想像と現実のズレ
・コールランド――――精霊に守られし民の住む世界。
文明は進んでいるとは言い難い自然の多い場所ではあるものの魔法を用いてその他の必要なことを補足して生活をしているエルフ族が住まう広大な森林である。
エルフ族は長寿であることからマイペースにゆっくりと生活をし、温厚な性格に加えて種族間での友好関係を大事にする種族であることから周囲からも好感を持たれいる種族だ。
「…………」
・精霊――――精霊の加護を得られた者のみが到達する精霊騎士。
武力、魔力、知識。
その全てを研鑽する時間が有り余っているエルフ族が、魔獣や災害時に武力行使するために結成された者たちが精霊騎士と呼ばれる者たちである。
年齢を重ねてきた時間だけ強者になり、才能があるだけ伸び続け、学んだ時間だけ力の使い方が分かる。
ようするにエルフ族の年長者たちは他と比べて異常に強いということだ。
「…………ッ!!」
次々と問答無用に脳みそに叩き込まれる膨大な知識のせいで体が気怠いと感じる…………。
空っぽになった脳に、これまでで普通なら身に着けているはずの知識の数々を詰め込まれる感覚というのは何とも言い難い。
体の血管が爆発しそうだ。
脳みそが熱さでショートしそうだ。
体を動かそうにも、体を動かすまでの伝達が脳から命令出来ない。
「――――者だッ!!」
あぁ、何か聞こえる。
「いい加減に目を覚ませ!! 人間ッ」
無理言うなよ、こっちだって動かそうと…………
「あぁ、もうッ! 何でこんなところに人間が……――――」
前から聞こえる誰かの声、声音からして性別は女だということは分かるがそれ以外は何も分からない。
強いて言えば、言葉の雰囲気がなかなか布団から出てこない時に起こしに来た母親のような、怒りの中に混じる強烈な母性を感じるくらいだ。
「(あぁ、分かった。分かったよ……起きればいいんだろ)」
未だに脳みそに流れ続ける膨大な知識を遮るように、無理やり全身に力を込めると身体中がむず痒くなるような嫌な痺れがじんわりと感じられる。
「…………ッ!」
見ず知らずの人族の体が急にピクリと動き出したため警戒するように地面を引きずる音が、そして振動が結人の感覚を冴えさせていく。
「……お、おー」
「――――お?」
「……お、きた」
まるで失っていた意識が回復するときのように、途端に体に熱が廻る感覚。
心臓から熱が流れ指先からゆっくりと、そして最後に頭部の方へ。
「うおぉ…………」
口内が乾燥しているおかげで喉はガラガラ、急な明かりに目を眩ませ、何よりも空気を吸った時の違和感が何とも言えない。
十五年間も吸ってきた馴染みのある空気とはある種全く違う独特な違和感が、改めて異世界に来たことを証明させる。
そして何よりも、
「まぶしぃ…………」
ぼやけて視界に映る女性の姿、その髪の輝きが瞼を開かせなかった。
金色ほど黄金に寄らず、銀色よりも黄金に近い――――白銀。
およそ人間では、いや結人が今まで見て来た人らでは存在しないであろう。もはや神々しいとまで言えるその美しい白銀。
その輝きが陽の光に反射し、たった今まで暗闇の中にいた結人の瞳に強い衝撃を与えた。
「あ、あぁ……これは、すまない」
「え、どうして誤ったんだ?」
「気味の悪いものを見せてしまっただろう……。私のこの髪色はエルフ族のなかでも異端とされているのでな、嫌なものを見せた」
「いやいや綺麗なものだったよ。だから思わず目を瞑ったんだ、俺は良いことには目を瞑る性格だからな。というよりも…………そっかぁ、ここは〝コールランド〟だったか」
つい先ほど起きた出来事、武神と名乗る神に出会った時の会話を思い出す。
《武神の加護》という得体の知れない力を渡された時に言われた、魔法は練習しないと使用できないという言葉。そして助けを乞うように魔法を使いたいと言ったところ、生活の主なことを魔法で補って生きているエルフ族の場所に落とされたということだろう。
「(なかなか融通が利くな、あの人)」
