7.風巫女の選定の儀1
風巫女選定の儀の当日、レオとアイラは観客として風巫女の儀式が行われる泉の近くに立っていた。
泉の正面には儀式が行われる祭壇が設置してあり、泉の向かいには泉全体に影を落とすのではと思うほどの大樹がそびえたっている。大樹は鮮やかな赤色に染まっており、今日のような曇天でさえなければ、泉に映えてさらに美しい情景がみられるだろう。
「王女殿下はおられないのか?」
「準備に手間取られているのかしら」
国を挙げての儀式ということもあって、一般民衆を含む観客たちが泉と祭壇の周りを取り囲んでいる。彼らは好き勝手話しながら、風巫女選定の儀式が行われるのを今か今かと待ち構えている様子だった。
レオとアイラは風巫女候補の姿は見えづらいが、儀式の様子がよく見える泉の傍に立ちながら、彼らの会話に耳を傾けていた。
まさかこの場にいる民衆は、王女がしばらく姿を消していたとは思いもよらないから、彼女が壇上に現れさえすれば、彼女を候補として受け入れるだろう。
「それにしても、フェルナンダ様はお美しい方ね」
「さすが、風巫女候補といったところか」
観客の一人が言った言葉で、レオは祭壇の近くにたたずむ少女を見た。
フェルナンダと呼ばれた彼女は、神緑鳥の羽を首飾りとして身に着け、真っ白なシルクのドレスを身にまとってそこにいた。金色の髪は結わずにまっすぐと背中に流されている。
背筋をピンと伸ばし、まっすぐに前を見つめるそのまなざしは貴族として気高く生きてきたことを想像させる。宰相の娘だというから、どんな高慢そうな少女かと思ったが、彼女の素振りは高慢というよりは高潔という方が正しいだろう。
彼女の生まれがそうさせるのか、それとも彼女自身の気質なのか、彼女もまた、風巫女の候補になるに相応しい人物のようにレオには思えた。
「もうすぐ完全に太陽が隠れるぞ!」
そう声を上げたのは誰だったろうか。
それまでにぎやかだった喧騒は一気に収まり、その場には大樹の葉が揺れる音さえ聞こえそうなほどの静寂がもたらされた。
あたりは徐々に暗闇に包まれてゆく。太陽が完全に月に隠れ、この場が闇に包まれる時間は、わずか一分ほどだ。晴天ならば皆既日食といえど真っ暗にはならないようだが、今日は雲も多い。おそらく周囲は真っ暗闇に包まれるだろう。
皆既日食までのわずかな時間、レオがふとあたりを見渡すと、祭壇の近くでたたずむフェルナンダが一度天を仰ぎ、なぜか少し悲し気な様子をしたのが目に入った。
レオはその表情の理由が気になり、彼女をよく見ようと目を凝らした瞬間、それを阻むかのように、あたりが暗闇に包まれる。月夜の晩ほどの暗闇では、距離のあるフェルナンダの表情など見えるはずもない。
そんな暗闇の中、かかとの高い靴が、一歩、また一歩と地面をける音がその場に響いた。きっとフェルナンダがこの暗闇のなか、祭壇へと続く階段を上っている音に違いない。
暗闇で見えずとも、その場にいた観客は自然と壇上へと注意を向けていた。
「え……?」
静寂を破る小さな戸惑いの声とともに、太陽の光を取り戻した世界が徐々に色づいていく。
ゆっくりと色を取り戻した世界の中、壇上に立つ少女の影は二つ。
一人は、金髪の少女フェルナンダ。
もう一人は、プラチナブロンドの髪を結い上げ金の蝶と神緑鳥の羽で飾ったディーこと、ウェンディ・ヴァン・アイヴェサ。この国の王女だ。
再び現れた太陽に照らし出されたのかごとく、彼女のまとう衣が光を反射し、その存在感をその場にいる者の目に焼き付けた。
「ウェンディ王女殿下!」
「殿下! いつの間に!」
観客がその姿に気づくと、先ほどまでの静寂はどこへやら、地を揺らすほどの歓声をもって、彼女の存在は受け入れられた。
彼女は国民から人気を得ているようだ。フェルナンダも隣にいるというのに、場は一気にディーへ向けられる声で盛り上がる。
「そんな……いつの間に。今更現れて、まさか、風巫女の儀式に参加されるおつもりですか?」
この場で唯一、王女の登場を喜ばなかった宰相は、国王の座る席の後ろから、ディーへとそんな問いを投げた。すると事情を知らない民衆は宰相の言葉にざわめきたった。しかし国王は何かを言いかけて、口をつぐんだ。自分の娘が失踪しており、周囲に迷惑をかけていたことを分かっているからだろう。娘の登場に喜んではいる様子だったが、宰相の言葉を制止することは彼の立場からはできないのかもしれない。
