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ただ、君を応援したかった  作者: 新川さとし
冬 12月~3月
126/169

第11話 なすところもなく日は暮れる

F市にいたとき、静香は既に抱かれている


ということは、祐太の頭の中で

既に「事実」となっています。


 祐太がパニックから回復したところまで時間を遡る。 


・・・・・・・・・・・


 

 この時期の3年生向けの「特別講座」は授業ではない。


 体調第一で考え、申し出れば受けなくても問題ない。まして優等生の祐太が帰ると言えば、担任は本気で心配するだけだった。


 さっきのは何だったのかわからないが、ともかく早退することにした。あれがもう一度起きたら、本気でヤバいと思ったのだ。


 自分も早退して先輩を送ると言い張ったシュガーをなだめるのに大変だった。途中、RINEをつなぎっぱなしにすることと、こんど家に招待する約束とを引き換えにした。


 通帳の件は既に静香にも美紀さんにも話してある。一度は会わせておく必要もあるので、ちょうど良い機会かもしれない。


 シュガーは最後まで納得してくれなかったが、なんとか授業に向かってくれた。


 ひと安心。


 道々、メッセを送りつつ、無事に帰り着いた。


『それにしても、今、授業中だろ?』


 平気でRINEできるのがすごいと思った。返信も即だ。


 進学校のフミ高ならではなのか、先生の目はゆるゆるだった。それに、タブレットの代わりにスマホを使っているふりをすれば、堂々とやれるかもしれない。


『ともかく、シュガーには世話になってしまった』


 この借りは返さねばならないだろう。


 ふっとシュガーの「感触」を思い出しかけて、慌ててかき消す祐太だ。


『そんなのを思い出すなんて、助けてくれたシュガーに失礼だろう!』


 手の中に蘇った弾力を振り払い、自分を叱る。けれども、頭の中に現れたシュガーは「ちゃんと覚えておいてくださいね! 忘れるつもりなら、復習してもらいますよ!」と叫んでる気がして、なんとも情けない。


 自分の都合に合わせて女の子を見てはいけないのだ。シュガーが自分を好きなのは間違いないが、しーがいる以上、その手を取る資格なんてない。


 そう。シュガーの手を取るわけにはいかないのだ。


『だから、早く忘れる。覚えておくのは恩義だけにするんだぞ』


 頭の中に出てきたシュガーが、またまた何かを言いかけるから慌てて打ち消した。


「それにしても、今日のあれは何だったんだろう?」


 ふぅ~ 


「死ぬかと思った」


 覚えているのは猛烈な恐怖。死がすぐそばにあった気がした。生まれて初めての経験だ。しかし落ち着いてから確かめてみると、身体のどこにも異常はない。


 それに……


『あの安らぎ感って、良かったなぁ』


 死の恐怖から逃れさせてくれたのは、珠恵の胸に頭を預けた安らぎだ。


 強烈な印象が残っている。


「おそらく、シュガーがオレの心を和らげてくれたおかげだ。そうしたら治まった」


 となると、体調と言うよりも自分の弱い心がそうさせたのだろうと思ってしまう。


『あれが、精神的なモノから来てるんだとしたら……』


 自分は、なんと弱い人間なんだろうと泣きたくなるが、ともかく気持ちを切り替えるために風呂に湯を張る。


 スイッチ一つでお風呂ができる。


 掃除はしーがしてくれていた。


 たまっていく浴槽につかまりながら、祐太はため息を吐いた。

 

 いつのまにか3時をとっくに過ぎていた。


「もう、始まってるよな?」


 3時の約束だった。


 学校から直接行けば、30分ほどで着く。


 午後からフリーな静香だから本当はもっと早い時間からでも良かったはず。


「理由があるんだよなぁ」


 準備のため、いったん家に帰りたいと静香は言った。


 学校と病院の位置関係からすれば余分な寄り道。しかし、さりげなく言いつつも、何がなんでも家に帰るというのは譲れないことだと見抜いた。


『家に帰る必要があったんだ。そうだろ?』


 着替えるためではない。制服で行っても何も悪いことはないのだ。家に帰る絶対的な理由は別にある。


『聞かなくてもわかる。しーの考えることだもん…… シャワーだろ?』

 

 体育があったわけでもないし、普段だったら、そのままどこにでも行く。オーティオススとの練習の時だって、シャワーにこだわった姿を見たことがなかった。

 

「だけど、今度ばかりはシャワーが必要なんだよね? つまり、そーゆーことなんだろ?」


 溜まり始めたお湯を見つめながら、祐太は4日前を思い出していた。気が付いてしまった日だ。


「あ~ 余分なコトなんて、考えなきゃ良かったんだよ! 知らなければ、知らなければ、もっと!」


 平和な気分でいられたのだろうか?


