第1話 祐太の悩み 前
「おはよ」と「おはようございます」。
分けて挨拶するのは毎朝のこと。
二人の柔らかな笑みとともに挨拶を返してもらえる。
「おはよ!」
「おはよう、ゆうちゃん」
二人の挨拶を受け止めながら鍵を閉める。
静香は、すぐ横に来て、鍵を閉めているオレを見つめている。
春の空気と、ふわりと静香の甘い香りが混ざる。この優しい感覚は、いつもながら嬉しい。
「行ってきまーす」
「行ってきます」
「二人とも気を付けて。行ってらっしゃい」
静香のお母さん--美紀さんに見送られて歩き出す。二人ともここまで皆勤賞。よくある「お寝坊さん」的なツッコミもなし。ちゃんと起きてるし、朝ご飯も食べている。
いつも通りの朝。
静香はフワッと髪を甘く薫らせながら真っ直ぐに歩く。ラノベに出てくる「幼なじみ」にありがちな、近すぎる距離感なんて微塵も見せない。
仲の良さはあるけれど、端から見ればごく普通の友達同士だろう。
『でも、たまーに手をつなぐのはアリだけどね』
祐太の本音だ。
正直に言えば、幼なじみの静香に恋をしている。こんなに可愛い子が身近にいるのに恋心を持たない方がおかしいと思う。
手をつなぐのだって、祐太が求めれば絶対に断られない。静香が好意を持ってくれているのは知っている。でも、あくまでも恋未満の領域だとわかってしまうのが辛いところ。
何度、同じ悩みをループさせてきたのだろう。
いまさら「告白」なんて白々しいけど、今のままももどかしい。
恋人という関係になるのは怖いけど、今のままでもいられない。
様々なアンビバレンツを抱えて、それでも少しずつ関係を変えようとはしていた。
『だって、やっぱり好きだから』
並んで歩く新井田静香の美貌は学校でも評判だ。ふわっとした空気をまとって歩く姿だけでも絵になってしまう。
祐太が密かに見とれているのを知ってか知らずか。ドキッとするほどに美しいうなじを伸ばしながら見上げた。
「春爛漫って感じね」
4月の中旬に入った。傍らにある桜の木は、あらかた花びらが散ってしまっている。
「あぁ、コートも要らないもんなぁ」
淡々と歩きながら答える。
「ふふふ。ゆーは、冬でもコートを着ないじゃない」
光をまとうかのような笑顔がこぼれる。祐太の大好きな笑顔だ。
「あ~ まあ、寒けりゃ着るけどさ」
ポリポリと頭を掻いてみせる祐太の二の腕にツンツンと小さなボディタッチ。幸せな感覚だ。
「昨日、ありがと。助かっちゃった」
祐太が「数学小テストの情報」を送った礼だろう。改めて言われるとなんだか照れくさい。そのまま腕に触れていてほしいクセに、触れられるのが恥ずかしい。かと言って、自分から静香に触れるのはもっとダメだ。
触れたい、けれども、絶対にダメ。自分に歯止めが利かなくなるのが怖かった。《《今の二人》》が壊れるのは嫌だったのだ。
だから、ついつい軽口で誤魔化そうとする。
「ああ、どういたしまして。感謝していただけるなら、お礼はキスで」
「あら? 私のキスってずいぶんと安いんだ?」
唇をツンととがらせて、可愛らしく睨んでくる。傾けた頭に揺れる黒髪が、あまりにも魅力的だった。
「う~ん、グラム98円?」
「鶏モモ並!」
「あぁ、あれは照り焼きが美味いよな」
「えっと、それは知ってるけど。問題はしーずかちゃんのファーストキスが鳥モモ並ってところじゃないかと思うんですよぉ、私としては」
ツンツンと頬を突いてくる指は、怒りの表現ではなく愛おしさだろう、と祐太は勝手に思ってしまう。だって、こんなに嬉しそうな顔で見つめてくれるのだから。
「ははは。じゃあ、138円?」
「ちょっと! トンコマの値段にすれば良いって問題じゃないでしょ!」
「いやあ~ え~っと、プライスレス?」
「疑問形!」
歩きながらの掛け合いは、お互いを知り尽くしているからこそ冗談になっている。そう、祐太がこんな場所でキスを求めるはずがないのだ……と静香は思っているからだろう。
祐太には、苦い思い出があった。
カクヨムにて、完結済みです。とても長い作品です。