよな?』


 それが、せめてもの救いなのか。それとも、疲れ切るほどに喜ばされたのか。


 やっぱり、オレってセコいなと思いつつ「後者じゃないと良いな」と思ってしまう。


 何も勝てない相手にオトコとしても負けたなら、どうにもできないではないか。


『我慢して抱かれているからって「好きでも無いヤツに抱かれるなんて辞めさせなきゃ」と単純に思えたら楽なのに』


 静香が自分以外に抱かれるのを喜ぶわけがないと信じたい。必要があると思っているからこそなのだ。

 

『ここで口を出せば、せっかく、夢のために我慢しているしーをじゃますることになっちゃうんだぞ』


 それはできない。


 目の前にあったノートをバリッと音を立てて二つに破ってしまってから「ヤバい、これを見つからないようにしなくちゃ、と慌ててカバンの奥にしまった。明日学校で捨てるしかないだろう。


 そこにメッセが入った。


「ただいま~ いったん、お風呂に入るね!」


 風呂に入らないと会えないようなことをしてきたんだよなと考えている自分が嫌になる。


 会いたくない。そのくせ、一刻も早く顔を見たい。


 10時頃に、ポン、ポーンと立て続けにメッセがきた。 


「今日のレッスンは、すごく楽しかったよ」

「あんなにしてもらったら感動レベル」


 柴犬が喜んで走り回るスタンプ。


「いっぱい話したいことがあるんだけど、すぐ復習をしなくちゃいけないの」

「明日の朝、行くね。先に寝てください」


 そして、3分ほどで「お休み」とメッセが来た。


 よーするに、今日のヤツとのことを振り返るってわけだと、祐太は頷きつつ、ホッとしている自分が嫌になっていた。



浮気から帰ってくると、まっさきに風呂に行く人がいます。

あれって、ちょっとでも注意深く見られてたらバレバレの行動ですよね。

かと言って付いたニオイは何とかしなきゃだし。

作者の友人は、浮気の後はひとり焼き肉をしてから帰ると言ってました。笑

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