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「何の用だ」
「こちらをお持ちしました」
アルレイシアは連れていた侍従に茶封筒に入った書類を渡し、侍従はヘンリクへとそれを渡した。
アルレイシアが連れていた侍従は普段侯爵に付いている者だった。ヘンリクはアルレイシアがその侍従を連れていた事で激しい苛立ちを感じた。
「大事な物ですので」
「ああ分かった。後で目を通しておく」
「今見て頂きたいのですが」
「ああ、これが終わったら目を通す!」
ヘンリクは乱暴にそう告げるとすぐに目の前の仕事に視線を落とした。アルレイシアに対して声をかけることなく、顔も見ようとしなかったため、アルレイシアは静かに息を吐きそのまま部屋を出た。
拒否しているにもかかわらず、ことある事にアルレイシアはヘンリクを訪ねてくる。最初こそお茶を、食事を一緒にと言い、義務と仕方なく付き合っていたがすぐに鬱陶しく感じ拒否した。それでも夜会に着るドレスの色を合わせてくれだとか誰それへの返礼や祝いの品等、くだらない事で訪ねてくるアルレイシアに辟易としていた。
アルレイシアが部屋を出たことを確認したヘンリクは封筒を引き出しに押し込めると苛立たしげに髪をかいた。
そもそもアルレイシアとの会話は全く楽しくない。口を開けば全く女らしくない、小麦の価格がどうの、東国の養蚕がどうの、その国の王子の訪問時の宴には装いを合わせて行きたいだとか、実にくだらない。
男を楽しませる会話も知らずに媚びる女が嫌で嫌で堪らなかったのだ。
今回連れていたのは侯爵の侍従。女主人気取りかと、腹立たしくてたまらなかった。
ヘンリクはアルレイシアと婚姻して直ぐに寝室を分けた。ヘンリクの執務室へは必要な時以外に訪れることを禁じ、食事も別々に取っていた。アルレイシアは小さな用事を作っては度々ヘンリクの執務室を訪ねたが、ヘンリクが強く拒否した事でその機会は殆ど失われた。今では同じ屋敷に住みながらも2人が顔を合わせることはほとんど無い。重要な社交の場にのみ次期侯爵夫人として伴い、そうではない集まりには愛人のサンドラを伴った。
サンドラは豊満な肉体の若くして未亡人になった元子爵夫人だった。夫の死後、子供が居なかったことから生家の男爵家に戻されたサンドラは肩身の狭い思いをしている。身分が低く、妻に迎えることが出来ず、クラウム家との政略もあり仕方なくアルレイシアとの婚姻を受け入れたが、今でも諦めてはいない。自分が侯爵を継いだのちにサンドラを第二夫人として迎えアルレイシアを別邸に追い出すつもりだった。
二人の婚姻はクラウム伯爵家とラットン侯爵家の完全なる政略結婚だったが、サンドラにのめり込んでいたヘンリクはアルレイシアと本当の意味で夫婦になるつもりはなかった。もしアルレイシアが初夜の言葉通りに男を作れば姦通罪として訴え、ラットン家に有利な形で離縁することが出来る。現ラットン侯爵はまだ若く、ヘンリクが侯爵を継ぐまで後十年はかかるだろう。たとえアルレイシアが男を作らなくとも、今からサンドラに子を産ませ、自分が侯爵を継いだ後にその子を迎えればいいと考えた。
現侯爵がアルレイシアに屋敷の管理を任せていることも気に入らなかった。
現侯爵からヘンリクが任されているのはごく一部の仕事、まだ現侯爵が健在であるのだから当然なのだが、自分が侯爵を継ぐ前に侯爵夫人の仕事をすることが許せなかった。
ヘンリクはアルレイシアが目障りで仕方なかったのだ。
そしてアルレイシアが男を作ることなく、自分が侯爵になることも無く三年が過ぎた。
「サンドラ、まるで咲き誇る薔薇のようだ。美しい」
「うふふ、素敵なドレスをありがとう。ヘンリクも素敵よ」
「これはプレゼントだ」
