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ただ、君を応援したかった  作者: 新川さとし
冬 12月~3月
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第4話 七から一へ


 笑顔の遊海は、一転して眼光鋭く息子を見つめた。


「今日のデキなら、真を打った奴と並べても恥ずかしくねぇぜ。つくづく、おめぇにゃあ才能があると思ったよ。悔しいがオレ以上の才能だ」


 茉莉は、またしても「え?」と思った。


 テレビで見かける遊海が、異端児という言葉以外に「天才」という言葉が常につく人だということくらいは常識の範囲だ。


『ライライは、それ以上の天才なの? でも、落語をやめちゃうでって、どうして?』


 マジマジと茉莉は見つめてしまう。

 

 遊海は、ふぅ~ と大きく息を吐き出して、首を振った。


「おめえは将来が楽しみだった。期待してたんだぜ?」

「ありがとうございます」

「だがなぁ。目が…… その目はイケねぇなぁ」


 チラッと茉莉を見てから息子を見た。


「守りたいと思ったんだな? お客さまを笑顔にして幸せを呼び寄せるんじゃなくて、直接、大切なものを守る力を持とうとした。そんな決意を持った目だ」


 遊海は、息子をじっと見つめながら「男としちゃぁ、そりゃ悪くねぇ、だがな」と表情を緩める。


「そんなにおっかねー目をするヤツぁ噺家なんぞできねーよ。お客さんが怖がっちまうからなぁ。おめえも、それがわかって決心したんだろ?」


 いきなり、カッカッカと、陽気に笑う遊海だ。


「すみません、師匠。せっかくここまで見ていただいたのに」


 どうやら、遊海の見立ては当たっているらしい。


「いーってことよ。落語家・遊海としちゃガッカリだが、神田雷漢の父、神田雷蔵としちゃあ、息子が自分の大切な人を見つけて、生きる道を決めたんだ。これ以上に嬉しいことはねぇぜ」


 そして、茉莉の母に顔を向けて「ねぇ? 今までに、何があろうと、子どもが自分の道を選ぶってのは、親にとっては最高ですよね?」とニコリ。


「あ、そ、それは、あの……」


 母親は、言葉に乗って良いものかどうか、ためらってしまう。


 それほどに、遊海が言うのは、今の母親にとって都合が良すぎる言葉だった。


「噺家ってぇのは、こうなる前はメチャクチャなヤツが多いんですよ」


 遊海は、再びカカカと笑って「現に、あたしだってそうだ」と頷きながら語りかけている。


「昔は暴走族ってのがありましてね、あたしゃ八王子辺りで鳴らしたもんですよ。あんまりヤリ過ぎたもんだから危うくモンモン(入れ墨)を入れちまうところでしたがね」


 いきなり足を崩した。


 イタズラッ子のような顔で、崩した足首を両手で掴みながら、嬉しそうだ。


「あたしみたいにグレてたヤツも多いし、サラリーマン、板前に、漁師。最近じゃ学生上がりも増えまして。中には小学校から学校にいったことがないヤツまでおります。あ、警察官だった奴は見かけねぇか。良かったよ、警官が来たら、あたしが逃げなきゃなんねぇ」


 落語よろしく、小さな動作でコソコソと逃げていく仕草に、申し訳ないと思いつつ、茉莉も母親もクスリとしてしまった。


 その笑顔を見て満足げな遊海だ。


 どうやら無理やりでもクスグリを入れない(笑わせない)と気が済まないらしい。

        

「でもねぇ、高座に上れば平等なんですよ。バカも利口も、スケベも荒くれも関係ねぇ。毎日、稽古をしてきたことだけでの勝負だ。だぁれも助けちゃあくれません。代わりに、お客様は、あたし達が噺家になる前の事なんて、何にも気にしちゃあいませんよね? 目の前に座った噺家が、今、何ができて何ができてねぇかってだけなんです」

 

 そして息子を見てニコリとしてから、茉莉の顔を覗き込む。


「誰に似たんだか知りゃせんが、こいつぁ私に似ず頭が良いらしくってね、なにを考えてるんだか、ちっともわかんねー時があるんですよ」

 