 わからない。ただ、知らなければ、こうならなかったのは確かだったろう。


 もちろん「教えた側」に悪気はない。むしろ祐太を気遣ってのことに違いないと思っている。レッスンの秘密だって、意図的に教えてくれたワケではなかったのだ。


『ルイさんもレイさんも、心配してくれただけなんだもんなぁ。恨むのは筋違いってモノだよ』


 静香の留学について、祐太が相談できる相手がいなかった。ひょっとして、宗一郎がいれば違ったかもしれないが、今、ちょうど四国に渡ったところらしい。


 念願の旅をしている相手に、こんな話をするわけにはいかない。なによりも、宗一郎のことだから、ちょっとでも話を漏らしたら心配して旅を中断しかねない。


 さすがにそれは申し訳ないから無理だ。


 となると相談…… と言うよりも愚痴を聞いてくれる相手が必要だったのだ。


 一人で堪えることができずに、ルイとレイを頼ってしまったのだ。


 最初の返事は、どちらも同じ。


「おめでとう」


 その次が違った。


「よく我慢したね」


 それがルイの言葉。


「心配だろうけど大丈夫。心は変わらないから」

 

 レイさんからは優しい言葉。


 最初のダメージはこれだった。


 何を我慢するのかは「会えないこと」と自動で補完できる。よく考えれば、この言葉も落ち込む原因となったが、とにかく、そのまま受け止める分には問題なかった。


 だが、レイさんの言う「心は変わらない」という言い方は、巨匠との肉体関係を前提にしているのは、すぐにわかってしまう。


 このメッセを受け取って、祐太は脂汗を流すことになる。


 考えないようにしていたが、これが一番の問題なのだから。


『F市の時みたいに何週間って限定じゃない。何年もヤツの家で一緒に住む。そうなったらいくらでもするよな? つまり、レイさんが言ってるのは、何度も何度もヤツとヤルけど、しーかの心は変わらないよっていう意味だよな』

 

 一緒に住むとは、そういうことだ。


 どうみても、ヤツは静香を気に入ってる。きっと頻繁に抱くはずだ。


『そこをオレが()()()()()()()、しーは留学なんてできなくなる』


 祐太が辛そうにしていて、それを平気で踏みにじることなんてできない子だから。


 祐太は、出発まで、いや、最後の最後まで徹底的に知らんぷりをするしかないのだ。

 

 苦しかった。どんなに耐えようと頑張っても、やっぱり誰かに泣き言を言いたくなる。


 わかってもらえるのはルイとレイだけ。


 ルイからもレイからも、祐太の苦境を慰めようという優しいメッセージが届き続けた。

 

 しかし、少しずつやりとりをしていくうちに、恐ろしいことに気付いてしまった。


『二人とも慰めのポイントが、留学した後と言うよりも「今」になってないか?』


 留学後はもちろん、来週から始まる「病院でのレッスン」を気遣ってくれているという事実だ。


 そこから祐太は計算した。


 巨匠の病室は特別室だ。カギくらいはかかってもおかしくない。


『既にエッチしたことがあるんだ。その気になればいつだってできるってことか? でも、ヤツは今、動けないって言ってたよな?』


 歩けもしないどころか両手両脚にギプスをしている状態でセックスなんてできるはずがない。

 一方で、レイもルイも病室ですることを前提にして気遣ってくれている。


 導き出せる合理的な解は……


『うわぁああ!』


 祐太は「わかって」しまったのだ。


『つまりはウソなんだ!』


 それが結論。


『ヤツが歩けないのは本当かもしれない。でも、実はもっと怪我が軽かったら? あるいは回復してたら? しーかだって、ヤツが元気だよって教えちゃったら、オレが悪い想像をするかもって考えるはずだ』


 だから「先生は動けない状態だ」と思わせなければならなかった。


『もう、女を抱くくらいはできるくらいになってるんだろ? あ~ だから、こっちに転院してきたのか』


 動けない状態だったら転院なんてできないだろうとも想像した。


『レッスンという名前の下に、その日から始まるというわけかよ』


 静香がウソを吐いていると思いたくない。だが、祐太が聞いたとおりの事態とは違うのだろう。


『何がホントなんだ?』


 あれこれ悩んだあげく、結局、レイさんにダイレクトな質問をぶつけてしまった。


「病室でも、ヤルと思いますか?」

 

 あるいは、女性に聞くべき内容ではなかったかもしれない。けれども祐太もタガが外れた状態だったのだ。


 いつもと違って、少し時間をおいて返事が来た。


「先生の奥様は、もうこっちに戻ってきてるの」

 

