【第7章1】ゆるやかな歩み
目を開ける音がした。レベッカは瞬きを数回繰り返し、上を見た。上はごつごつとした洞穴の一部だ。目がそれを認識すると、レベッカは昨日のことをさらっと思い出しながら体を起こした。
(そう、この風変わりな二人と会って。一緒に寝させてもらったのよね、たしか)
思いながら、今だ毛布に包まっているニィラと、腕に何かの布を巻きつけているグレイを見た。レベッカは、自分で持ってきていた毛布を片付け、グレイのところへ行った。グレイは、布を巻き終わると近づいてきたレベッカに向いた。
朝の挨拶を告げたレベッカは微笑んだ。長い間挨拶を交わす相手のいなかった旅を続けていたせいか、グレイは一瞬とまどいながら、そして口ごもりながら挨拶を返した。
朝から陽気に笑うレベッカの姿に、グレイはふっと目を疑った。どこかで見たことのあるような気がしたのだ。だが、そんな感じは直ぐに消えた。
(全く・・・、最近はこの者らといると、消えた記憶とやらが浮かんでは沈んでいく。それはまるで、餌欲しさに水面に浮かび上がる錦鯉の如く)
レベッカはグレイの心中を知ることもなく、グレイに尋ねた。
「ねぇ、アーナスさん。ここの近くに川はあるか知ってる? 私、顔を洗う水とか飲み水を貰ってこようかと思ったんだけどね。あっ、あなたたちの分も持ってこようか?」
「あぁ、そこの茂みを少しばかり南へゆけば小さい川があるはずだろう。わしらの分も持ってきてくれるのならば、ありがたく頼もう」
グレイは自分の荷物から水筒を取り出して、レベッカに手渡した。自分の水筒とタオルを抱えたレベッカは、グレイのも持って茂みの中へ小走りでいった。
グレイは、遠ざかるレベッカの気配を感じながら、そろそろニィラを起こそうと足を向けた。グレイが近づくと、ニィラが寝返りを打つ。どこかで鳥が歌を口ずさんだ。鳥の鳴き声が、なぜか耳新しくてグレイは振り返った。
朝の為か色が若干薄めの青が上に広がり、おぼろげな厚みのない白い雲が高い空に吹く風に流された。全てが映える空に、鳴き声のもとと思われる鳥の姿はない。
それでも、なぜかグレイは空を見つめている。グレイの顔のすぐ横を風は通り抜けて、洞穴の直ぐ前の茂みの隙間に入り込んだ。木の枝がほかの枝の葉や幹に当たって音を立てた。
ニィラが少し、うなった。体を動かしながら、声が出ている。そして、ニィラのまぶたがピクピクっと動いてつぶらな瞳に、朝日が入り込んできた。体をゆっくりと起こしたニィラのすぐ前には、空を見上げるグレイがいる。衣擦れの音に振り向いた。
「お早う、ニィラ」
返事を返そうと思って、口をひらこうとすると体が無意識に動いて、ニィラは痛いと声を上げた。グレイは豪快に笑った。初めて野宿した者は、同じように痛みを訴えた。グレイも初めてのときも、うめきあげたものだ。
「うぅ。おじさん、ひどいよー笑うなんて」
頬をぷくっと膨らせた様は、子供らしく愛らしかった。痛いと、言いながらなんとか立ち上がったニィラは、花のように可愛らしい笑みをグレイに向けた。
「おはよう、おじさん!」
レベッカに朝の挨拶をされたときよりも、面食らったグレイ。やはりニィラと重なる一人の女性。高めの声が耳元でいう。『おはよう、グレイ!』という声が鮮明に聞こえたが、グレイにはそれが幻聴であることは分かっている。
「どうしたの? 腕以外にどこか悪いところでもあるの、あたしには見えないけど?」
大きな瞳でグレイの顔を覗き込むニィラを再び見ると、幻聴も幻想も掻き消えた。目をしばたたかせたグレイは首を横に振った。腕はまだ痛むが、顔色を悪くさせるほどひどいものではなくなっている。
「いや、この腕の方はあまり痛まなくなっておる。どこも痛いと感じるところはないぞ。お主の気のせいだ」
「そう、なのかな。それなら、いいけどね」
ニィラは段々からだの痛みにもなれ、腕を振り回したり飛び跳ねたりと、元気いっぱいである。しかし、グレイの様子が微妙に違うことに気づかないほど幼くは無かった。
話題を変えようと、ニィラの口から出たのはしごく普通のことだった。
「あっ、おじさん。レベッカおねえちゃんは、どこに行ったの?」
お、おねえちゃん・・・? とグレイは一瞬耳慣れない単語に首を傾げたが、すぐにニィラがいう『おねえちゃん』とはレベッカだと思い当たった。グレイは簡単にどこへ行ったか説明した。それを聞いたニィラはそうなんだー、と言いながらグレイと並び立った。
そして先程のグレイと同じように空を見上げた。目を輝かせて青空を見上げる様は、初めて空というものを見たというようだった。
「ニィラ、お主空を見たことがないのか?」
くすりと大人びた含み笑いをグレイにみせたニィラは、また空を見上げこういった。
「そんなわけ、ないじゃん。ただ、ね。こんな時間に、じっくりと空を見つめたことがなかったの」
そしてグレイは、ニィラが農村の家で引き取られていたことを思い出す。農家であれば朝の早い時間から、起きだして畑に出て働いていたり針仕事に精を出していたりしていても、不思議ではない。というか、当たり前だ。
一人納得したグレイが視線を前の茂みに下げると、ニィラが気づいたように声を上げた。
「あっ! レベッカおねえちゃんが帰ってきたよっ!」