おそらく王女の捜索に駆り出されていた兵士たちの反応も、ディーの登場を素直に喜んでいる者とやや複雑な面持ちで壇上にたつ彼女を眺めているものとに分かれている。
「当然ですわ、お父様。風巫女選定の儀に必要な条件は、この神緑鳥の羽と、皆既日食が終わった直後のこの場に、姿を現すことだけなのですから」
しかしそんな空気を破ったのは、まさかのフェルナンダだった。彼女は凛とした声でそう宣言すると、ディーに向かって美しい礼を取った。
「お久しぶりです。ウェンディ王女殿下。お姿がお見えにならないので、心配しておりました。殿下がおられなければ、私の風使いの力を披露することもなく、風巫女が私に決まってしまうところでした」
「心配してくれてありがとう。でも……皆を驚かせたかったの。突然現れて、驚いたでしょう?」
ディーがフェルナンダに答えたあと、その場にいた観客に語り掛けるようにそういうと、その場は再びウェンディを歓迎するムードに戻った。
こうなっては宰相も何も言えないのか、もごもごと何かをつぶやきながら自分の席へとついた。
その様子を見て、あきらかにホッとした表情を見せた国王は、立ち上がるとこぶしを天に掲げた。
「これより、風巫女選定の儀を始める。候補者、フェルナンダ・フォン・エルネスト、そしてウェンディ・ヴァン・アイヴェサ。そなたらの力をもって、どちらが精霊に愛された風巫女なのか、我らに示せ」
国王の厳かな開始の宣言とともに、ディーとフェルナンダは両者で向かい合った。
「殿下は先か後かどちらがよろしいですか」
「私に選ばせてくれるなら、私が先にやるわ」
「お心のままに」
フェルナンダはそういうと一歩下がり、ディーは逆に前に進み出た。
ディーは泉に向かいあうと、まずは胸の前で手を組み、首を垂れ、祈るような仕草を見せた。しばしの沈黙と静止の後、ディーはすっと顔を上げた。
そして胸の前で組んでいた手を解きながら勢いよく腕を前に突き出すと、弧を描くように腕を広げて見せた。
「これは……」
ディーの動きに合わせて、まず大きく変化したのは空だった。分厚い雲が地上と太陽の間を遮っていたというのに、彼女の動きに合わせて突如雲が消えてなくなったのだ。
まるで彼女が朝、カーテンを開けたかの如く簡単に、雲は消え去り、代わりにまばゆい太陽の光があたりを照らし出した。泉の水面は陽光を受けてキラキラと輝き、大樹の赤を色鮮やかに映しだす。
次に、ディーは広げた腕をわずかに下げる予備動作の後、何かを持ち上げるかのように腕を上へと押し上げた。
すると次は、泉の中央から竜巻がまき起こり、轟音とともに泉の水を天へと吸い上げていく。そしてある程度まで巻き上げられた水は、不規則な跳ね方をしながら、泉の周囲で飛び上がったり落ちたりを繰り返し、見る者の目を奪った。
陽光に充てられたその水は、まるで自らの意思をもって踊っているかのように動きながらきらめいて散っていく。
その動きは周囲の人間からすれば、ディーが風を操って起こしているのだろうと思うのだろうが、レオはあまりに不規則な水の動きに、隣にいるアイラの方を疑わし気に見た。
「お嬢様。ちょっと、手を加えてますよね?」
「……雲を晴らしたのも竜巻も本物なんだから、ちょっとした演出の手伝いよ。目ざといわね……」
「お嬢様のやることはお見通しです」
ディーが実際に竜巻を呼び、雲を風の力で晴らした以上、アイラが多少、演出を派手にしても確かにそれは問題にならないのかもしれない。
彼女は文句なしに、風使いとしての力をこの場に示して見せたのだから。
ディーがゆっくりと泉の向かいにある大樹に向かって礼を取ると、泉の水を巻き上げていた竜巻はみるみるうちに収束していった。
一瞬の静寂後、その場に割れんばかりの拍手と歓声が鳴り響いた。観客はみな、ディーの力を十分認めたようだった。それはあまりに大きい歓声だったので、まるで風巫女が今、この場に決まったかのようでもあった。
誰もがディーをたたえていた。
たった一人を除いて。
「そんな、馬鹿な……急に力をコントロールできるようになるなど、そんなあり得ない! 本当にあなたのお力ですか!?」
宰相は我慢できないとばかりに立ち上がってそう叫んだ。