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《十四話》乙女のイベント・バレンタイン!

 そうして、ゆるゆると時は過ぎ。

 乙女の一大イベント、バレンタイン!

 もちろん、作りますよ! なにを作るって?

 ふふふ、ありきたりなチョコレート、なんて作りませんよっ!

 ザッハトルテ! チョコレートケーキですよっ!

 うふふ。

 生クリームをたっぷりかけて食べるのが美味しいのよねぇ。……太りそうだけど。

 チョコレートのスポンジケーキはそれほど難しくない。半分に切ってあんずジャムを挟んで。周りのチョコレートのコーティングが難しいのよね。

 えーっと、一気に溶かしたチョコレートをかけて全体にまんべんなくのばす……と。

 うをっ! いやああああ、チョコレートが!


「どうしたっ!?」


 あたしの悲鳴を聞きつけて、圭季が駆けつけてきたけど、


「なっ、なんでもないっ! とりあえず、見ないでっ!」


 一緒に住んでいれば、びっくりさせてやろう、と思っても無理なのよね。だから呼ぶまで来ないで、と言ってたんだけど、悲鳴を上げればくるよなぁ。

 心配そうな表情をしつつ、ちらちらとこちらを見ながら圭季は部屋に戻って行った。

 ……ふぅ。

 もう、ばれているようなものだけど、それでもほら、気持ちの問題よっ!

 しかしこれ。味は悪くないと思うんだけど、チョコレートのコーティングがいまいちになっちゃったんだよねぇ。こういう時は下手に触らない方がいいのが分かっているから、やめておこう。

 冷蔵庫に入れない方がいい、と見かけたので、あたしの隣の部屋に置いておこう。あそこなら涼しいし。

 埃をかぶらないようにケーキの箱に入れ、隣の部屋に持って行く。鍵をかけて、と。那津が問題なのよね。


「キッチン、使っていいよ」


 片付けも済ませ、無理やり部屋に閉じ込めていた圭季に声をかける。が、返事がない。そっと扉を開けると、机に突っ伏して寝ていた。


「圭季、そのまま寝たら風邪ひいちゃうよ」


 遠くからだからよく見えないけど、パソコンの画面にいろんなものが開いていて、もしかしたらお仕事の資料とかもあるかも、と思ったら中に入って起こせなかったので、声をかける。


「んー?」


 寝ぼけた声がして、圭季は目を覚ましたようだった。


「待たせてごめんね」


 圭季が起きたのを確認して、あたしは部屋の扉を閉じた。

 休みの日にも家で仕事をしている、ということは、やっぱり毎日無理して早く帰ってきてくれている、んだよね? あたしがもう少し、おうちのことをやらないと。いくら、料理を作るのが好きで、あたしのために作ってくれている、と言ったって、お仕事も大切だもんね。

 夕食の後、そういうことを圭季に言ったら、


「この生活も、三月までだから」


 そう言われ、はっとする。

 そうだ。すっかり忘れていた。あたしたちのこの生活、お試しに一年、だったのだ。当初は一週間、がそのままずるずると確認しないまま今まで来ていたのだ。

 現実を突き付けられ、ショックを隠しきれない。

 三月になり、あたしが高校を卒業したら……圭季は実家に帰っていく。那津もそうだ。そして、父とふたりの生活に戻る。

 最初、話を聞いた時、とんでもない! と思っていたのに。今はこの生活が終わるのを知り、泣きそうになっている。


「チョコ……?」


 圭季の服の端をつかんで、見上げる。

 こんなにも時が止まってほしい、と思ったことはない。

 圭季がいなくなってしまう。


「なんでそんな顔、してるんだよ」


 だって。嫌だよ、圭季がいなくなってしまうの。

 圭季はふぅ、とため息をつき、あたしの頬をその大きな手でそっと包む。そうして、大きな瞳を少し細め、あたしを見つめる。


「今やっている仕事、三月までだから。チョコが心配することはなにもないよ。無理をしているわけではないから」


 そういう意味ではなかったのに、安心して、と言わんばかりに圭季はあたしの髪をやさしくなでてくれる。

 違うのに。そうじゃない。

 だけど、口にしてしまうと泣いてしまいそうで、あたしは圭季の手を払いのけ、部屋に駆け込む。


「チョコ?」


 圭季の困惑した声がしたけど、部屋に入り、鍵をかける。そして、そのままずるずると座り込む。

 ぽたり。履いていたスカートに涙が一粒、こぼれる。


「うっ……」


 それを合図に、涙が後から後からあふれてくる。

 圭季の馬鹿。なんで分かってくれないのよ。

 三月になって、あたしが高校を卒業したら、この生活は終わりじゃないの。それとも、圭季はようやくこの大変だった一年の『仕事』から解放されるから、安心しているの?

