【番外編1-4】『青鷺団』の女の子
ときどき、緑の間の壁に立つ騎士が身じろぎする。
ビルはそれに構わずあぐらをかいたまま、柔らかな絨毯の上で黙す。見る者が見れば、ビルの周りを覆うような魔方陣が絨毯に、浮かび上がっているのが見えるはずだ。そしてさらに、ビルが脇に置いた二振りの剣がわずかに輝いているのも見えると思う。
ふと、二人ほどの足音が聞こえた。扉を開く音ともに、一人の新兵を連れた騎士が現れ、騎士たちが歓声を上げた。
「また、一人脱落したぞ!」
「これで脱落者は三十五人だな。残りは十五ほどだ」
先ほど新兵を連れてきた騎士が、緑の間の真ん中で堂々と座っているビルを見て、同僚に尋ねた。
「あいつ、何やってるんだ?」
「さあな。開始と同時に、自ら脱落したらしいぜ」
ビルは実際、周りの音があまり聞こえていなかった。なぜなら今、ビルはジアン達が最後まで鬼に捕まらないように、精霊を向かわせていたからだ。
あの三人が常に一緒とは限らないので、アポシオン・バロシオンそれぞれが別に探しに行ってもらった。
ビルは静かに、己の中にある精霊との絆を見つめた。そうすると、するすると長い紐のようなものが二本、自分の手のひらから精霊へのびていく。もちろん、この紐はビルと精霊達にしか見えないが、周りにいる新兵も騎士もなにか感じているような顔をしていた。
ビルは意図して魔方陣をだした訳ではない。精霊とジアン達の方角やらを調べようと、自分の周りに指で円を描き方角をあらわす文字を書いていたら、魔方陣ができていたのだ。それに本人は気づいていない。そして魔方陣が何かを、彼はまだ知らなかった。
あの書庫で過ごした一ヶ月は無駄ではなかったものの、魔法に関する本をすべて調べるのは困難で無理であった。
魔方陣とは、ものや生き物を探すときに便利な魔法の環である。人一人が十分に入れるくらいの大きさの環をかき、正確な四方に方角を意味する古代文字を書き加える。そこに探すものの名前と中心が何処であるか示すマークを交互に書いて、環の外で一回り大きい環ができたら、さっきの四方の間を突くような線を内側の環の中心まで引く。これで魔方陣は完成する。
そして探したい物を呟きながら内側の環の中心で、四方のひとつに指を指せば、目的の物がそこにあるかないかを教えてくれる。
ビルは、誰に教わるでもなく思いつきで魔方陣を作り使っていた。ただ緑の間にいる人には環の一片すら見えていなかった。
(二人は見つけたかな・・・?)
先ほど反応があった方角に指をおきながら、探す者の名を呟く。ただしこれは本当の名前で無いと効果が無い。
「リオンジアス・フェブリーヤ、ヘック・カーロン、エリム・マドゥカ」
特にジアンの名前は自分だけに聞こえるように、低く小さく。
するとさっきよりも弱い反応があった。さっきから遠い位置にいるようだ。ただ、二人分の反応しか返ってこない。
(誰か分かれた? 一応連絡をしておこうか)
無意識のうちに剣を近くに引き寄せていた。ビルがアポシオンの顔立ちと、凛とした声を頭の中に描くとそのうちに、『真理の剣』の輝きが目に痛いほど増した。
――互いの思念が聞こえないとき、声をかけたい精霊をよく思い浮かべてください。顔、声、性格、思い出せる物ならばどんなものでも構いません。
――そうしたら、どうすれば?