 ぐらぐらと頭を揺らして見せたひょうげた動きは、深刻な話しぶりとヒドく不釣り合いだった。


 しかし、いきなりピタリと頭を止めた遊海の目は、ただ真っ直ぐに、しかし優しさをもって茉莉を見つめてきた。


「ただね、倅が本気の本気で、一番大事(でぇじ)なあなたのために、何かをしようとしたってのはわかってました。こいつなりに一生懸命に稽古してきたもんをお聞かせしようとしたのは、今、この瞬間を見せたかったんだろうなぁと」


 脇から雷漢が静かな目で茉莉を見つめている。そんな息子をチラッと見てから遊海は唇をグッと噛みしめた。


「あのねぇ、お嬢ちゃん、オッサンは年のせいか、くどいんで、もう一回言わせてもらうよ」

「はい!」

「倅にとって大事なのは、今、こうして目の前にいらっしゃるお嬢ちゃんのことだけなんだよ。あいつぁ、今日で落語をやめる覚悟をしてた。だから、この落語は、今、嬢ちゃんの前で演るってだけのためにひたすら稽古してたんだ。やつぁ、自分の前にいる今だけを大切にしてくれってぇ言いたいんじゃねぇかなぁ」


 遊海が言わんとしていることを、先に理解したのは母だった。


 落語という形を使って、しかも、これを最後と決めながら、心血を注いで練習をしたのだ。


 ただ、今、この瞬間を茉莉に見せるために。


 それこそが「今の茉莉だけを見ている」という誠意のつもりだったのだろう。


 百万の言葉ではなく、練習に練習を積み重ねた「芸」によって伝えようとした。


 とんでもなく不器用で、遠回りなやり方だ。

 

 だが、だからこそ、伝わるものがあるのだろう。


 溢れんばかりの、ただひたすらの誠意を、いや、百万回「愛してる」と言うよりも重々しい愛情の表明なのだろう。


 母も、子も、言葉を喪った。


 とっさに声を上げられなかった。


 そして、傍らの娘を見た瞬間、母の涙腺が溢れ、母子は抱き合って涙を流したのだ。

 

 雷漢は父に目配せしてから、トンと一息で茉莉と母の横に座った。


「オレがまーちゃんを選んだんだ。お母さんのためにいろいろ考えた、優しい今のまーちゃんを愛してるんだ。それ以外は何の関係ない。お母さんも、これからのオレたちだけを見て下さい。きっと笑顔でいさせますから」


 それを見守る遊海は、とても優しい眼差しを見せている。


 母と子、そして、キリリと背筋を伸ばしながらも優しく抱きしめている息子を誇らしげに見ていたが、ムズムズッと肩を揺すると口角を上げた。


「あ~ これじゃあ、オイラの出番がないようなんだが、ちょっとだけ話しても良いかい?」

()()()。ここでネタに入らないでよ?」


 さっきまでとは違う、軽い返事だ。


「オマエなぁ。どうしてもって頼むから稽古場に入れたんだぞ?」


 どうやら、本気でジョークを、しかもブラックよりのジョークを言いたいらしい。落語家としての本能なのか、湿(しめ)っぽい場であったり、自分が真面目な話をしてしまったりすると、ついつい、バランスを取りたくなるのだろう。


 父親の、そんなクセを雷漢はよく知っていたのである。


「感謝はしてるけど、噺家のブラックジョークは一般人に通じないから、ダメ」

「え~ いや、大したネタじゃないんだよ? これなら「父さん!」あ~ どうしてもダメか?」


 コクッと雷漢が頷いたのをみて、渋い表情になる遊海。本気で不満らしい。こういうところは、ひどく子どもっぽいのだ。


「チッ、確かに親切かも知んないけどな、てめぇみたいなヤツを『新設の土管』っていうんだ、べらぼぅめぇ」

「「え?」」

  

 目が点になった茉莉母子に、雷漢は「新しい土管だから、ツマラナイってことですよ」と解説してみせる。


「「あっ、なるほど」」


 遊海も、少しだけ気が済んだらしい。


「ところで、落語を辞めるってぇことは大学に行くつもりなんだろ? どこかあてはあんのかい?」

「近所にある大学の文一ってところかな」

「ん? この近所っていやぁ、赤門か?」

「そ。東大の文一を狙ってる」


 茉莉は『ライライ、マジで東大を受けるんですか! すごぉい』と目を丸くしている。


 しかし、遊海もまた「エライ!」と叫んでいた。


 大学なんて全く興味の無いはずの父親が、なぜ?