真っ赤なドレスからこぼれそうな豊かな胸、引き締まった腰にやはり豊かな臀部。サンドラの豊かな魅力を更に引き出すスリットはサンドラの美しい足をより長く見せる。
ヘンリクはサンドラの首に大粒のダイヤをあしらったネックレスをかけて手の甲にキスをした。
おおよそ男爵家では到底手が届かないような高価な物を身に付け、サンドラは妖艶に微笑む。
「せっかくの春の宴なのに、奥様をお連れしなくて良かったのですか?」
「なんて意地悪なことを言うんだ」
この国では男が愛人を持つことは珍しいことでは無い。夜会に妻を伴わなくとも責められることは無い。ヘンリクが今までアルレイシアを伴ったのは主に高位貴族、侯爵家と同等、またはそれ以上の招待のみだった。それ以外は当然の様にアルレイシアではなくサンドラを伴った。
ここ最近のサンドラは見た目にそぐわず可愛らしく、まるでアルレイシアの元に行って欲しくないと言うようにそばにいて欲しいと何度も強請った。
美しく愛しいサンドラのために、ヘンリクは可能な限り時間を割いた。
今日の夜会は王国が主催する春を祝う宴、高位貴族から低位貴族まで自由参加で行われる。年の始めのこの宴は、王国の成人済みの全ての貴族に招待状が送られる。当然アルレイシアにも。
ヘンリクはアルレイシアからの申し入れも無かったことからサンドラを伴うことにした。
「お可哀想に。せっかく伯爵家の力まで使ってあなたと婚姻を結んだのに相手にされないなんて」
「フンッ、あんな女抱いてたまるか。サンドラに比べたらまるで鶏ガラだ」
「まあ、それでは跡継ぎはどうなさるの?」
「ラットン家は代々養子をとっているから心配いらない。後二、三年もしたら子を産めない石女だと本邸から追い出してやるさ」
「あらあらお可哀想に。でも侯爵様は何もおっしゃらない?」
「あの方は仕事人間だ。今も王都の屋敷から毎日のように城へ通い、本邸には月に一、二度戻ればいい方だ。心配はいらないよ」
ヘンリクはサンドラのドレスからこぼれそうな膨らみを指で撫でながら養父であるゲルガー侯爵の言葉を思い返した。
アルレイシアとの婚姻からふた月も経てば二人が不仲なのは社交界では有名な話となっていた。それは侯爵にも知られる事となり呼び出しを受けた。夜会にアルレイシアではなくサンドラを伴っているのだから当然と言えば当然なのだが、厳しい侯爵が何を言って来るのかと胃の縮む思いで執務室の扉を叩いた。
ゲルガー・ラットン。元は伯爵家の三男で二十歳の頃養子として迎えられ三十二で侯爵を継ぎ、まだ四十五と若い。
財務大臣の任にも就き非常に多忙な日々を過ごし、口数は少なく必要最低限の会話が殆どだ。
ヘンリクも同じ歳にラットン家に迎えられたが、ゲルガーは表情も乏しく言葉も少ないためその心情を読み取ることが難しかった。
「立場を考え、夫婦間の関係改善をはかれ」
たったそれだけだった。
もちろんヘンリクにもラットン家とクラウム家の政略がどのようなものかは分かっている。
クラウム家から水を引くことが出来れば領内の水不足が解消され領民の生活改善ができ農場の水不足が補える。大きな利益に繋がるのだと。
クラウム家との約束にはアルレイシアに子を産ませるとあったが、言わなければ二人の間に肉体関係が無いことは分からず、自ら望んだ婚姻であるにもかかわらず白い結婚だなんて恥ずかしくて話すこともないだろうと思っていた。
とは言え、このまま関係が無ければ万が一侯爵に知られ咎められ、自分が爵位を継ぐときに不利になるかもしれない。
ヘンリクとアルレイシアが最後に顔を合わせたのはひと月以上前だが、嫁いできたばかりのアルレイシアに比べると、ヘンリクの好みとは違うが大人の色香が漂う女になっていた。
自分に惚れて実家の力で妻に納まった女だが、自ら白い結婚だと騒がれたら堪らない。
そろそろ一度くらい相手をしてやろうか。
そう考え、最後に会った日のアルレイシアを思い返しペロリと唇を舐めた。