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1.厄介ごとは突然に

 どんなに豪奢な服も、煌めくアクセサリーも、場を間違えればその真価を発揮できない。

 薄手で繊細な布を幾重にも重ねて緩やかなウェーブを描くドレスを身に纏い、結い上げたプラチナブランドの髪に金の蝶にエメラルドの埋め込まれた髪飾りを飾る少女は、明らかに場違いだった。

 その少女がいるのは、一般人でも泊まれるごく普通の宿である。だから明らかに貴族の令嬢ですと言わんばかりに輝かしい彼女がいるのは、違和感を覚えずにはいられなかった。

 どうしてこんなことになったのだろう、と銀髪の青年レオは考えた。

「ありがとう。ここは暖かいわ」

「いいのよぉ、外でそのかっこうはぁ、寒いわ」

 間延びした喋り方をする金髪の美女アイラは、彼女が脱いだレオの外套を微笑みながら受け取った。

 彼女がお人好しだから、こんなことになっているのだ。

 レオはそう思い、どこで選択を誤ったのか、と、数時間前のことを思い返した。




 前を歩く金髪の女性、アイラの足取りは軽い。彼女はこの旅を心から楽しんでいるようだった。

 旅の同行者として、それは喜ばしいことだ。

 石畳を歩く彼女のブーツは軽快に鳴り、その音に合わせて彼女の外套が揺れる。まるで音楽でも流れているかのようなステップに、レオは思わず頬を緩めた。

「そんなにはしゃいでいると転びますよ」

 レオが後ろから声をかけると、アイラはくるりと反転して、両腕を腰に当て、にっこりと笑って見せた。

「大丈夫よぉ、ちゃんと周りは見てるからぁ」

 彼女が話すと、白い息が口から出た。北国の夏は短い。すでに冬に近づきつつある今、雪こそ降ってはいないが、気温は低くなりつつある。

「お嬢様、お願いですから転ばないでくださいよ」

 レオはアイラのことをお嬢様と呼ぶ。厳密には彼女はお嬢様だった人だが、数年間それで呼んできた呼び名を、急には変えられないのだ。

 足取りの軽さとは裏腹に、間延びした喋り方をアイラがするのもまた、彼女の慣れがそうさせるのだろう。

 リリアナ・アイラ・ブレイハ、あるいは、愚鈍姫ぐどんひめと呼ばれていた彼女は、ずっと愚鈍な伯爵令嬢を演じ続けてきた。本来の彼女は間延びした話し方でもなければ、緩慢な動きで愚鈍と呼ばれるような女性でもないのだが、レオも三年の付き合いでそれを数ヶ月前に初めて知ったのだった。

