6(アルレイシア)
夫となったばかりのヘンリクに拒絶され、私は直ぐにゲルガー様と父に手紙を書いたのです。
後日父からは事情を聞きたいと呼び出され、その後ゲルガー様と父の間で話し合いがされました。
父が用意したヘンリク様の調査書に、ゲルガー様は頭を抱え父は馬鹿にされたと怒りを顕にした。
それでも両家の利益が絡む婚姻、離縁は出来ないし外聞が悪い。
結局、父がゲルガー様に提示した条件で婚姻生活を送る事となった。
私はラットンの人間として役割を果たし、三年夫婦関係がなければ婚姻無効の申請をする許可を貰った。
その間にヘンリク様に変化があれば婚姻を継続する。その後も子が授からなければ私がヘンリク様以外の愛人を持ち子を作る。
ゲルガー様は重要なのは私の血を分けた男児だと言う。ゆくゆくはその男児にラットン家を継がせる事で両家の絆を強固にしたいと。
ヘンリク様から拒否された私の血が求められるのは不思議な感じがしましたが、望み通りに私は必死に役割をこなしました。ゲルガー様から屋敷の管理を任され、必要な交友を築きラットン家のため必死に。ラットン家のために拒絶されても尚関係を少しでも良くしようとヘンリク様とも関わろうとした。ヘンリク様の気持ち次第で私のその後の生活も変わるのですから。
離縁するかそのまま冷たくとも夫婦としての形を維持するか、私の気持ちは関係ない。一度嫁いだ以上、ラットン家のために生きる。
でもヘンリク様は変わるどころか益々私を疎ましく思い遠ざけた。
どんなに努力しても名前すら呼ばれる事がない。
自分が酷く惨めだった。
私だって関わりたくない。でも三年は耐えなければならないのです。
三年、ヘンリク様の心が私に向かなければ離れることが出来るのです。
夫のエスコートなしでもパーティや夜会に参加しました。ヘンリク様が私をエスコートするのは一定の家格以上の招待のみ、女が1人で参加することは恥、分かっているくせにエスコートしようともしない。
そんなヘンリク様の行動は常にゲルガー様とお父様に報告が入ることも知らずに今日もお連れになるのはいつもの華やかな女性。
婚約中は同情的だった周囲の目は婚姻後はあからさまな嘲笑へ変わり、とても辛かった。それでも、ラットン家と関わりのある方達へにこやかに挨拶をして回る。私がラットンの人間として行動することはあの日お父様とゲルガー様と交わした約束でもあるから。
苦しくて辛くて逃げ出したかった。
私が会場を出ればきっと彼は来てくれる。でも会えない。
私はもうアルレイシア・ラットンになってしまったのだから。
「あなたの夫は恥知らずなのねぇ」
そう言って微笑む美しい女性はエリストロ侯爵夫人、ルーマリア様だった。
「だってそうでしょう?ご自分は愛人とベッタリで、エスコートさえしないくせに妻に社交を任せ切り。ラットン夫人がご挨拶していたのは皆様ラットン家に縁深い方達ばかりではありませんの?」
歴史深いエリストロ侯爵家の夫人が私に話しかけてくれた事で周囲の態度は少しずつ変わって行った。
「本当はね、義弟に頼まれていたのよ。あなたを一人にしないでくれって」
知り合って一年程経った頃に告白をされた。
「内緒でって言われていたけれど言っちゃったわね」
「そんな気はしていたわ。エリストロ侯爵夫人が私に話しかけて来るなんて、有り得ないもの。それにあの方はとても優しいから」
「……優しい?」
「ええ、とても」
「まあ、いいわ……。でも、きっかけはどうあれ私はあなたを気に入ったの。今お付き合いがあるのは義弟に言われたからじゃないわよ?」
「ありがとうございます」
「黙っていた事に腹は立たないの?」
「んーそうね、ないです」
「そう。なら来週もお茶を飲みに来てくれるかしら?」
「勿論伺わせてもらいます」
マリアは私の返事にニンマリと笑う口元を扇で隠した。
翌週、約束の時間にエリストロ家に訪れた私は驚いた。マリアがフランツ様を連れていたのだ。