 ねぇ。圭季は……どう思ってるの?

 本当にあたしのこと、好き? なんだか、自信がないよ。


。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+


 そうして迎えたバレンタインデー当日。

 あたしは毎日、前もって作っていたザッハトルテが那津に食べられていないかをチェックしていた。うん、今日も大丈夫。

 チョコレートのコーティングも、日にちを少しおいたことでなじんできた……かな?

 そして、バレンタインデーは火曜日。圭季の帰りが遅いから、夕食もあたしの担当。なにがいいかなぁ。


「カレーにハンバーグ」


 学校からの帰り道、那津がぼそり、とつぶやく。

 なにその、お子さま人気ナンバーワンとナンバーツーの料理。


「バレンタインデーだから、好きな料理、作ってくれたっていいじゃないか」


 なんで那津の好きなものを作ってあげないといけないの!?

 那津の両手には持ち切れないほどのチョコレートが入った紙袋がある。学校中の女の子からもらったらしい。朝、靴箱の中にあふれるほど入っていて、さらに机の上にもロッカーにも入っていた。一日で持って帰られないから、これでも一部なのよね。どうなの、これ?


「那津、チョコレート食べすぎたらせっかくのきれいな肌にニキビができるわよ」


 那津も圭季もびっくりするくらいきれいな肌をしてるのよねぇ。なにをどうしたらそんなにきれいなお肌を維持できるのかしら? あたしなんて、油断したらすぐにニキビが出てくるんだよね。


「それに、今日はあたし特製のデザートもあるんだから。考えて食べてよっ!」

「え? なになに? じゃあオレ、これらのチョコレート、今日は食べない!」


 そういえば、圭季の好きな食べ物、知らないなぁ。

 あああ、ほんっと、一年近く一緒に住んでいながら、圭季のこと、ほとんど知らないじゃない。

 近くにいる、ということで甘えていたのかもしれない。圭季のことを知ろうという努力をしなかったかも。

 いつも受け身だった。終わりが見えて来てあせるのは、悪い癖かもしれない。終わってほしくない。どうすれば終わりにしないですむのか、分からない。油断すると涙がこぼれそうになる。ここのところ、ずっとそう。

 泣いたって始まらないじゃない。

 それに今日は、バレンタインデー。

 乙女が好きな男の人に告白する機会を与えられた日、なのよ。もう一度、気持ちを伝えよう。


「じゃあ、今日はハンバーグね!」


 通学路の途中にあるお肉屋さんでひき肉を買う。


「カレーも食べたい」

「カレーは今度! それに、あたしのカレーより、圭季が作った方が美味しいでしょ?」


 そういえば、この間のカレー、冷凍してあったような気もした。帰ってから確認しよう。


 家に帰り、ハンバーグを作る。那津も手伝ってくれるけど、


「もっとみじん切りにしてよ!」

「やだ。めんどくさい」

「タマネギ切ったから炒めて!」


 執事モードの時は先読みされて次々するくせに、最近では面倒なのか、ふたりの時は素の那津のことの方が多い。あたしとしてもその方が気が楽だからいいんだけど、どうしてこうも差が激しいの?


「那津ってさ」

「なに?」


 タマネギを炒めながら、顔をこちらに向けてくる。あたしはにんじんをみじん切りにしているから、那津の方には顔をむけられない。


「どうしてあたしの執事になろう、と思ったの?」


 前にもちらりと言ってたような気がするけど。


「圭季に言われたから」

「それだけ?」

「うん」


 それ以上でもそれ以下でもない、ということ?


「那津にとって、圭季の存在はなに?」

「うーん、兄、みたいなものかなぁ」


 兄、ねぇ。確かにそんな感じ。


「オレの親父と圭季の親父、仕事上でパートナーだから、オレと圭季も将来、そういう関係になるんだよ」

「那津。あたしが圭季ともし、結婚したら……どう思う?」


 橘家で過ごした年末にお互いの想いは伝えあった。だけど、それ以上の進展があったか、と言われると。

 ない。

 今までと変わらない日常。それ以上を求めているわけではないけど。

 なんとなく、この生活の終わりが見えてきて、圭季とあたしの間には温度差というものが存在しているような気がしている。

 あたしは、今のこの生活を終わらせたくない。圭季はどう思っているんだろう?


