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ただ、君を応援したかった  作者: 新川さとし
秋 10~11月
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第12話 見舞い


「静香ちゃん、お久しぶり」

「ご無沙汰しています」


 柔らかな笑みを浮かべて病院玄関まで二人を出迎えてくれたのは、国内のマネジメントを担当している前沢さんだ。既に中年を過ぎており、その体格から来る貫禄は十分である。


 F県での「合宿」の時も、何度も会っていただけに、遠目からも、その体格でわかった。 


「娘がお世話になっております。本日は、よろしくお願いします」

「ようこそ、いらっしゃいました。こちらです」

 

 挨拶も簡単に、二人を誘導して、ゆさゆさと歩き出す。


 エレベータ脇にいるガードマンと目で挨拶をしてから乗った。


 最上階まで昇る間に、前沢さんが、ほんの少し微笑みを入れた、控えめな口調でぽつりと話す。


「実は、お見舞いに来ていただいた方への対応にはランクがあるんですよ」

「え?」

 

 静香は心底驚いた。


「せっかくご足労いただいたのに心苦しいのですが、そうでもしないと、先生が静養される時間が取れなくなりますので、けっこう、そのあたりはシビアにさせていただいています」


 相変わらずの柔らかい雰囲気だが、中身は厳しい。


 できる限り見舞いを断っているのは、あまりにも多すぎる見舞客をなんとかするためと、マスコミ対策でもあるだと言う。


 仕事上の付き合いだけの客はオールアウト。たとえ世界の果てから来た客であっても受付で断られ、手紙や見舞いの品だけを秘書が受け取り、印刷された挨拶状を渡される。


 弟子や個人的な親交のある客は、その都度、選別されるが、たいていは直接の面会を断られてしまうのは同じこと。時には内線でのやりとりもあるらしい。


 あらかじめリストに載せられた客だけは病室に案内されるが、ほんの数分のみの挨拶で「お引き取りを」となる。


 この時、時間を見て「ここまでです」とするのは前沢さんの役割らしい。


 良い人を演じる巨匠の「まだ、いいじゃないか」をにべもなく撥ね付けて「本日はありがとうございました」と追い払ってみせるのが芸のウチである。


 そして、病室に案内されるべき人物のリストを指定したのは巨匠自身だが、そこには、ノエルの意向が大きく反映されているのだという。


「先生に直接お目にかかっているのは男性客が中心…… いえ、ほとんど全てが男性ですね」


 前沢さんは笑顔を浮かべながら肩をすくめた。


 ノエルの意向だとでも言いたいのだろうか?


「解禁されて以来、私の記憶だと女性だけのお見舞いが許されたのは、新井田さんが初めてですよ。先生の強い意向があったそうです」

「そうなんですか」


 何かを言いたげな前沢さんだが、なんと答えていいのか分からない。美紀も黙っている。


 エレベーターを降りてすぐ、立ち止まった前沢さんが静香の瞳をまっすぐに見つめてきた。


「先生は、少しだけ以前と行動が違って見えるかも知れません。それは、脳が激しい衝撃を受けて出血したことによる障害、つまりは後遺症のようなモノだそうです。いずれは元に戻るというのがお医者様の説明です」

「え?」

「あ、大丈夫です。奥様もご一緒ですし。最近は落ち着いていらっしゃるのでそこまでおかしなこともなさらないでしょう。ともかく、少々、あれ? と思うことがあっても、少しだけ合わせてあげて下さい。でも、嫌なことまで合わせなくても、何とかしますから」

「はい。それはもちろん」


 不思議な物言いだった。


 脳に受けたケガの後遺症で性格が変わってしまうというのは聞いたことがある。たいていの場合「良い方向」ではないカタチで変化している。


 なにがどうなるのだろう? 合わせろと言いつつも、合わせなくても良いという。


『ひょっとしたら、粗暴な感じにでもなってしまったのだろうか?』


 いくらケガの影響だとは言え、そんな姿は信じられない。だが、何もないのに、前沢さんの表情は真剣すぎる。 


 静香は息を呑みながらも、唇をキュッと引き締めて頷いてみせた。


「くれぐれも、ご不快になることがあったら、その部分はご了承ください」


 ペコッとお辞儀をした前沢さんは反射的にお辞儀を返す母子に一つ頷いてから、再び歩き始めた。


 途中、また、ガードマンが立っていた。前沢さんが「ごくろうさま」と声を掛けると無言で頭を下げつつも、しっかりと新井田親子に一瞥(チラ見)してきた。

 

 ここからが「特別ゾーン」というわけらしい。

 

