5.騎士と姫
「エリック、剣を納めなさい! その人たちは私を助けてくれたのよ」
ディーの鋭い声が飛び、突然現れた剣をもった男は、ぴたりとその動きを止めた。そして先ほどまでの敵意を消し、剣を鞘に納めると、ディーに向かって片膝をついた。
「お迎えが遅くなり申し訳ありません」
「立ちなさい。そして、二人に謝りなさい」
男は頭を垂れた状態で表情は見えなかったが、ディーの言葉に肩が震えたのが分かった。承諾しがたい、ということだろう。おそらく彼は本当にレオやアイラがディー、ひいては王女に害のない存在なのかまだ信じ切れていない。
彼はゆっくりと立ち上がると、無表情でこちらを見た。ディーの命令に従うべきか、自分の感情を優先するべきか、悩んでいるのだろう。
「謝罪は必要ないわ。あなたの行動は騎士として正解よ」
どうやらレオと同じ結論に達したらしいアイラは、首を横に振りながらそういうと、男に一歩近づいた。レオはそれを阻むようにアイラに手を伸ばしたが、彼女はレオをなだめるかのごとくほほ笑んだ。
「レオも、そんな顔をしないで。あなただって私が同じ状況になったら、きっと彼と同じ行動をするんでしょう?」
「それは……」
「嘘をついたってダメ。それなら気持ちが分かるのだから、多少のことをは目をつむってあげるべきよ。少なくとも、私もあなたも怪我をしていないし」
「結果的にはそうですが、もう少しであなたが怪我をするところでした」
アイラの言っていることは正しい。
レオがあの男と同じ状況下に置かれたら、迷いなく同じ行動をとるに違いない。とはいえ、やはり自分の大切にしている人に剣を向けられれば、平静ではいられないし、簡単に許すことはできないのだ。
「エリック、これを見なさい」
そのやり取りを見ていたディーがそういうと、手を前に突き出した。
すると地面に落ちていた木の葉が弧を描きながら舞い上がってゆき、彼女が手を下ろすと同時に、ばさりと地面に落ちた。
それを見たエリックは、目を丸くした。
「これは……まさか……」
「私がこうやって力を扱えるようになったのは、アイラとレオのおかげよ。あなたは彼らに感謝してもしきれないはず。殺意を向けるなんて言語道断よ」
エリックはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、突然はじかれたように顔を上げ、アイラとレオを見た。そして、彼は次の瞬間、レオとアイラに跪き、頭を垂れた。
「大変失礼いたしました。殿下をお救いくださった恩人に、刃を向けるなど……」
レオは騎士が突然、態度を変えたことに驚いた。なぜ彼が急に謝罪する気になったかが分からなかったからだ。考えられる理由としては、ディーが風を操ったのを見たからだろうが、それでなぜ、急にここまで態度を覆すのかがレオには理解できなかった。
そうしてレオが何も言えないでいる間に、木の葉を踏む音がその場に響いた。
レオが止める間もなくアイラが騎士へと手を差し伸べていた。
「立って。謝罪は受けるわ。さっきも言ったけれど、あなたの大切な王女様を守るためなんだもの。仕方ないわ」
エリックはアイラの言葉に少しだけ表情を緩め、そしてレオを見た。
それがレオへ許しを請うための好意だと気づき、渋々ながら小さくうなずいた。するとエリックは、アイラの手は借りずに、ゆっくりと立ち上がった。
その様子を見ていたディーは、突然、何かを思い立ったような表情を見せ、おそるおそると言った様子で、レオとアイラに問いかけた。
「ねえ……もしかして、二人は私のことを分かっていたの?」
その問いに、レオとアイラは顔を見合わせた。
どうやら彼女は、神緑鳥の羽を見せたあの行為を、自らの素性を明かす行為だとは自覚していなかったようだ。思ったより彼女が危うく幼い王女だと今更ながら気づかされた。
「分かっていたのね! ……どうして?」