「もし、なの? もうそれって決定事項なんじゃないの?」


 はい?


「チョコちゃんは、圭季と結婚したい、と思ってないの?」


 にんじんをみじん切りしていた手を止め、那津を見る。


「よくわかんない。だってあたし、まだ高校生だよ。好きな人だって今までいなかったし」


 なんであたし、那津と女の子トークみたいなこと、してるんだろう。

 那津と一緒にいる時間、結構長いもんね。それに、梨奈の想い人、と思うとついつい気を許してしまう。


「だからこの一年かけて、お互いを知ろう、という意図でこの同居生活が始まったのは分かってるの」


 ほんと、奇妙な同居生活だわ。いきなり降って湧いてきた婚約者と執事。その婚約者とは昔会っていて、しかも結婚する、とか宣言してるし。それが今、現実になるかもしれない、だなんて。


「圭季の気持ちが分からないの」


 ぽつり、とつぶやいた言葉に那津は、


「圭季に聞けばいいじゃないか。聞きもしないでぐちぐち悩むなんて、チョコちゃんらしくない」


 らしくない、と言われても。どう思われてるの、あたし?


「オレにはそれだけいろいろ質問できるのに、なんで肝心の圭季には聞けないわけ? 恥ずかしいの? そんなので夫婦をやっていけると思ってるの?」


 那津から思いもかけないことをぽんぽんと言われ、びっくりした。


「うちの両親なんて、毎日こっちが驚くくらい言い合いしてるぞ」


 那津のお父さんと梨奈のお母さんて再婚したんだっけ?


「つい最近、義母ができて戸惑ったけど……。こうやってチョコちゃんちで少し離れて暮らしてさ。なんとなくあのふたりとの距離がつかめてきたかな」


 ああ、それもあって那津はここに来ていたのかな、と思う。しっかりしているようで那津もあたしと同じでまだ思春期真っ盛り、だもんね。那津は那津なりに悩んでいた、ということか。


「梨奈に対しての気持ちはまだ戸惑ってるけど……。お互いがベストになるような形を悩んで考えるよ」


 そういって笑う那津を見て、なんだかふっきれたものがあった。


「あのさ、那津」

「ん?」


 那津はタマネギを炒めながらこちらを見る。あたしは包丁をまな板の上に置き、那津を見る。


「那津はこの同居生活が終わったら、どうするの?」

「は? なんだ、いきなり」


 最近、あたしにとって那津はなんだろう、と悩んでいた。

 那津はあたしの執事、と言っているけど、それはこの同居生活が終わるまでの話。那津は執事で、圭季にお願いされたからあたしの側にいてくれる。それは、先ほどの那津の言葉からもそう証明された。

 この生活が終わったら、圭季も那津もいなくなるなんて、考えたくない。那津は確かにあたしが苦手な男の子の部類に入るけど、それでも気安く話ができるし、なによりもこの同居生活が終わって、はい、さようなら、はかなり悲しい。


「あたし、那津のこと、好きだよ」

「……はい?」


 那津はたまねぎをかき混ぜていた手を止め、驚いた表情であたしをじっと見ている。


「だから、この同居生活が終わっても、友だちでいてほしい」


 那津はほーっと大きく息を吐き、タマネギをかき混ぜ始めた。


「びっくりした。いきなり『好き』だなんて言うから」

「likeの好きだよっ!」


 もう、勘違いしないでよ! それ以上、なんてありえない。


「友だちとして好きだよ、と言えばいいのに、いきなり好き、だなんていうから、驚くよ」


 ああ、言い方が悪かったのね。


「千代子さまが望むなら、友だちでも彼氏でも」


 といきなり執事モードで言うものだから、目が点になった。

 しかも、か、彼氏っ!? ああああ、ありえないっ!


「無理無理っ! 那津が彼氏、だなんてありえないっ!」

「そうなんだ、なーんだ、残念」


 とまったく残念ではないようにいうので、思わずくすくすと笑ってしまった。


「あたしがどちらも望まなかったら?」

「んー」


 那津は少し考えるように視線を上に向けていた。


「圭季がいいって言うのなら、チョコちゃんの執事でいたいかな」


 意外な回答だ、と思っていたら。


「チョコちゃん、見てて面白いから」


 お、面白い、って……! あたしは至って真面目ですっ!

