4(フランツ)
クラウム伯爵家の茶会で、まるで妖精のような可憐な少女を見つけた。
茶会は既に始まっていたが、テーブルには着いておらず庭の端でぼんやりと花を眺めていた。
寂しそうで、泣き出しそうな儚い表情に一瞬で心を奪われた。
十六、七くらいだろうか。何故そんな顔をしているのか、声をかけてみるかどうするかと考えているうちに少女は顔を上げ立ち去ってしまった。
彼女が立ち去った後、彼女がいた場所に立つと、色とりどりのマーガレットが陽の光を受けさわさわと風に揺れていた。
可憐な少女にピッタリの花だ。
その後私も会場に戻り茶会に参加した。そこで彼女がこの家の娘だと知る。先程とは違い明るい表情で伯爵夫人と共に招待客をもてなしていた。
クラウム家と言えば最近ラットン侯爵家との縁談が纏まり注目の家だ。
伯爵家の子は兄と妹一人ずつ。彼女がそのラットン子息の婚約者なのだ。
夫人達が挨拶に回って来るのを待ってはいられず自分から足を向けた。
夫人に挨拶をする名目で近づくと、二人はにこやかに迎えてくれた。
鈴を転がすような可愛らしい声、脳内で何度も思い返した。
婚約者のいる女性にアプローチをかけるのは褒められたことでは無い。二人には儀礼的な挨拶をし、残念だが距離を置き、遠目から彼女を眺めていた。
「これは珍しい方にお会いしました」
私に声をかけたのは我が家とも取引のあるグラブス商会の会頭、ヤン・グラブスだった。
「フランツ様はこういった集まりにはあまり参加されないと思っていましたが」
「ああ、たまたまだよ。クラウム家とも取引が?」
通常多少の取り引きぐらいでは会頭が出向くことは無い。彼が居るということはかなりの金額が動く取り引きでもあるのだろう。
「……クラウム家とラットン家の縁が結ばれるとありご挨拶に参りました」
両家の婚姻。その事実に胸が痛み、また彼女の姿を目で追っていた。
「クラウム家の花はとても繊細でして、萎れかけているのです」
会頭の顔を見れば、彼も私と同じように彼女を見ていた。
「何か事情が?」
「どうもとある家の子息はクラウム家の花よりも派手な花を好むようでしてね。立場も弁えず憚る事無く連れ歩いていらっしゃる」
苦虫を噛み潰したような表情に、思わず聞き返した。
「……何?」
「残念な事にフランツ様がお望みの花は活けられる花瓶が決まってしまっています。もし必要でしたら別の花をご紹介致しますが」
「……いや、必要無い」
これ以上進むべきではない。私と彼女の間には何も始まらなかった。それでいい。そう自分に言い聞かせた筈だった。
だが再会はすぐであった。
別のパーティで彼女の姿を見つけ、私の目は再び彼女を追った。
婚約者と共に訪れていた様だが肝心の婚約者は傍にはいない。壁際でぼんやりと会場を眺めていた。
そこへ数人の令嬢が彼女を囲み、何やら話している。
彼女の表情も顔色も悪く、気になり不自然ではない程度に近づいて耳を立てた。
彼女の婚約者が別の女性の元に向かい、心配する素振りで見下していたのだ。
助けに入りたい。だが私が間に入れば余計な火種になるのは分かりきったことだった。
彼女がその場から離れると、令嬢達は吹き出すように笑い合った。
すぐに私は彼女の後を追った。周りに気取られないように、不自然ではない程度に急ぎ。
彼女は廊下の奥にある柱時計の影で静かに泣いていた。
「……レディ」
「!!?っ、あっ」
声をかけると彼女は驚き慌てて目元を擦り、私は咄嗟にその手を掴んだ。
「擦ってはいけません。これを」
私はハンカチを取り出しその手に握らせた。
戸惑う彼女はありがとうございますと小さく口にしてそっと目元を押さえた。
「あの、エリストロ様、お見苦しい所をお見せしました。」
「・・・いや、いいんだ。アルレイシア嬢」
彼女が私を覚えていてくれた事が嬉しかった。
私は何も聞かず、ただ彼女の目元が乾くまでそばにいた。
「先日はご招待ありがとう。クラウム家の庭は素晴らしかった。また是非ご招待下さい」
「ありがとうございます。母は催し事が好きですのできっとまた招待状をお送りすると思います。その時は是非いらしてください」
自然な形で距離を置かれた。彼女は私に近づく気がないのが分かるが、安易に是としない所が好ましく感じた。
「そう言えばクラウム家の茶会でグラブスの会頭に会いました」
「は、い。婚礼の衣装などを全てお願いしておりますので・・・」
彼女の、アルレイシアの顔色は悪い。婚約者と上手くいっていないのは先程の令嬢達とのやり取りでも分かる。
涙の原因は、その婚約者。
「あの、エリストロ様、私はそろそろ戻りますので」
「・・・ではご婚約者をお呼び致しましょう。その状態では会場には戻れないでしょう」
「いえ、エリストロ様のお手を煩わせる訳には」
「少しだけ待っていて」
「え、あの!」
アルレイシアの元を離れたくはなかったが、私はホール近くまで戻り侍女侍従に声をかけアルレイシアの元へ戻った。
「君、こちらのレディの体調があまり良くないようだ。どこか部屋で付き添ってあげなさい。確かご婚約者のラットン子息が会場にいらしたはずだから、君は周りに気取られぬようにご婚約者を連れてきて差し上げなさい」
アルレイシアが泣いたことは明らかだったがどちらも何も言わずに従った。私はニコリと笑顔でアルレイシアを見送った。
もっと早くに知り合えていたら、何かが変わっていたのだろうか。
いや、変わらなかっただろう。
彼女の婚姻はクラウム家とラットン家の政略の意味合いが強い。いくらエリストロ家の次男といえ、侯爵家を継ぐ立場にもない私にはどうにもならなかっただろう。
それでも、愛らしい顏を涙で濡らさせるなど、たとえ政略であったとしても許せない。
「……ヘンリク・ラットン」