第8話 魔女サイナと魔女バスキ後編
「これが、魔女バスキなの?」
「(見たところそうみたいだ。既に魔界の中だけど敵意や害意は見当たらなかった)」
アオナが魔女サイナと対峙していた時。
コトネは廊下の奥へ進み、扉を開けるとそこは体育館だった。魔女バスキは広い体育館の真ん中にバスケットボールを抱えてポツリと三角座りをしている制服姿の少女は項垂れていて表情は見えず、その心は陰鬱に沈みきっていて、外に目を向ける余裕がないようだった。
「この魔界。貴方のモノよね?魔界を消すことはできないの?」
魔女バスキはゆっくりと顔を上げてコトネを見た。
「ここから出られないの…これ、魔界って言うの?」
「(真守、どういうこと?)」
コトネが困惑しているようだった。
「(ちょっと待ってくれ、調べて見るからコトネはなんとか魔女バスキを宥めておいてくれ)」
━━━━━━━━━━━━魔女バスキの意識の深くに潜る。
彼女はバスケ部のキャプテンだった。
小学生の頃からバスケをはじめ、ずっとバスケが好きだった。誰よりもたくさん練習するために早くに来て遅くに帰った。顧問に叱責されても耐え、部員が不祥事を起こせば謝り、仲間割れを起こせばなんとか宥め、サボる部員には文句を言われながらも注意した。
部員からは悪口を言われるようになった。顧問からは激しく叱責されるようになった。顧問と部員の交流ノートは反省を連ねるだけになった。
彼女は死にたくなった。
毎朝が憂鬱で部活の時間が近づけば吐き気がし、それでも休めなかった。彼女は部活でドンドン孤立した。
彼女の両親は彼女が優秀であると疑うこともなく、毎日部活にいくことを賞賛した両親は、優秀な彼女が孤立していること思うことはなかった。親には苦しみを吐き出せなかった。妹は心配していたが、気丈に振舞った。心配をかけないように。
ノートに死にたいと書いた。
担任は「死にたいのか?」と聞いた。
「いいえ」と彼女は答えた。
バスケが楽しかったあの頃は何処かに行ってしまった。
バスケはしたいけどバスケはしたくなかった。生きたくないが、死にたくなかった。
魔女サイネは姉の違和感に気がついていて何処かで心配していたのだろう。そこで姉である魔女バスキの魔界に当てられて妹も魔女サイネとして覚醒したが、姉がふさぎ込んでしまっていた事から完全に姉妹で魔界が別離してしまったのだろう。真守が見る限り魔女サイネは妨害級で魔女バスキ厄災級と姉である魔女バスキの方がクラスは格上だろう。ここまで作りこまれた体育館や純度が高く密閉性のある魔界は妹のそれとは異なっていた。
魔女バスキに攻撃性がないのは幸い中の不幸で、攻撃性がない代わりに魔女の魔界の攻撃性を生かした反撃ができない。魔界を上書きして消すよりも魔界を消させるか、コトネが強引に消させるしかないだろう。
「(コトネ、まずは)」
「(私にさせて、真守)」
コトネは魔女バスキに寄り添って同じように座っていた。コトネの心は魔女バスキへの共感と、同情。そして、少しだけ、真守が魔女バスキにこれ以上触れて欲しくないという少しだけの嫉妬心。真守は気恥ずかしくなりながらも見守ることにした。
不意に笛の音が響いて、魔女バスキがびくりと背筋を伸ばした。
「バスケが好きなら好きなだけすればいいんじゃない。ゴールもボールもあるじゃない」
「…」
魔女バスキはバスケットボールを持ちながら立ち上がる。トーン、トーンとボールが床を跳ねる音がして、魔女バスキはバスケを頭上に持ち、左手を添えてゴールに向けて放った。放物線を描いたボールはすぱっとゴールに入った。
試合を終える笛が鳴ると同時に体育館とボールは消え、女子寮の廊下が広がっていた。
魔女バスキの魔界は消えたようだった。
「(コトネ、機関の人間は寮に入れないから魔女サイネと魔女バスキを外に連れ出してくれないか)」
「(…?いいけど?)」
「(機関は極秘だし、男しかいないんだよ)」
「(成る程?)