「あなたが神緑鳥の羽なんか見せるからですよ」
「あれが神緑鳥の羽だと分かったの?」
「逆にどうしてわからないと思ったんですか?」
ディーが見せた羽は、どこからどうみてもただならぬ羽だった。しかもその名を呈しているかのような緑色の羽だ。気づかない方がおかしいと言える。仮にディーがレオとアイラが他国からの旅人だから気づかないだろうと思っていたにしても、あまりにもうかつな行動だと言えるだろう。
「殿下……まさか、身元を明かして保護を求めるでもなく、ただ、神緑鳥の羽をお見せになったのですか?」
「だって……神緑鳥の羽は儀式のときしか得られないものだし、他国の人なら知らないと思ったのよ」
「本当に……よく……ご無事で……」
エリックの深いため息をつく姿を見ていると、アイラに剣を向けたことを怒っていたその気持ちはレオの中で薄れていく。アイラはディーほど無知ではないが、無茶ではある。エリックの心労が、手に取るように分かったからだ。
「それよりエリック。あなた、よくここが分かったわね」
「それが……殿下を探していて、気づいたらここに。どうやってここに来たのか、自分でもよく分からないのです」
「あら……それは、私と同じ状況ね」
「殿下と同じ? 殿下は気づいたらここに来ていたとでもおっしゃるのですか?」
「その通りよ。この二人が私を攫ったわけじゃないのはわかったんでしょう? かといって、私は一人でここまでやってくることはできないわ。ここ数日で分かったけれど、ここは王都からだいぶ南でしょう? 私一人で来れる距離じゃないわ」
レオとアイラもこの数日で知ったことだが、この国の王都からこの町まで、馬車を使って来たら一週間はかかる。女一人の足で来るにはかなりの距離だ。また、彼女を探しに来る騎士がこの速さでたどり着くというのも確かに考えにくい話である。
王女が行方不明になったというなら、まずは王女が自力で移動できる距離や、誘拐犯がたどりそうなルートをしらみつぶしに探すはずだ。このアイヴェサ王国は東は高い山に、西と北は海に囲まれている。王都は北東にあり、この南の国境近くの町まで誘拐した人間を運ぶぐらいなら、北にある船を使うのが定石だ。そしてそれは当然、捜索している騎士団も同じことを考えるはずだ。
「ではどうやってここに……」
「それについては仮説があるわ。彼女が来たのも、あなたが来たのも同じ理由よ」
「同じ理由……? 私は風乗りで……ってまさか、私が呼びよせたと?」
ディーがそう問うと、アイラは微笑んでうなずいた。
「ディーは力を使えるようになったのを、彼に見せたいと思ったんじゃない?」
「それは……」
ディーは思い当たることがあるのか、やや照れたように微笑んだ。どうやら、彼女の強い思いが風に呼応してエリックを呼び寄せてしまったようだ。
これだけの力が使えるというのに、今まで自分のことを風呼びだと思って生きてきたのだというから、よほど誰かに強くそう思い込まされていたのだろう。
「どういうことですか?」
「彼女の力であなたは呼ばれた、ということよ」
アイラはそういうと、ディーの肩をぽんと軽くたたいた。そして、そのまま手を下ろすと、彼女の手をつかむ。そうしてアイラはディーにだけ、そっと何かをささやいた。
そうしてディーはレオとエリックに向き直り、満面の笑みでこういった。
「ごめんなさいね。エリックをよろしく!」
「え、何を?」
エリックは慌ててそういうが、ディーはなぜか嬉しそうに笑うと、レオにむかってひらひらと手を振った。
その場に一陣の風が吹いた。それは瞬きするわずかな間だったが、彼女たちは瞬く間に姿を消した。その場に残ったのは、エリックとレオ、そして風に揺れる木々だけだ。
「殿下!」
エリックはあまりの出来事に、動揺した様子であたりを見渡した。だが、あたりには何もない。
二人の存在は、この場所になかったかのように、跡形もなく消えた。