「あー……考えているところ悪いが、貴方の目的を教えてくれないか? ここはコールランドでも最果て、更に言えば魔族側の辺境だ。正直なことを言うと見たところ無害そうではあるが、人族側とは正反対であり、わざわざやってくる必要の感じない場所に現れた人間を怪しまずにはいられない」
コールランド――――今やエルフ族が生きる環境に整えられているものの、大昔は魔獣が住み着く〝魔の森〟とも言われていた場所である。
かつて、四種族の争いを止めた四種族の英雄たちがいた。
貧困と荒くれ者たちが支配した人族の大陸〝エクシード〟
蔑みと憎悪で世界の復讐者と化した獣人族の大陸〝トライワイト〟
力と闘争のみが立場を作り数々の種族を惨殺していた魔族の大陸〝ヴァビロニア〟
知識と魔法で全てを拒絶した精霊族の大陸〝コールランド〟
それらから立ち上がった異端者たちが集まって、平和へと戻していった大陸の名を総称して〝「クワトロクロス〟と言った。
だからこそ、今では四種族とも平和に生きておりクワトロクロスの中心には四種族の全てが集まる学び舎があるのだが…………それは平和の中でのこと。
もちろん外に出てしまえば善い人ばかりではなく、陰謀を企て世界を略奪しようとするものも現れる。
「怪しいって言われてもなぁ、そんなことは神様にでも聞いてくれ」
常に警戒を忘れない四種族、その中で最も警戒心の強い精霊族の末裔であるエルフ族。
過去にあったことを清算したつもりでも、やはり心の底から他種族を信用出来ていないのだから結人が何を言っても警戒心は解いてはくれない。
相手の動きを見やすい位置まで離れる戦闘準備の速さ、腰に携えた剣をどのタイミングでも振り抜けるようにしている臨戦態勢、声音に感情は込められていなくても視線と表情が語っている。
――――動いたら、容赦はしない
「お、おい、そんな身構えなくても…………うーん、強いて言うなら俺は望んでここにいるんだ」
「望んで?」
「そうなんだ。俺って一応は戦える力を持ってんだけど……その、魔法が一切使えなくてな? 皆が使ってる収納魔法すらも出来ないから困ってんだ。だから――――」
「だが、お前は手ぶらな状態だ。服装も…………まぁ上等の物だと分かるな。人族では相当な立場なのだろう? 嘘を吐くならもっとマシな嘘を吐いた方が身のためだぞ」
「いやだから! 俺に教えてくれる人がいないから、エルフ族の誰かに教えて貰おうと思ってたんだよ」
「………………」
「分かった。信じられないことだろうけど全部話す。取り合えず自己紹介から始めよう、な?」
流石は『異世界』と言ったところか。
ただただ自分の考えが甘いことを思い知らされる。
どれだけ自分が生きていた場所が安全であったかを再確認出来たことか…………正直なところ怪しまれることは予想はしていたが、ここまで拒絶的で否定的だとは思いもしなかった。
それにどう理由か、体の限界が近い。
喉はカラカラ、空腹感が物凄い、それなのに体が熱く今すぐにでも動けそうなほど温まっている。
「……悪いが、それは納得できないぞ? もしも貴方の素性を知ったとしても私はあまり協力的になれないし、寧ろ最初から協力する気はない。何をどうするのかは勝手だが、貴方が人族である以上はこの場所にいることは絶対に異常なことだ」
「…………まぁ、これじゃ埒が明かないのは分かった。俺は本当に何も持ってないし、何なら今まで言ったこと以外に何もない。怪しまないでくれと言われて怪しまない奴はいないことも理解している。無理なら無理でいい…………けど、何か飲み物とかないか? 流石にこの状態で魔族側に行くのは無理そうだし」
頭が固い者と言い争いしても何も始まらないということは、三次元でも二次元でも勉強済みだ。
どれだけ綺麗な容姿をしていようと、どれだけ母性を感じていても、どれだけ望んでいても、全ては自分の勝手。結局は思い込みなのだ。
世の中に『異世界』に転生する物語が蔓延り、そして読み漁った結果。少しだけ異世界の人を簡単に考えてしまっていたのかも知れない…………やはり、現実は現実。その場所に行ってみないと分からないものだらけである。