『生命の根源』を持つニィラは多少の障害物があっても、そのものが持つ『生命の源』が見えるのだ。それぞれが持つ『生命の源』は同じ種族や種類のものであっても、個々多様でそれを見分けられるそうだ。
元気いっぱいに、茂みに隠れてこちら側から見えないレベッカの方に駆け寄るニィラ。数個の水筒と皿のような物を持ったレベッカは、いたずら好きの子供のような目で立ち上がった。
「あーあ、ニィラちゃんはどうして分かるのかしら。こんなにあっさり分かられちゃ、盗賊なんか成り立たないわけね」
レベッカは持っていた水筒を幾つかグレイに渡して、皿はニィラに差し出した。皿を可愛らしい様子で覗き込むニィラに見えたのは、ときどき揺らめく自分の姿だった。皿の中には水が入っていたのだ。レベッカがニィラに顔を洗う為の水だというと、素直にお礼を言ってパシャパシャと自分の顔に水をかけた。
タオルを用意せずに水を顔にかけてしまったので、あっとニィラは顔をあたふたとさまよわせた。その様が実におかしかったので、くすっと笑いながらレベッカが自分の使い終わったタオルで、ニィラの顔を優しく拭いてやった。再びお礼を言ったニィラの頭を、そっとなでたレベッカはグレイの方に向いた。
グレイが何かいいたそうだったので、向いたのだ。
「えっと、アーナスさん?」
「あぁ、レベッカ嬢。お主の目的先を知りたくてな」
グレイのえらく丁寧な『レベッカ嬢』に反応したレベッカは、ぶんっぶんっと両腕を振ってみせた。
「わっ私、そんないい人じゃないって。さっきも言ったと思うけど、盗賊やってたって・・・」
「聞いておった。まあ、呼び名が気に入らないというのならば、単にレベッカと呼ぶことにしよう。して、レベッカ。見受けたところお主は、目的があって旅をしているのであろう? その目的地を教えてはくれぬか?」
別に隠すことも無いので、レベッカは正直に答えた。
「うん、いいけど? 私は、ヒーディオンの首都近くにある村に用、というかその村にいる人に会いに行くの」
ヒーディオンの首都近く、そして村という単語にグレイの眉がぴくっと動いた。もとの仕事柄、人を観察する癖がついているレベッカには、それが僅かな動きでもちゃんと見えていた。
「偶然だな、わしもその辺りに用があるのだ。そうなれば、お主も途中まで共にゆかぬか?」
レベッカにとっては願っても無い話だった。彼女は若干の方向音痴であり、何年も住んだ町でもなければ方角をよく間違えてしまうのだ。方向音痴のおかげで、オメガからアーリアへと国境越えをし、こうしてグレイとニィラに出会ったのだが、それは彼女の知る由もなかった。
「ありがたいわ。私、見知らぬ土地ではよく道に迷うから。じゃあ、これからしばらくよろしくね」
グレイとレベッカの話をすぐそばで聞いていたニィラが、それを聞いて喜んだ声をあげた。子供さながらの元気で、レベッカの腰に飛びついた。レベッカは笑いながら、飛びついてきたニィラの脇に手を入れて体ごと持ち上げてくるくるとまわった。ニィラが歓声をあげる。
二、三回まわり終わって優しく地面に下ろしてやると、ニィラが不満を訴えた。それさえも可愛くてレベッカはにっこりと笑って何も言わなかった。
出発の準備を終わったレベッカとグレイは、昨夜の野宿した痕跡を隠す作業をしていた。食べた食料の欠片などがこぼれていないようにし、火をつけていた焚き木をまわりの茂みに隠したりとしていたのだ。
グレイが正体不明のものから追われているということを、至極簡単に説明されたレベッカは慣れた手つきで痕跡を可能な限り隠した。盗賊だった、という事実を思い出したグレイはレベッカに声をかけた。
「レベッカ」
「うん、なぁに?」
「盗賊をやっていたそうだな。 ならば、逆に襲われても返り討ちにすることは可能か?」
レベッカは作業する手をとめ、まばたきをした。ひと呼吸のあいだに何を想像したのか、軽く頷いた。
「うん。よほど酷い怪我を負ってなければ、大丈夫だと思うよ?」
もともとオメガという治安の悪く、盗賊の集まる場で盗賊業をやっていたレベッカは、手ごわい盗賊のやり方を知っている。一瞬、仲間達が思い浮かんだが、自分の手で握りつぶした。
軽い調子で言った様子にグレイは安心して言った。
「それでは、ニィラに護身術程度でよい。身の守り方を教えてやってくれ」
普段より台詞が少なくなっております、仕様です。
この三人の絡みは、すごい癒されます。時間がとってもゆっくり進むので、描写に力をいれてみました。スローペースな感じが伝わっているでしょうか。
特に、ニィラに癒されます。ジュディー(幼少期)がなんだか色々元気すぎるというか、妙に大人っぽく妙に子供っぽいので、天真爛漫でちょっぴり頑固なニィラは最大の癒しです!!
(↑言い切った・・・笑)
いやね、ジュ&ドラ&モデとヒアの絡みは、書いててほんとーに楽しいですよっ?!
だからっ! ジュディーちゃん、そんな目でこっちこないでえええっ! しかも真剣だしっ!? せめておもちゃの木刀で、お願いします!!!!
・・・ほ、っほら! そこにヒア君いるし!! 鍛え害があるのはヒア君なんでしょおおっっつ!!??
――暴走気味なジュディア(幼少期)はヒアのほうへ神速で駆けていったとさ。ヒアは数時間後、モデランとドラントに引きずられてベッドに投げ込まれたそうだ。