 そうやってしゃべりながら、あたしたちはハンバーグを作った。なかなか美味しそうに焼けたわよ。付け合わせもできたし。

 夕食ができたくらいのタイミングで、圭季が帰ってきた。


「おかえりな……」

「ただいま」


 圭季の手には、紙袋。それって。もしかしなくても。

 那津は圭季の手から紙袋を奪って中を確認して、


「わーい、チョコレートだ」


 と喜んでいる。

 いや……圭季、確かにかっこいいよ。あたしの彼氏にするにはもったいないくらい。だから、チョコレートをもらってきても不思議はない。チョコレートをもらって平気で捨ててくるような人じゃないし、そんな人だったら好きになってない。

 だけど……。


「すぐに着替えてくるね」


 圭季はあたしの頭をぽふぽふ、として部屋へと行った。

 キッチンに向かい、準備をしていたところに今度は父が帰ってきた。


「今年は不作だー」


 と言いながら紙袋を渡された。確かに少ないけど。この中に本命が紛れていても知らないわよ。と毎年思いながらあたしはありがたくいただく。


「お、今日はハンバーグか」


 テーブルに準備されたおかずを見て、喜んでいる。


「お父さん、いいから早く着替えて来て! 今からご飯食べるんだから!」


 全員がそろい、みんなで夕食。

 今日のハンバーグは那津がたまねぎをよく炒めてくれたからか、美味しい。上出来だわ。

 そして。食後のデザート。


「ザッハトルテ!」


 と出してきたのはいいんだけど、


「生クリーム、泡立てるの忘れてたっ!」


 夕食を作るのに必死で、生クリームのこと、忘れていたよ。

 あわてて氷を入れたボウルの上に生クリーム入りのボウルを入れ、泡立て器で必死に泡を立てるものの、なかなか思ったようにならない。

 必死になってやっていたら、後ろからボウルと泡立て器を取られた。

 驚いて後ろを向くと、


「おれが泡立てするから、チョコはケーキを切って」


 そう言うなり、圭季は軽やかにリズミカルな音を立てて泡立てを始めてくれた。

 あたしは包丁を取り出し、ケーキを切る。

 四人だけど、とりあえず八等分に切る。

 お皿に乗せていたら、圭季はあっという間にホイップクリームを作ってくれたらしく、ケーキの上に生クリームを乗せていってくれた。

 うふっ、美味しそうなザッハトルテ。

 ふと気がついたら、横でお湯を沸かしてくれている。そして棚からコーヒー豆が出てきた。


「ザッハトルテは紅茶よりコーヒーが美味しいだろ?」


 もしかして、あたしがザッハトルテを作っていたの、ばればれ? しかも、コーヒーまで準備してくれていたの?

 お湯がわき、圭季がコーヒーを入れてくれている。キッチンにコーヒーのいい香りが漂う。たまにはコーヒーもいいかも。ザッハトルテにコーヒーだなんて、素敵。


「あたしからのバレンタインのチョコレートはザッハトルテですっ!」

「ザッハトルテ?」


 那津は初耳らしく、首をかしげている。


「チョコレートスポンジにチョコレートをコーティングしたケーキのことよ。中にはあんずジャムがはさんであるの」

「へー」

「添えてある生クリームをつけて召し上がれ」


 結局、最終的には圭季に手伝ってもらっちゃったけど。

 ケーキを一口大に切り、まずはそのまま一口。

 あぁ、幸せ……。口の中でとろけるわ。


「チョコちゃん、これすっごい美味しい!」


 ふふっ、よかった。

 次は生クリームも一緒に。

 ……もう、幸せです。

 コーヒーを一口飲み、ほぉ、と一息。

 甘いものは幸せにしてくれるよね。


「チョコちゃん、おかわり!」


 那津よ……。キミはひとりで残りを全部食べそうな勢いだね。

 と思っていたら、残りのケーキと生クリームが入ったボウルを自分の席に持って戻る。ま、まさか……!?


「那津、おれにも残しておいてくれよ」

「やだ」


 と取り合いをしているではないか。

 ちょっとちょっと!


「仲良く食べてよ!」

「いやだ」


 那津……どうしてお菓子になると、そうむきになるの!?

 そうやってなにげない普段と変わらない時間を過ごしたけど、なんとなく心に隙間風が吹いている。楽しいんだけど、むなしさを感じる。

 どうしてそう思っているのか、分かっている。

 お風呂に入り、そろそろ寝ようか、と思ってベッドにもぐる。だけど、なんだか寝つけないでいる。

 那津に言われたように、あたしは圭季になにかを遠慮しているような気がする。

 一度、腹を割って話をしてみたい、とは思ってはいるけど。……なんだか「腹を割って話をしたい」だなんて、考えが若くないわよね。

 だけど、那津相手なら、あんなにたくさん話ができたのに。

 やっぱり、圧倒的に一緒にいる時間が少ないのかなぁ?