 雷漢が(いぶか)しむと、イタズラ坊主の表情で足首を両手で掴みながら得意げに言った。


「そりゃ、文七(ぶんしち)元結で落語を引退するお前が、文一(ぶんいち)、もっと行くってぇんだろ? さすがオレの息子、シャレがわかってるじゃネェかよ! いいぞ!」

「あ……」


 天下の東大も、遊海にとってはシャレの一つに過ぎないらしい。さすがの雷漢も苦笑しか出て来ない。


「ま、ともかく着替えてきな。お母さんとも、お嬢ちゃんともゆっくり話したいからな。あ、実はウチの山の神()もそろそろ来るんだよ。声を掛けねぇで、美人さん達とメシでも食おうもんなら、後で、ヒドいことになるなぁ、あ~ 恐ろしや、恐ろしや」


 なんだかんだで、結婚以来、妻が第一の遊海は、芸人には珍しく「酒は飲んでも女はやらない」といわれている。 


 何ものも恐れなくとも、若い時から苦労を掛けた妻にだけは頭が上がらないせいだと言われている。


 この世界では「遊海は恐妻家だ」という噂をほしいままにしつつも、実は妻に支えられたからこそ好き放題に生きてこられたのだと、息子はよく知っている。


 だから「両親は仲良し夫婦だ」としか思ってない。


 サラリと受け流して頭を下げた。


「師匠、最後のお稽古ありがとうございました」

「おぅよ」


 なんだか照れくさそうだ。


「あ、名前の話だがな」

「はい?」

「おめぇが、いつか弁護士になってからでも高座に上りたきゃ演らせてやる。だが前座のままだと文七元結は掛けられねぇ。そん時ゃあ二つ目だ。雷山亭ほーちを名乗りな。法律の法に、知識の知、ただし、やまいだれを付けるからな。法痴だ。覚えとけよ、このぉ唐変木め!」

「師匠。法痴の名、ありがたく、頂戴いたします」


 きちんと頭を下げる雷漢を無視して、今度は母子に笑顔を向けた。


(せがれ)が着替えてきたら、せっかく浅草までお越しいただいたんだ。裏の大黒屋に天丼でも食いに行きゃせんか? 私も倅も大好物なんですよ」

「父さん、いきなり女性にドンブリとか」

「いーんだよ。何でもかんでも、美味けりゃ、それで良いじゃねぇか。見栄とか、上品さとか、過去とか、そんなもん、オイラはまったく気にゃあしねぇよ。オマエだって、うちの母ちゃんだって同じだろ? ぜ~んぶを混ぜ込んで美味くなったお(まんま)を、みんなで食おうじゃねぇかよ、おい」


 にっこり笑う遊海は、神田家全員が茉莉(事件)を受け入れると伝えているのだ。


 もちろん、それは母子にも伝わった。


 再び抱き合って泣く母子から目を切って、何度も何度も一人頷く遊海であった。

 


 東大の1年生は駒場キャンパスですけど、雷漢君は大学に興味の無い遊海にもわかるような言い方をしました。赤門は落語にも時々出てきます。


「落語家(芸人)は前身を問わない」が不文律です。本人が、それを売り物にするのは構わないんですけどね。そして、どんなに稽古を重ねようと、だらけていようと、大事なのはお客様に「今」を見せること。もちろん、だらけてたら落語なんてできないわけですが、大事なのは「必死になって頑張る人は今だけを見る」ということを身をもって伝えたいということみたいです。それは雷漢だけじゃなくて、家族全員が茉莉ちゃんを受け入れるという意志表明を遊海がしたと言うことです。


 茉莉ちゃんには(あと、お母さんにも)伝わったみたいで良かったです。でも、こんなことをしていて一ヶ月後の共通テストが大丈夫なんでしょうかね?


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