「義弟のフランツよ。フランツ、彼女はアルレイシア・ラットン、私のお友達なの。これからも度々一緒に過ごすから困った事があったら助けてあげてね?」
「分かりました義姉上。アルレイシア嬢、どうか宜しくお願いします」
もう既に私はラットン家に嫁いだ身。会うつもりなどなかったのに、あの時と変わらないフランツ様の優しい笑顔に目が離せなかった。
エリストロ家に招かれる度にわずかな時間フランツ様とお話をするようになった。冷たい生活の中にあるあたたかな時間、頭では駄目だと分かっているのに、心は会う度に惹かれていってしまう。それでも、二人きりにならない。それだけは出来なかった。
「何だかこのドレス少し地味ね、気に入らないわ。フランツ、私は着替えてくるからアルレイシアに庭を案内して差しあげて?」
「!!?、マ、マリア!?」
「ありがとうございます。義姉上」
サッと退室するマリアは扉の前で振り返りニヤリと笑った。
駄目、駄目、駄目なの。
「アルレイシア嬢、参りましょう」
差し出された手を振り払うことなど出来ず、震えながらそっと手を乗せた。
大丈夫、二人きりじゃない。
ついてくる使用人の姿に、僅かに安心し、私はフランツ様と共に庭へ降りた。
「あなたにお会い出来ない時間は真冬のようでした」
「わたくしはラットンに嫁いだ身、夫以外の男性とお会いすることは出来ません」
「ええ、ですから義姉上にお願いしたのです。アルレイシア嬢、あなたと話をしたかったのです」
「……わたくしと?」
「アルレイシア嬢、私はあなたに焦がれているのです。あなたがあのろくでなしの妻である事は勿論知っています。ですがどうか」
「い、いけません!フランツ様!」
私もフランツ様とお話したかった。とてもお会いしたかった。
でもこれ以上言わせてはいけないのです。握られたままの手を解こうと手を引くも、フランツ様はしっかりと握り離してはくれず、私の手を取ったままその場に膝を突くのです。
少し離れて付いてきていたはずの使用人達はいつの間にか姿を消し、気がつけば私とフランツ様の二人だけになっていました。
「アルレイシア、あなたを愛しています。どうか私の気持ちを知っていて下さい」
「っ!!」
その言葉に私の心は大いに震えました。
喜び、なのかは分かりません。つま先から痺れが全身にわたるような感覚。
何故か私の手はブルブルと震え言うことを聞かなくなっていました。
「フランツ様、わたくしは……」
「ああ、アルレイシア。あなたを怖がらせるつもりは無かったのです」
「違、わたくしは、フランツ様を怖いなどと…きゃ」
フランツ様は私を抱きしめたかと思ったら、サッと横抱きに抱え近くのベンチへ下ろしてくれたのです。
「あの男を、愛しているのですか」
酷く苦しそうな顔で私に問うフランツ様、こんなお顔を見たことはなく、私は胸が苦しくなってしまいました。
愛している。そう言ってしまえばフランツ様は諦めてくださる。
でも私は言えなかったのです。
「いいえ、いいえ。わたくしとヘンリク様との間にはどのような愛もありません。あるのは婚姻関係があるという事実のみ」
「では」
「ですがわたくしはまだヘンリク様の妻という立場にあります。フランツ様のお気持ちに応えることは出来ないのです」
「あなたは、あの男と別れるつもりなのですね」
「それは」
「分かりました。ではあなたが自由になるその時まで、私は良き友人でありましょう」
フランツ様は私の手を取りそっと唇を寄せるのです。
胸が早鐘のように鼓動を早め、手のひらはじっとりと汗をかいていました。
熱く真っ直ぐに見つめられ、私の心は歓喜に震えました。
わたくしもフランツ様をお慕いしています。
そう告げられたらどんなに幸せなのでしょう。
いつか、いつか夫と別れることが出来たら。その時まで私を求めてくれていたら。
きっと、迷うことなく飛び込んでしまうのでしょう。