【第6章13】長い日の終わり
ヒアはしばらく経つと、静かに寝息を立て始めた。
さきほどまで黙ってうつむいていたかと思うとこの有様だ。
「自分からいっておきながら、一人だけ寝るというのは如何なるものか」
「そろそろ帰るか? 深夜となると今から四時間ほどしかないし」
シェイがいうとリオンも頷いた。リオンは早くもいびきをかいているヒアをつつきながらいった。
「解散だな。・・・この人はどうするか」
「こちらで運んでおこう。一応軍の管轄内だ」
とリコールがいってくれたのでそちらに任せることにした。
いびきをかいたヒアを、荷物のように背負うと、こちらを一瞥して帰っていった。
さてと、というように立ち上がったジアスは、いきなり声を上げた。
「あっ!」
「近所迷惑だぞ?」
リブシアが大きな声を出したジアスを注意すると、ジアスは謝った。
「悪い。ちょっと面倒な事を思い出して・・・」
「面倒な事?」
「父さんたちに全部終わったら説明するって断言しちゃった気がするんだよなあ」
「それは・・・かわいそうに。僕も行ってあげようか?」
「俺もついていこっと」
リブシアとシェイはニヤッと笑った。なにか悪巧みを実行するときの笑みだ。それをみたジアスは少し顔が青ざめる。
「じゃっじゃあ、ビル。またあとでな」
「ほら早くかえんないと、大変だよ~」
「じゃあな、ビル」
ジアスがリブシアに押されるように帰っていき、シェイはさっきの笑みを崩さずリオンに向かって、片手をあげて二人の後を追うように帰っていった。
「リブシアのほうが、モデランさんに似てると思うけどな」
リオンのそんな呟きは一吹きの息によって、ランプの明かりと共に消えた。
*
酒場中に拍手が飛び交う。ルテーナは酒場内の客の心をわしづかみにし、雰囲気を全て味方に変えていた。なかには口笛やリクエストする客もいる。
ルテーナはポルディノから渡された飲み物に口をつけながら、ある考えを思いつく。
(兄様は、めったなことで歌ってはくれない。どんなに頼んでも、いつもなら断固として鼻歌すら聞かせてくれない。でも、今なら・・・?)
ルテーナは飲み物のグラスを、ポルディノに返しながら言った。
「兄様、」
否、言おうとした。ポルディノがそれをさえぎったのだ。
「ルテーナ、そろそろ帰る時間だよ」
「あら、そうなの? じゃあ、最後に兄様、一緒に歌いません?」
ルテーナはポルディノの目をじっと覗き込みながら言った。ポルディノはそれを避けるように顔を背けた。
(やっぱりそうきたか・・・)
ポルディノは今すぐにでも帰りたくなった。ポルディノは妹が歌っているのを見るのは好きだったが、歌うのが大の苦手だったからである。だから、今まで誰になんといわれようと、音符をなぞった声を喉から出す事を嫌がった。
だが、今の状況は違う。今まで相手にすればよかったのは、面倒なことをいいつけてくる客と、ときどきじゃれあうように頼んでくる妹だけであった。それも客は団長やオゥンに対処してもらえばよかったし、妹はただの遊びのようなものであると分かっているから、歌を口から紡ぎ出さなくてよかった。
今は妹(本気モード)+大勢の客(ルテーナが本気なので本気)だ。ひとりで対処どうこういえる場合ではない。自分が折れれば、一回だけ声で歌を形作ればいいのだ。諦めたポルディノは大きなため息をついた。
「・・・わかった。なんの曲?」
「きゃ。兄様、うれしい!」
「やっぱり嫌だ・・・・・・」
*
リスベス帝国の空では、既に夜の月が弧の頂点に来ていた。北国にも春が来ているとはいえ、吹き付ける風は冷たかった。ウォリスは、開けていた窓を閉めて、かんぬきをかけた。窓を背にして自分の部屋へと歩き始めたウォリスは、名前を呼ばれて振り返った。そこには急ぎ気味に歩いてきた同僚の姿があった。
「ウォリス」
「どうしたんだ? 急ぎの用か」
同僚は切らせながら、肩をハアハアといわせた。ウォリスは呆れたように鼻をならした。
「一応お前も、戦場に出る身だろうが。そんなことで息が絶え絶えになってどうする」
「今日一日走ってたんだよ。それより、お前。陛下に呼ばれていたぞ! 今すぐ急げ!」
同僚に思いっきりバンッと背中を叩かれたウォリスは、背中をさすりながら足を速めた。
ウォリスは昼前に報告をしたばかりだ。それほど重要な情報も入っていたわけではない。
(どういうわけだ――?)
(何のために皇帝は、俺を呼びつけたのだ? 別に明日でもよかったんでは?)