きっと、この目の前の白銀のエルフは――――
「施しはしない。水も食料もやらない。この場所から立ち去るというのなら早くした方がいいだろう、きっと貴方の魔力を感知した精霊騎士らがここに来る…………いいや、もう向かって来ているかもしれない。いくら戦うための力があると言っても精霊騎士が束になってしまえば、どう足掻いても勝ち目はないだろう」
「(あぁ、把握した。このエルフの〝嫌な部分〟を完全に掌握した)」
何故なら「どうせ無理だろう」と相手の雰囲気から理解出来てしまったから、というよりも相手から滲み出る警戒心が少しも和らいでないことを肌で感じ続けていたからだ。
日本でただの学生をしていたから分かるものではなく、よく他人を見ていたから分かる。
感覚的には「あの子、あいつのこと好きなんじゃね?」みたいな、相手は隠しているつもりでも第三者からは一目瞭然の状態。
「…………最後に聞きたいんだけど、いい?」
「いいだろう」
「その〝精霊騎士〟っていうのはどのくらい強いの?」
「どのくらい…………か。例えることは難しいが年長になればなるほどに強くなるな、最悪の魔獣が出現しない限りはどうということはないだろう。まぁ、貴方の魔力を追ってくる精霊騎士の方たちには、そのような方は混じってはいないだろうがな」
魔法のスペシャリストであり、武技が達者、加えて知識も豊富である。
ある程度の二次元ならば想像出来る者であれば、これだけのキーワードが貰えれば戦い方が見えてくるだろう。
「魔法は肉眼で捕らえられる……、武術と戦闘術なら俺に分がありそうだな。知識は勝てないから置いておくとして、ここら辺は木ばっかりだから…………まぁ、罠とかか」
「…………一体、何をブツブツと言っているんだ?」
「ん? まぁ、もしも追ってが来ても勝てそうだなぁって考えてたんだよ」
「ぷっ、く、あははははは! いや無理だろう、どうあっても三人もいれば魔法が使えない人族なんて相手じゃ――――」
「いや勝てるよ?」
空腹からなのか、体が悲鳴を上げているからなのか、それとも体が異常に熱く滾っているからなのか。
どちらにしても色々と限界を迎えていることには変わりはない。
だから普段なら適当に受け流せる「どっちが強い?」という下らない考えに、勝手な理想を混ぜ込んで全体的な勝利を信じていることが無償に気にくわなくなったのだろう。
――――結人は感情を昂らせた。
「…………」
「まぁ、追ってが来たらの話だ。それに複数人で来るならこっちも手加減出来ないからな? 一対一の戦いなら分かるが、一体多数になるなら一人二人は確実に殺す。それをちゃんと理解した上で追わせるか、追わせないかを決めることだ。…………じゃ、俺は行く」
クワトロクロスという大陸で分割された四種族の場所。
叩きこまれた知識からすればエルフ族の大陸の下には魔族の大陸がある。
「(魔族と人間って…………絶対に何かあるだろうなぁ)」
考えれば考えるほどに生きていくのが困難な世界。
大人しく人族の大陸に転送してもらった方が安全だったのかもしれないと考えつつも、踵を返してもはや当たり前のように思い浮かぶ知識を頼りに舗装もされていない道なき道を歩み始める。
その背中を眺める白銀の髪を靡かせるエルフ族の女性は、ただ無言であった。
いや、もしかしたら言葉を発することが出来なくなってしまったのかもしれない…………
それもそうだろう。
威嚇という行為は、戦うために必要なものだ。
自分にとってはあただの『威嚇』という行為かもしれないが、感じ取る相手にとっては《武神の加護》――――つまり神の怒りの鱗片を無理やり感じ取らされるわけだ。
それがどれほどの〝恐怖〟であるか? ということは、考えるまでもないだろう…………
「…………ぁ、あっ…………」
振るえる足で立っているのもやっとの状態。
辛うじて呼吸を出来ている状態の彼女が、これからやってくる精霊騎士たちに出会って語ることは少ない。