 そういえば、明日はあたしの誕生日なんだよね。

 あ。

 圭季の誕生日、いつか知らない。

 もしかして、知らない間に過ぎてしまっていたりする!?

 と取り留めもなく考えているうちに、眠ってしまったようだった。


 いつものように那津が起こしに来て、起きる。

 学校に行っても、いつもと変わらない日。今日はいつも以上にぼんやりと過ごしてしまった。


「……ま、千代子さま」


 那津に肩をゆすられ、ようやく気がついた。


「なに?」

「ホームルームも終わりましたよ」


 ボーっとしすぎにもほどがあるでしょ、あたし。大きく息を吐き、席を立つ。

 那津はあたしのかばんを持っていつものように家へ帰る。

 家に帰り、部屋にいてもなんだか元気が出ない。

 夕食の後、圭季が部屋に訪ねてきた。

 ベッドに寄りかかり、床の上にだらんとだらしなく座っているところに来られて、少し焦った。


「チョコ、お誕生日おめでとう」


 圭季は部屋の入口に立ったまま、にっこりと微笑んで口にした。


「え……?」


 あわてて立ち上がろうとしていたあたしはその言葉に驚き、中腰のまま圭季を見つめる。


「今日が誕生日なのは知ってたんだけど、なにをプレゼントしていいのかずっと悩んでて。結局、なんにも決められなかった」


 申し訳なさそうな表情に、少しうるっとくる。

 今日があたしの誕生日、と知っていてくれたんだ。


「チョコ、なにかほしいもの、ある?」


 といきなり聞かれても。特にほしいものなんて、ない。だから、首をふるふると横に振る。


「……困ったなぁ」


 と頭をぽりぽりかいている。

 だって、おめでとう、という言葉自体がすでにプレゼント、だもん。それ以上なんて、特に要らないよ。

 あたしは間抜けな恰好のままだった中腰状態からようやく立ち上がることができ、圭季の前まで歩いていった。


「圭季の誕生日っていつなの?」


 聞こうと思ってずっと忘れていたのを思い出し、聞いてみる。


「おれも今日だよ」


 ……はいっ?


「製菓会社の息子がお菓子の日が誕生日、だなんて。できすぎてるだろう?」

「うわっ! け、圭季、お誕生日おめでとうじゃないのっ!」


 誕生日が同じ、だなんて。


「だから『ケーキ』なんて名前なんだよな」


 と楽しそうに笑っている。


「あたしの方こそ、なんにも用意してないよっ!」

「いいよ。今、プレゼントもらったから」


 ……え?


「おめでとう、という言葉がプレゼント、だよ」


 あたしは圭季を見上げる。あたしと同じことを思っている。

 あたしは圭季にギュッと抱きつく。あたし、やっぱり圭季のことが好き。こういう何気ない考えが一緒のところが。

 圭季は驚いていたけど、あたしをゆっくり抱きしめてくれる。

 圭季の顔を見上げて、


「圭季、大好き」


 気持ちを素直に伝える。

 自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。頬が熱を持っている。恥ずかしくて目をそらしたくなるけど、圭季の瞳をじっと見つめる。圭季の顔も赤くなっている。