ウォリスは先程、報告したときからレギオスは動いていない、と考えて彼の自室まで来ていた。ノックをして声をかけると、中からレギオスの了承を出す声が聞こえてきた。
「失礼します」
と断りを入れて部屋の中に入ると、レギオスは変わらず机に肘をつき何処かを眺めていた。
レギオスがウォリスに気づき顔を動かすと、その動きはただの命ない人形のような動きだった。その動きにウォリスは、背中に伝っていく冷や汗がとても冷たく感じられた。
「ああ、ウォリスか」
レギオスが発した声もまた、人形が発した声のごとくウォリスの頭を震わせた。
「今度はどのような御用でしょうか」
「お前は俺が呼んだことに疑問を覚えているだろうな。まあ、初めて会ってから三週間程しか経っておらんが、会うのはだいたい一日に一回ほどだったしな」
レギオスの目は水晶のように透き通っていたが、ほかの者に悟らせない強い思いが隠れていた。ウォリスは読み取れないと分かっていながら、相手の目を覗き込んでしまう。覗き込んだ後に、後悔すると知っててもなお。
「はい、仰るとおりです。とてもその答えを聞きたいと願っているのですが」
「お前のように焦らすつもりはない。お前に直接確認したくてな」
それが焦らしているというのではないか、という言葉を君主に言いかけて飲み込む。
「わたくしにお答えできるものであれば。なんなりとお聞きください」
「じゃあ、聞こうか。ウォリス、なぜ昔の名を捨てた?」
「それは自分が望んだものではないからです」
レギオスは相手の答えを聞くと興味深そうに、顔のパーツを動かした。その顔をみたウォリスは身体を震わせた。
(まるでただの機械みたいだ!)
そのころ、機械と呼ばれるほど最新技術を駆使した物は存在していなかった。だがその昔、リーディアに住む者が全て魔法が使えていた時代は、機械と呼ばれる魔力を同源にしたモノがあった。そのモノであっても様々なものがあり、今ではどの様な構造になっていたか、ということは分かっていないが、どんな型があったのか記録は残っていた。
井戸のかわりに地下の水を救い上げる型、単純な仕事をこなす人型、風を受けてまわることによって別のエネルギーを生み出す風車型、そして人につき従う人形型。
ウォリスはこれらのことをとある文献で知っていた。実際に見たことはなかったが挿絵をじっくりとながめたことがある。それにとてもよく似ていた。
「では、なぜ故郷を離れた?」
「世界を知らねば、自分の使命など分からんでしょう? ただ先代に託されただけの使命を、従順に貫き通す『章の持ち主』などクズですよ。洗脳された魔法使よりもたちが悪い」
それからレギオスは幾つもの質問をウォリスに投げかけた。そのなかにはウォリスにとってどうでもいいこともあったし、際どいところをついてくるものもあった。
(なんのつもりだ? 皇帝は俺の前のことを知っているはずだ。なのに・・・)
ウォリスの思いを知ってか知らずか、考えている最中にも質問は飛んでくる。
「フラン・ローシャ、どうやってお前は二人月のことを調べた?」
「・・・前の名前で呼ぶんですね。俺にはネイロで文献を調べられる権利がありますから」
「では、その権利はいかがして手に入れた?」
ウォリスの顔が、わずかだがかたまった。一瞬にして色あせていくようだった。
「やはり、それは魔法によって作り出された幻のようだ」
レギオスは勝ち誇ったようにいうと、銀色に光る剣でウォリスの胴体を横薙ぎにした。普通であれば胴体が真っ二つになり、血がふきだす所だが、ウォリスの身体を構成する光が、一気にはじけてウォリスの身体はなかった。部屋に無数の光の粒が、漂っているだけだった。
*
リオンはジアスの家に行かず、もう自分の部屋となった元ジュディアの部屋にいた。新たに油を入れたランプに火をつけて、『平和の章』を読んでいた。一番新しいものだ。二人の精霊が自分の分も書き入れるべきだ、というので先代のところを読んで参考にしようとしていたのだ。
新しい物なので、十代目から十四代目まで書いてある。
ヒアの話を聞いてきたあとなので、そのころのリオンが誰なのか気になり十三代目の書き出しから、ページをめくっていた。
(十三代目は誰だろう?)
ほかの先代たちは書き出しに自分の名を書いているが、十三代目は書いていない。それどころか、定期的に書いているとは思えない程、内容はざっくばらんで曖昧だった。
<彼はめったにここに書かなかったんです。僕らも書くことを勧めたんですけど、この本を放置したまま何処かへ出掛けてしまいまして>
バロシオンが苦笑いしながらいった。明るい金髪が、薄暗い部屋の中では翳ってみえる。
<その本には自動書記の魔法が掛かっているんですよ。だから彼が何を成したのかは、書かれていますけど、なぜそこへ行ったのかとか、どのようにやったのかというのは書かれないんです。でもたまに、自分で書いてくれた時は決まって、ある一人の男の話ですよ>
アポシオンが本について補足説明をした。どうやら、二人の精霊もあまり十三代目のことを知らないようだ。
アポシオンが差した、自分で書いたというところに注目してみると、彼女の言うとおり決まって一人の男の話だ。
「L・F? だれのイニシャルだ?」