――言いたい言葉を心の中でよく響かせてください。ひとことずつ、耳の遠い人に語りかけるようにはっきりと、何度も繰り返し心で文字として浮かび上がらせてください。遠い精霊に伝わるように。
――必ず僕達はあなたの呼びかけに答えます。力強く僕達に伝えてください。絶対にあなたが望む答えを導き出します。だから、伝わるのに時間がかかったとしても、僕らを信じて呼びかけ続けてください。あなたの力は僕らを導いてくれる。
すっと息をすいながら、目を閉じた。そして心の中で呼びかける、彼女の名前を。
*
バロシオンは不機嫌な様子でエリムとエーシャから離れていく。どうすればいいか分からないエリムは、バロシオンとエーシャを交互に見てどちらにいるべきか、戸惑っている。
ただエーシャの瞳が潤んでいるのをみて、エリムはこちらで話を聞くことにした。
「エーシャ、大丈夫。意味もなく彼は怒ったりしないと思うよ。だから、涙拭いて」
エーシャはさっきとは打って変わった、朝と同じような様子でこくりと頷いた。そして自分のポケットから出した、ほのかに香るハンカチで顔を拭きはじめた。
エリムは、エーシャの綺麗に整えられた緑色の髪を撫でた。そしてなるべく優しい声音に聞こえるように、エーシャの耳にささやいた。
「エーシャ、君は魔法が使えるの? すごいね。いつから使えるようになったの?」
静かに唾を飲み込んだエーシャは少し口をもごもごさせながら、エリムを見上げた。
「エリムさん、少し話が長くなるけれど聞いてくれる?」
その真剣な顔にエリムはハッとした。心臓がさっき戦ったときよりも、走ったときよりも、早く鼓動を打ち始めた。エリムはその音なんて聞こえない振りをしながら、肯定の意を示した。
「そう、よかった。あのね、私ずっと田舎のほうに住んでいたんだぁ」
エーシャは、大戦争によって滅ぼされた国の民の血を濃くひいているらしく、それで赤銅色の目と緑髪を持っているそうだ。エーシャが住んでいたところではそういう人は多く、たまにリーディアとは違う世界から来た者を見ることができる『瞳』を持っている人も生まれることもあるそうだ。
エーシャもその一人らしかった。もともと田舎で、そういう人が少なくなかったことで、差別されたりなんていうことはなかった。
あるとき、エーシャが十二歳の頃、住む所の隣にある村に旅芸人団なるものが訪れたらしい。その名も『青鷺団』。さまざまな国を巡り、方言や多国語を話し、いかなるときも人々に感動と笑みをあたえる。
旅芸人なんてめったに来ないから、エーシャはほかの大人に内緒で隣の村へと出かけていった。
夕暮れの闇にまぎれながら、村の人が話していた旅芸人達が野営している丘へ、エーシャは歩いていった。
いくつものテントが丘に立ち並び、夜のショーのために沢山の人が忙しそうに動き回っていた。その動きから離れたところで、きらきら煌く髪を肩に垂らした女の子が歌を歌っていた。
目を閉じて口から紡ぎだす声にエーシャは、強く惹かれた。隠れることも忘れ、思わずその女の子に近づいていた。
近づくエーシャに気づいた女の子はにこっと笑った。邪気のない笑みを見せられて、エーシャは嬉しくなった。初対面の人に気味悪がられることがよくあったので、とてもエーシャにとって気持ちが良かった。
「わたし、エーシャ。あなたは?」
「わたしの名前は~ルテーナだよ~」
銀髪をした女の子は歌うように言った。つられてエーシャは声を立てて笑った。
「うた、上手だね。ルテーナちゃんは」
「うんっ! でもねお兄ちゃんはぁ、ぜんっぜんおうたうたってくれないの。エーシャお姉ちゃんはうたってくれる?」
お姉ちゃん、と聞いてエーシャはちょっと赤くなった。
「お姉ちゃんじゃないよ。だってそんなに年変わらないもの」
そっか、とルテーナは小さな両手でエーシャの片手を包み込んだ。エーシャはそのぬくもりにどきっとしながらルテーナの瞳をみつめた。
「じゃあ、エーシャちゃん。いっしょに、うたお?」
「いいよ。楽しく歌お」
ルテーナは顔をほころばせ、嬉しそうに目を細めた。
「私がルテーナと会ったことで凄く、未来が変わったと思うの。実は彼女、私と同じように『瞳』を持っていてその上、魔法がちっちゃい頃から使えたんだって」
それほど昔の話ではないはずなのに、とても懐かしそうな顔をしている。エリムはバロシオンが行った方をちらと見やりながら、近くにあったベンチに腰掛けた。片足は曲げてベンチのへりに引っ掛けた。顎をひざに預けながら、エーシャの高い声を聴く。
「それをルテーナから打ち明けられた時、私も『瞳』を持ってるって言っていた。一緒だねって笑いながら歌ったとき、私の魔力がなぜか体から発したの」
「魔力が?」
エリムが不思議そうに言うと少し微笑みながらエーシャは言った。
「普通の人にも魔力はあるんだって。血とおんなじように身体を巡っているんだよ。だから、魔法を使える人と使えない人の差はちょっとしかないんだって」
エーシャはエリムが目を丸くするのを笑って見つめた。エリムは顔が赤くなったのを感じて顔を伏せた。
「私、召喚魔法はルテーナから教わったんです。ただ――最後の日に、彼女何か言いかけたんです。それがバロシオンが怒ったことに関係あるのかも・・・」
<あるかも知れませんね>
エリムはハッと顔を上げた。エーシャのすぐ後ろに長身の美青年が立っていた。
<先ほどは訳も聞かず手を上げてしまい、申し訳ありませんでした。話をよく聞くべきでした>
金色の髪を顔から垂らしながら頭を下げたバロシオンに、エーシャはしゃがんでバロシオンの手をとった。あのときのルテーナと同じように。
「私の言動に何か悪いことがあったんでしょう? 教えてください。ルテーナが言いかけたことを」
<知らないのですか・・・。ならば代わりに教えましょう。魔法を使える者は、人を傷つけてはいけない。下手に傷つければ、魔力が激減し魔力の枯渇で死にいたってしまいます>
一週間ぶりです。なんとかまた更新できました。
かくれんぼが予想以上に長くなりそうです。全体的に番外編が6章ほどの長さになるかもしれません。読んでくださる方が楽しめるようがんばりますので、よろしくお願いします。
10’6’19
一部、次の更新で矛盾してしまう部分を変更しました。