機関の人間に女性はいない。そして、機関が国家機関といえども機関は極秘のため女子寮入ると怪しまれてしまう。だからコトネに魔女姉妹を連れ出すように依頼すると、コトネは機関が男性しかいないことに違和感を持った様子だったが了承した。
「英太、そっちは大丈夫か」
「大丈夫、こっちも、魔女サイネの魔界は消せたよ」
真守は意識をコトネから外すと、英太は汗を浮かべながらにこりと笑っていた。英太がこめかみをぐりぐりさせているのを見ていると魔女バスキと歩くコトネと魔女サイネを引きずるアオナが見えた。
「よし、指令は達成したから帰ろうか」
機関が魔女姉妹を回収し、真守とコトネ、英太とアオナも続いて機関の用意した帰還装置で帰った。
帰還後、解散4人は解散し、英太達と帰る。英太達も真守達と同じアパートに住んでいるようで帰り道が一緒だった。
「(真守、このあと買い物にでも出かけない?一人前の魔道士になれたわけだし)」
「(ああ、まあそうだな)」
魔道士養成期間は工程がきっちり詰め込まれており、当然外出は許されない。しかし、魔道士として試験を合格し魔女管理を行える立場になった場合に魔女を連れて、事前に届出を出し、誓約書を提出すれば朝8時から夕方20時までの12時間に限り外出可能となる。
「(コトネ、ちょっと寄り道していいか)」
「(え…、うんいいよ)」
「(ええと、一応この四人なんだけどね)」
コトネが真守と二人での出かけだと思ったようで慌てて訂正するとまた不満げな気持ちが伝わってきた。
「(その、CDショップにでも行ってみよう)」
「(!わかった行く)」
コトネは若干機嫌を直し、コトネの同意も得た。真守と英太は急遽機関にに届出と誓約書を提出し、英太達と街を歩くことにした。
「アオナお出かけ楽しみ!」
ぴょんぴょんするアオナの頭を撫でる英太を他所に、コトネは口を尖らせていた。
「なんで4人なの…」
「魔女と魔道士は二人行動が原則だから仕方ないよ……」
コトネは不満げだったがそれ以上は何も言わなかった。
「英太、CDショップに先に寄ってもいいか?」
「いいね!歩いてみようか」
「いきたい!」
コトネも嬉しそうに目を輝かせた。CDショップに向かうと、流行りの曲からジャズやクラシック、オルゴールまで置いてあり、ポスターや案内ポップが聴覚だけでなく視覚も踊らせた。
「すごい、どんな曲なんだろう」
「そのヘッドホンで試しに聞くといいよ」
真守はヘッドホンを持つと、コトネを手招きする。コトネが近寄るとヘッドホンを被せてやり音楽の試聴曲を再生した。真守は流行りや音楽に乏しいからコトネに試聴させた曲が良いものかはわからなかったが、コトネは目を閉じて曲を聴いているようだった。一方アオナはショップの楽器コーナーに行って楽器の試し弾きをしており英太はその様子を微笑ましげに見ているようだった。
「真守、私これとこれが欲しいのだけれど」
真守が振り向くとコトネは、先ほどのCDとイヤホンを手に取っていた。
「いいよ、買おうか。払っておくよ」
「ありがとう真守!」
コトネから商品を受け取り、レジへと向かう。魔女には支給されないが、魔道士は給料として金銭が支給されるものの、日用品や食料以外で使用するときは滅多にないからほとんどの魔術師は金銭に困っていない。真守も同様だった。コトネは真守がレジをしている間、コトネは電子ピアノを弾いているアオナの近くに行って、隣の電子ピアノで音楽を弾きはじめた。
「あ!コトネピアノ弾けるの!すごい!」
「私、ピアノ習っていたから」
「へえ、コトネちゃん結構演奏上手いね」
アオナがコトネを見て言い、コトネは得意げに弾く。ショップの周りの客も少し足を止めて聞き入ったり、コトネに目を向けたりしていた。英太は感心したように見て、アオナが何かを壊さないようにと監視することも忘れていないようだった。
真守が会計を終えて合流すると、コトネは演奏をやめてにこりと笑った。
「こういうピアノもいいね」
「楽しんでもらえて何より」
「そうだ…真守、そろそろ帰らないとな」
時間は17時頃。門限の時間が近づいてきて、英太が言う。
「そうだな。いい気分転換になったよ、英太」
「どういたしまして。また余裕のあるときに出かけよう」
「ええーもう帰るのー?」
英太がアオナを宥めながら何かを囁くと、アオナは「いく!」と言って英太の手を取ってぐいぐいと引っ張っていった。
「すまん、ジュース買っていくわ!」
英太が店外に引っ張られながら言う。
「せっかくだしコトネも買うか」
「そうね、飲みたい」
「英太ー、俺達も行くよー!」
そうして四人で近くの店舗で各々飲み物をテイクアウトする。アオナの飲み物を英太が冷ましていたり、コトネがアオナに飲み物を味見させてあげたりしながら真守はその様子を微笑ましく見ていた。
真守はそっと英太に目配せすると、英太は少しだけ頷いた。誰かに聞かれたくない話しをするのに魔道士の力はうってつけだ。
「(英太、アオナに信頼されてるようで、さすが英太だな)」
「(ああ、でも、やっぱり堪えるな…いや、よそう。真守もあの終焉の魔女を手懐けるなんて流石だな)」
「(じゃ、また。コトネが見てる)」
コトネが何かを察知したように真守を見ていて、慌ててテレパシーを切った。コトネは真守の僅かな雰囲気にも敏く感じているようだ。
そのまま英太達と帰り、二人とはアパートで別れた。
アパートに帰るとコトネが、ショップで購入したCDとイヤホンを取り出し開封していた。
「CD聞いてみよう?待ちきれない」
コトネはピアノの上のCDプレイヤーを持ち、CDをセットしてイヤホンを差し込んだ。
「真守もほら、聞いてみて」
イヤホンの片方を渡しながら「ほら」とコトネは催促してくる。
「俺、曲とか歌とかあんまりわかんないけど」
「それでもいいの。好きな曲を一緒に聞きたい」
「そっか、じゃあ聞こうか」
真守は部屋に座ると、コトネも隣に座ってきて、片方のイヤホンだけを借りた。
片方の耳は静寂で、もう片方の耳は聞きなれない音楽が流れていた。ゆっくりとしたクラシックにも似た音楽だった。
コトネと肩をぴったり寄せ合いながら、CDの最後の曲を聴き終えるまで二人は目を閉じて音楽を聞いていた。