 祐太は息を呑んだ。そして、返事に迷う間に次のメッセが来た。


「レッスンは週に何回なの?」


 どういうことだろう? 意味はわからないが、正直に返事を送った。


「12月中は週に2回みたいです」


 それはウソではないはずだ。予定表にもそうなっている。


 そして、再び間が開いて、浮かんで来たメッセージがこれだ。


「始まったら、すぐ毎日になると思う」


 心臓が破れるかと思った。


 そしてすぐに送られてきたのは、スタンプではなくて、言葉の「ごめん」だった。


 それが「答」ということ。


 祐太は、絶望するしかなかったのだ。



・・・・・・・・・・・



 あれから、身体が食べ物を受け付けなくなって、今に至るのだ。


 いつの間にか風呂ができていた。


 4時を回っている。


『もうヤッてるかも。レッスンなんて、どうせ1時間くらいだろう?』


 湯船に身を沈めながら「あと3時間もあるじゃん」と計算してしまう自分が嫌になる。


『くそ~』


 病院の夕食は7時だ。さすがに食事が運ばれるまでには終わらせるだろう。


 頭の端で「どうせ、今回で終わりじゃないんだから、メシを食って、またみたいなことまでしないだろう」と考えしまう自分を呪いたい。


 振り払っても振り払って、静香の裸身に身体を重ねていく男の姿が湯面にチラついて、ザバザバと意味もなくかき回す。


 唇のところまで身を沈める。


 磨りガラス越しの日差しは早くも夕日と呼ぶには頼りない光となっている。


 日が沈む。


「オレも、このまま沈んじゃえば死ねるのか?」


 そこまで呟いてから、今日の「恐怖」をふと思い出した。


『あの時死んじゃえば良かったのか?』


 レッスンの秘密を知った日から、全てを受験のストレスのせいにして、静香の目の前では笑顔になろうとして頑張ってきた。


『思ってたよりも、オレは本当に弱虫だった。なんてつまんない人間だよ。しーのために何にもできないのに!』


 「行くな!」と何度言いかけただろう。


 両手をついて「留学は止めてくれ」と頼みたい衝動が何回溢れそうになっただろう。


 笑顔の代わりに、涙を見せそうになったのなんて、数え切れない。


『だけどさ、オレに止める資格なんてないじゃん? しーの夢を叶えるために、オレは何にもしてやれないだから』


 それに引き換えと考えてしまう。


「悔しいけど、やっぱりヤツは天才だよ。あのゲネプロで見た姿はカリスマだったもん。しーが憧れたっておかしくないよ」


 自分の愛する人が、夢を叶えて世界の舞台に立てるんだぜ?


 何にも持ってない人間がつまんない嫉妬でチャンスを壊すなんて、やって良いことじゃない!


『自分のために好きな人の夢を潰す? そんなのクズがやるコトじゃん』


 そんなことは絶対にしたくなかった。


 実際問題、()()のは簡単なのだ。「行くな」という必要もない。


『だって、しーはオレのことを愛してるから』


 愛情だけは疑う気持ちになれない。


「たった一言でいーんだよ。『ヤッてるんだろ』って」


 それだけで、静香は全てをその場で投げ捨てる。


『泣きながら謝ってくれて、留学どころじゃなくなる。下手したら、一生涯、歌なんて捨てると誓って、オレのそばにいようとするだろう。贖罪とか言っちゃって。しーは、そういう子だもん』


 だけど、それをしてどうすると言うのか。


『しーの夢をオレの嫉妬で壊して、それでずっとオレのそばに置いて。生涯、しーに対して罪悪感を感じるんだろ? オレはしーのためにあの時になんてことをって後悔しながらだ。そんなの、良いワケないじゃん』


 だから、できることをする。


 静香が迷いなく進めるように笑顔で送り出してあげることだけだ。


 ふと、時計を見た。


 もうすぐ17時になる。


『2時間か。さすがに歌は終わっただろ? まあさ、最初は本当にレッスンだよね。でも、もう、今の時間なら終わっててもおかしくない』


 光輝の家に行っていたときのレッスンは1時間半か、長くても2時間だった。


「そろそろだよなぁ」


 もう脱いでいるのだろうか?


 腹の底から、何か凶暴なものが湧き出してきた。


 ぐわぁあああああ!


 風呂の中に顔を浸けて叫ばずにはいられなかった。


「ぷはぁああああ!」


 限界まで潜った祐太が、顔を出した。


「結局、なんにも変わらないじゃん。風呂で溺れ死ぬ勇気もないんだし」


 ここで祐太が死んだら、静香が夢を追えなくなるのは目に見えてる。

 

 今この瞬間、静香が抱かれているのなら、自分には何ができるのか。


 わからない。


 ふっと、昔、宗一郎と話したことを思いだした。


「好きな女がさ、人に取られるって、どんな気分だろう」


 あれは、2年生の頃に中原中也の詩をやった時だ。


 同棲していた相手を、東大生の都会派、小林秀雄に奪われた。敗北したのだ。


 その敗北を詩にしたのが『汚れつちまつた悲しみに』である。


 不思議と、あの詩を覚えていた。



『汚れつちまつた悲しみに』

         中原中也


第三連から

 

汚れつちまつた悲しみは

なにのぞむなくねがふなく

汚れつちまつた悲しみは

倦怠のうちに死を夢む


汚れつちまつた悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れつちまつた悲しみに

なすところもなく日は暮れる……



「はぁあ! なすところ、なしかよ」


 ふと磨りガラスの窓をみると、もう、外は真っ暗だ。



 雪が降っていた。




 自分を捨てた女性が小林と暮らすようになってからも、度々、小林家に遊びに行って、メシまで食っては、その度に何かとその人に文句を付けるんですから、ヒドいと言えばヒドいw

 

 いや~ すごい世界ですね。


 ところで、留学の後で、静香が巨匠のコンサートで歌ったら、それを聞きにいけるんですかね?


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