「チョコ、ありがとう。最高の誕生日プレゼントだよ」


 ゆっくりと圭季の顔が近づいてきて、ひたいに柔らかな感触を感じる。


「おれもチョコのこと、大好きだよ」


 圭季の声があたしのひたいをくすぐる。

 さっきまであんなに落ち込んでいたのに、圭季のその一言があたしを浮上させてくれる。

 『好き』という言葉は、どんな甘いお菓子よりも甘くて、気持ちを明るく軽くさせてくれる魔法の言葉だね。




 それから少し、圭季と話をした。とりとめのない話だったけど、部屋の入り口で立ったまま、よく笑った。

 肝心なことは怖くて聞けなかったけど、こうしてまた、気持ちを確認し合えたから。

 これ以上求めるのは、贅沢過ぎるよね。


。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+


 心の奥では少しくすぶっているものがあったけど、それでも圭季と過ごす何気ない日常が楽しかった。

 特になにか大きな出来事やイベントがあったわけではないけど。それでも、今のあたしにはその何気ない小さな積み重ねがとても大切に思えた。

 あたしが高校を卒業して、三月が終わると……。その何気ない小さな幸せの詰まった日常は終わってしまう、と思ったけど。

 終わることを嘆くより、終わりまでいかに楽しく思い出を刻むのか、の方が大切だということに気がついた。

 終わることを悲観して、目の前の大切なものをなくしてしまうなんて愚かなことだ。

 後ろ向きのようで、前向きな気持ちを大切に、少しずつ圭季に近寄りたい。

 時間が許される限り、あたしは圭季にべったりとくっついていた。


「チョコはおれが思っていたより甘えっ子なんだな」


 と苦笑されたけど、だって仕方がないじゃない。大好きな人の側に少しでもいたい、と思うのは、いけないことなのかな?


「チョコがそう思ってくれてるなんて、おれも幸せ者だな」


 日常の何気ない会話さえ、うれしい。なんでも気の持ちようなんだなぁ。

 ちらほらと受験でお休みする人たちが増えて行き、気がついたら二月はあっという間に過ぎ、三月になった。

 二月中におまけのような期末試験。正直言って、先生も生徒もやる気がない。

 高校の卒業式は早いところで三月一日なんだけど、あたしたちは三月十四日。終業式とあまり日にちが変わらないなんて、先生もひどいよね。

 授業も自習、という教科が多くて、先生たちもやる気がないのがみえみえ。だったら早く卒業させちゃえばいいのに。

 そんな中、なぜか家庭科の授業だけは妙に気合が入っていた。なんでもひとりの予算五百円で夕食メニューを考えて作れ、だなんて。なにそのお嫁に行く前の予行演習みたいな課題。


「アタシ、立花先生のお嫁さんになりたいです」


 なんて言ってる班の子がいたけど、どこがいいの? と思わず聞いてしまった。


「あんなださい恰好してるけど、素材はなかなかよいわよ。彼氏にして、磨く楽しみみたいなのをアタシは見出したのよ!」


 ……はあ。だからそれ、なんて逆源氏物語?

 国語の古典に載っていた話を思い出し、げんなりする。ほんと、なにあのロリコン。信じらんない。


「きちんと考えているか?」


 とセンセが席を回ってあたしたちの計画を見て回っている。普段からこういうことをやっているあたしにすれば、もう今更、という気持ちがいっぱい。

 そうだ、圭季に教えてもらった肉じゃがを作ろう。


「お米は家から一合ずつ持ち寄って、おかずは肉じゃが、味噌汁の具は……」


 材料費を預かって、何人か一緒で買いに行く。これはこれでなんだか面白い。


「全部買ったよね?」


 買い漏れはないはず。余った材料費で……ついついお菓子の材料を買ってしまうあたし。


「卵・牛乳アレルギー、いないよね?」


 と確認して、材料をかごに入れる。うふふ。これは完璧だわ。

 そして、今日は最後の家庭科の時間。調理室であたしたちは思い思いの物を作っていく。肉じゃがの材料を切っている横であたしはデザートを作る。

 今日はフルーツのグラタンを作る予定。冬に適した温かいデザート。

 普段の家事が功をなし、あたしたちの班は一番最初に出来上がった。

 調理器具なども片付け、試食室に料理を運び、みんなを待つ。

 次々と他の班の人たちも出来上がったようで賑やかな話声とともに料理が運ばれてくる。どこの班の料理も美味しそう。

 全員がそろい、立花センセの席にもそれぞれの班の料理が少しずつ置かれている。

 みんなでいただきます、と唱和して、食べ始める。


「美味しいっ!」

「ほくほくしてるっ!」

「出汁入れなくてもこんな味になるんだ」


 と感動してくれている。うふふ、圭季に感謝してね。

 ふと立花センセを見ると、目があった。うわっ、なんでこっち見てるのっ!? あたしはあわてて視線をそらす。

 ご飯を食べ、デザート。温かくて美味しい。やっぱり甘いものを食事の後に取るのは心が落ち着くわ。

 なんでこんなことやるのよ、と内心思っていたけど、こういう授業も悪くないかもしれない。

 だけど。

 たまに視線を感じてふと見ると、立花センセがなぜかこちらを見ている。

 その瞳にはものすごく切なさが詰まっていて、朱里の言っていた話を思い出し、ドキッとする。

 いやいや、ありえないからっ!

 あたしはそれを振り払うように片づけに没頭した。


【つづく】


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