「こちらです」


 そう言って、ドアをノックすると「前沢です。新井田様がお見えです」と声をかけてドアを開けた。


「いらっしゃいませ」


 落ち着いた声で迎えてくれたのは、まさかのノエルだった。


「初めまして」


 美紀の声に合わせて頭を下げつつ、静香の興奮は一気に高まった。


 妻でもあり、マスコミでも「ノエルが付きっきり」という話は出ていたので、当然なのかも知れないが、世界の歌姫が目の前に現れたのだ。それは興奮するに決まっている。


「新井田様ですね。妻の乃衣瑠でございます。お忙しい中を宅のため、はるばると、このようなところまで、ありがとうございます」


 深々と頭を下げて見せた姿は、不慮の災難に遭った夫に付き添う妻そのもの。


「めっそうもございません。この度は、本当にひどいご災難に遭われて。ともかく、ご無事で何よりです」


 美紀も如才なく合わせるのは大人のお約束。


 二人の年齢は、ほぼ同じ。


 素顔のノエルは、やや怜悧な印象の美女中の美女。対する美紀も、穏やかな雰囲気を漂わせる美女だ。


 もしも第三者が、この場面を見ていたとしたら、ドラマのワンシーンであると勘違いしたかも知れない。


 片や、美紀は、見舞いにふさわしく、薄化粧にダークトーンのスーツ姿。


 片や、ノエルは「病院の付き添い」という役柄の衣装を身にまとうかのように、極めて地味なワンピースを着こなし化粧も抑えめ。


 地味な装いだ。しかし、ノエルにだけスポットライトが当たっているかのように華やいだ印象を与えるのは、持って生まれたモノなのだろうか。


 しかし「美女対決」などノエルの眼中にはない。


 射貫くような目は静香だけをしっかりと見据えていた。 


「あなたが新井田静香さん、でしたね?」

「はい。新井田静香です。初めまして。先生には、本当にお世話になっております」


 その刺すような目で上から下まで静香を見た後「いいわ」とノエルは言った。


 その言葉に「え?」という反応しかできない静香に「付いてきなさい」というなり続き部屋へのドアを開けた。


「いやぁ、久しぶりだね~」


 気さくな巨匠の姿がそこにあった。


 ベッドが背もたれのように角度が付いて上半身だけ起き上がっている。


 両脚が天井からの滑車で吊られている。両手にギプスがハマって、頭にネット付きの包帯を巻いているものの、雰囲気は元気そうだ。


「先生、ご無沙汰しております。この度は、大変なご災難に」

「あ~ よせよせ。そんなしゃちほこばったあいさつなんていらないから! それよりもよく来てくれたね。お母さんも、こんなに遠いところまでありがとうございます。いや、さすがに親子。よく似た美人さんですね~」

  

 機嫌良く挨拶をする巨匠は、そこから自分の怪我を一通り説明した。


 両脚のヒザから下が粉砕骨折となっていて歩けない。歩くまでには複数回の手術と、長い長いリハビリを必要としている。内蔵もあっちこちがヒドいことになり、それがなんとかなっての見舞い解禁となったらしい。


「緊急手術が上手く行かなかったら、この世には居なかっただろうね。医者も奇跡だって言ってたよ。まあ、ボクは運が良いんだよ」


 現在の一番の問題は、足と手の骨折だということだ。


「なぁに。身体は案外と頑丈だったみたいでね。身体の機能そのものは残ってるから、生きるのに不自由はないさ」


 笑みとともに、しかし、衝撃的な一言が続けられた。


「ただ、もう、振れなくなっただけだよ」

「え?」


 世界的な指揮者である巨匠なのに、もう指揮ができない?


 思わず立ちすくんだところに、ノエルがサバサバした口調で割り込んできた。


「弱気なことを言ってますけど、ジェームズ・デプリーストさんみたいに、きちんとトレーニングを積めば、車椅子で指揮だってできるんです。腕の方は、ギプスが外れれば、年明けにもリハビリが開始できるみたいですしね」


 巨匠は、声だけは柔らかく「無理だよ~」と首を振った。


「この身体だと、浮かんだイメージを体現できるか怪しいもんだからね〜 振るのはさぁ、けっこう全身を必要とするんだぜ? 思った通りに動かない身体でなんとかするだなんて、とてもじゃないけど無理なんだ。すくなくとも酒井光延の指揮は、もうできない。もはや引退するしかないね~」

「こんな弱音ばかりを吐くようになってしまって。酒井の音楽はいささかも衰えてないと思うのですけどね」


 ノエルが微笑んでみせる。夫を心配しつつも、さりげなく相手に同意を求める、誰がどう見ても完璧な笑みである。


「そうですよ。今は、医学も発達して、いったん治癒してしまえば、以前と全く変わらないようになるって、よく聞きますので」


 もちろん、美紀も、やわらかくノエルの言葉を引き取った。いきおい、次は静香の番だろう。


「先生のお身体が完全になるまで、私もできることがあれば、なんでもお手伝いさせてください」

 

 弟子としては、当然のセリフだろう。妻も母も、そして後ろに立つマネージャーも、頭は次の話題へと移っていたはずだ。しかし、巨匠は、うれしそうに「そうかい!」と声を大きくしたのだ。




 前沢さんは、巨匠をいさめる立場ですが、以前と違って、思慮深さよりも自我が強く出る性格に変わってしまったことに手を焼いています。ちなみに、職業上の関係に徹しているため、前沢さんと男女のそれはありませんっていうか、巨匠のストライクゾーンから大きく外れすぎていますw


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