前編
白い長袖のシャツに黒に灰色のチェックのネクタイをしめた子供が、にこにこしながら片手を上げ手を振っている。
蒼い瞳と目が合った。白い肌には小さなそばかす。ほっぺたを桃色にそめ、淡い黄色の髪がおじきに習い流れた。
「はじめまして、岡田様。ボクがあんじーです」
それは子供らしい高い声だった。
年季の入ったテーブルの上には、お冷やの入ったガラスのコップと食べかけのチョコレートパフェ。
「あ……どうも」
つい返事をして、軽く後悔をした。子供のいたずらだったのか。
「とりあえず座ってください。話はそれからです」
スプーン片手にあんじーはにこにこしている。邪気がない。
促された俺は、言われたまま向かい合う席に座る。さて、どうしたものか。そう思ってあんじーの方を見ると、一点チョコレートパフェをじいっと見つめている。
「パフェ、先に食べれば」
ぴくっとあんじーの肩が動いた。
「……良いんですか? では遠慮なく」
こぼれてしまいそうな程クリーム山盛りのスプーンを口へ運んだ。
小さい口に収まるのが不思議なほど。口元にはクリームと混ざったチョコレートらしきものがついている。
どんだけがっついてんだよ。
至福の表情でパフェをほおばるあんじーを眺めていると、お冷やが運ばれてきた。
「ご注文はお決まりですか?」
「……オレンジジュース二つ」
喫茶店にはありそうなメニューをチョイス。
「オレンジジュースお二つですね、かしこまりました」
ウェイトレスが下がったのを見て、ひたすら食いまくるあんじーに声を掛けた。
「……うまいか?」
カチャカチャと鳴らし続けた小さな手が止まり、あんじーは満面の笑みを浮かべた。
「はい、とっても。この時の為に生きていると言っても過言ではありません!」
蒼い瞳を潤ませ、スプーンを上へ向けた。
「そっか、良かったな」
実のところ、何をしに来たのか自分でも分からなくなってきている。
『あなたの恋を全力で応援します。愛のキューピッド:あんじー』なる、うさんくさいメールが届いた。
いつもなら普通にスルーする。その時はヒマだったし、相手にしてやっても良いかと思ってしまった。
で。何回かメールでやり取りした後、会う運びになった。
可愛い子が来たらラッキーなんて、期待してしまったのも事実。こうして実際に来たのは可愛い子“供”なんだけど。ぼったくられる心配はない以上、多少はおごってやっても良いと思ったまでだ。
可愛いっちゃあ、可愛いわけだし。がっくり来たけど、最悪じゃない。
まあ、キューピッドと名乗ったからには子供なりに何か考えたのだろう。
それを見てから帰るのも悪くない。てか、半分はくだらない意地だ。来ちゃったからには、的な。
みるみるパフェは空になり、あんじーはごくごくとコップの水を飲むと、小さな手を合わせた。
「ハァ……ごちそうさまでした」
小さく手を合わせ、横に置いてある鞄をあさり始めた。
「すみません、ちょっと待って頂けますか?」
そう言って白地にハートのモチーフの図柄の手帳を取り出すと、ぱらぱらとページをめくり目で追っている。
そのタイミングで現れた若いウェイトレスは怪訝な顔で、俺を見た。
俺は愛想笑いで、それに応じる。
「お待たせ致しました、オレンジジュースお二つでございます。……お下げしてよろしいですか?」
「はい」
そう言ってあんじーは空いたパフェの器を、テーブルの端に置いた。
ウェイトレスは営業スマイルでオレンジジュースをそれぞれの前に置き、伝票を裏返しに置いた。慣れた手付きでパフェの器をトレーに乗せると、頭を下げた。
「ごゆっくりどうぞ」
周囲には客の姿はあるものの、特にこちらを見ている者はいない事に、とりあえずほっとした。
俺はストローを袋から取り出すと、オレンジジュースのグラスのフチに飾ってある生オレンジをつついて、中に落としてくるくると混ぜた。涼しげな音がする。
「……騙すような形で呼び出してしまった事は申し訳なく思っています。ですが、岡田様に協力して頂きたいのです」
「……ん、なにを?」
あんじーが視線を落とし、心なしか表情が曇って見えた。
「今日の16時43分に、マツイサクラ様が亡くなります」
聞き覚えのない名前に、俺は首をかしげた。
「マツイ……?」
「例の電車で見掛ける女の子、です」
「なんだって……っ!」
俺の声が店内に響き、周囲から視線が集まる。あまりの気まずさに下を向きながらストローでオレンジジュースをすする。
「彼女を助けられる確率は48%でした。岡田様の協力があれば、確率は51%まで上がります。ですから、協力して頂きたいのです」
「……それは良いんだけど。いまいち分からないな」
あんじーは胸元に手を当て、ほぅっと息を吐いた。
「そうですか。簡単ですが、説明させて頂きますね」
そう言うと、手帳に何やら書き込み始めた。
「これを見ながら、聞いてください」
「18歳と19歳の間に線が引かれてるな……」
「はい。ボク達の間ではその年齢が一つの区切りになっています。生まれてから、亡くなるまでその年齢の間は本人に責任はないのです」
19歳の方は白紙になっているが、18歳側には箇条書きが並んでいる。
「それは、先祖の業であったり、前世での業であったり。因果は様々ですが」
「……そういうもんなの?」
「……はい。それは、あらかじめ定められた道のりのようなものです。ですが、現世で縁を持った人々の想いや、ボク達の干渉などで道のりを変える事は出来るのです。もちろん全て、とはいきませんが」
俺はオレンジジュースを飲み干すと、あんじーを見た。力説っぷりから真剣さは伝わってきた。引っ掛かるのは、普通の子供が口にするような事柄ではない事だ。
「だとしたら尚更、俺に何か出来るとも思えないんだけど」
あんじーはぱたんと手帳を閉じると、それをカバンにしまった。
「細かい取り決めがあって確率を導きだしてありますが、これは運と呼べるものです。本人の意思とはなんら関係のない……。助けられるものなら助けてあげたい、そうは思いませんか?」
大人びた表情を一瞬で崩し、あんじーは微笑んだ。
「まぁ……俺に出来る範囲でなら、協力するよ」
断れる雰囲気じゃなかった。単なる子供じゃない。勘だけど、そう思った。そう思わせる何かがあったんだと思う。
「ありがとうございます。時間が迫っています。
いきましょう……その前に、失礼」
あんじーはオレンジジュースのグラスを両手で持ち、グラスを傾け一気にそれを飲み干した。