「ねぇ、あの店に行きたい!」

 そしてこの旅の中で、アイラはたまに普段の口調が出るようになって来た。間延びした喋り方は意識的に作っていたようだから、気が抜けると出てしまうのかもしれない。

 それがなんだか、アイラの信頼を勝ち得ている証のように思えて、レオはそういうアイラを見ると、心が凪いでいくのを感じていた。

「レオ? 聞いてる?」

「聞いてますよ。行きましょう」

 アイラが行きたいといったのは、喫茶店だった。

 店内に入ると、暖かな空気がレオを包みこみ、体の力みが抜けていくような安堵感がある。

 焦げ茶色のテーブルと椅子で統一された店内は、落ち着いた雰囲気があり、しばしの休憩に適した場所といえよう。

 アイラは店内の真ん中にある十人がけの大きなテーブルの端に座ると、レオには隣に座るように言った。

「何を頼まれますか?」

「ホットチョコレートがいいわ」

「分かりました」

 レオはアイラのオーダーと共に、自分の飲み物もウェイターに頼んだ。

 店内は比較的混み合っていて、席がまばらにしか空いていない。レオとアイラが座る十人がけのテーブルも、空席はわずか二つだった。

「そういえば、もうすぐ祭典があるけど、風巫女にはどっちがなるのかねえ」

「そりゃあ、宰相様の御息女だろう。王女殿下は力のコントロールが上手くいってないって噂だからな」

「親が宰相、子が風巫女だなんて、えらい家族だわ」

 レオとアイラの向かいに座っている妙齢の夫婦の会話が聞こえて来て、アイラがじっと彼らを見つめていることに気づいた。

 おそらく会話の内容に興味があるが、話しかけて良いものか悩んでいるのだろう。

「祭典とは、なんの祭典ですか?」

 レオがそう話しかけると、アイラはやや驚いたようにこちらを向き、話しかけられた夫婦は、穏やかな笑顔を浮かべていった。

「祭典といえば、風巫女選出の祭典だよ。でもそんなのを聞くってことは、旅の人かい?」

「ええ。南から来ました」

「なるほど。最北端のこの国は寒いだろう?」

「南といっても、私たちの住んでいた場所も、この大陸では北の方ですから」

「風巫女、というのは何をする方なのですか?」

 この場では間延びした話し方ではない方がよいと判断したらしいアイラは、素の話し方の方で問いかけた。

「風巫女は、風の精霊の力を借りることで、この国の安寧を守る人だよ。一般的には、風使いと呼ばれる人の中から選ばれる」

 風使いとは、風を自由に操れる人間のことを呼ぶ。国によっては、ただ、風を呼べる人とみなす国もあれば、この国のように精霊に選ばれた人を風使いと呼ぶのだ、という信仰心に近い形で認識する国もある。

 レオとアイラの出身国は前者だが、この国では後者のようだった。

「風巫女はどんな人が選ばれるんですか?」

「風使いの中でも、特に力の強さを示した人だよ。力が強いと言うことを、私たちは精霊に愛されていると理解しているからね。今回は王女殿下と宰相のご息女が選出された」

 風使いというのは、そうそう現れるものではない。その中でも、さらに力が強いもの、という縛りがあるのであれば、それはなおさら貴重な人材だろう。

「その二人の候補者は、何によって選ばれているんですか?」

「風巫女になれる風使いというのは、神緑鳥しんりょくちょうの羽を手にした方だけさ。その神緑鳥しんりょくちょうというのは、普段は森の奥に隠れていて、なかなか姿を現さないが、風巫女に相応しい方にはその羽を授けると言われている」

「羽をもっていれば、ということは、厳密には風使いではなくてもなれるものなんですか?」

「候補になれるという意味ではそうだね。ただ、風使いでなかった場合は、最終選考で必ず落ちる」

 候補者を技能で落とさないのは、その強運でさえも、精霊の意ととらえられるからなのだろうか。どれほどその鳥が希少なものなのかは分からないが、候補が二人しかいないというのならば、相当難しい課題ではあるのだろう。

「風巫女の祭典の前は、みんなお祭り騒ぎだから、町も楽しいよ。旅人さんなら、ゆっくりしておいで。良かったら、祭典も見てみると良いよ」

「ありがとうございます。ぜひ、見てみたいと思います」

 アイラはそう返答した後、レオをうかがうように見た。レオが彼女の行動を制約することは基本的にはない。危険性がある場合は止めるが、それ以外は彼女の赴くままにすればよいと思っている。

 だからレオは彼女を安心させるべく、うなずいたのだった。


 二人は休憩を終えると、再び外に出てきていた。

 有名な庭園があると教えてもらっていたので、そこを散歩しようということになったのだ。

 二人はその庭園の端にある並木道を歩いていた。広く長いその道の先には、誰もいない。

「ねえ、レオ。次はぁ、何を食べようかしらぁ?」

「今日の夜は程々にしておいた方が良いですよ。まったく、お嬢様はここ数日食べ過ぎです」

「運動するからぁ、許して?」

「まだ食べていないもので、有名な郷土料理といえば……」

 レオがそう言って、今日の夕食を提案しようとした時だった。

 突風が吹いた。

 アイラの金色の髪が散らばって、風下へと流れてゆく。風の納まりとともにゆっくりと肩に落ちた金色の髪に目を奪われていると、次の瞬間、目を疑うようなものがそこに在った。

「あなたたち、誰?」

 それはむしろこちらが聞きたい。レオだけでなく、アイラもそう思ったに違いない。

 誰もいなかったその場所に、一瞬で、あからさまにその場にそぐわない美少女が現れたのだから。

 彼女は、明らかに場違いな格好をしていた。

 まず、この北国において、薄すぎる格好をしていた。外套を羽織らずに外に出るにしては、生地があまりにも薄いドレスを着ている。おまけに彼女は結い上げたプラチナブロンドの髪にエメラルドの埋め込まれた金の蝶が輝いており、どこからどうみても高位の貴族女性である様子だ。

「私はぁ、アイラです。あなたが、急に現れるからぁ、とっても……驚いたわぁ」

 アイラは相手を油断させるためなのか、はたまた安心させるためなのか、間延びした口調を選んでそういった。すると、貴族然とした少女は、少し考えた後、ためらいがちに言った。

「私が、急に現れた……のよね? 確かに、ここはどこか分からないもの、そうよね……」

「気が付いたらぁ、ここにいたのぉ?」

「……ねえ、ここはどこなの? どうして私は急に、どこかもわからない場所にいるの?」

 そんなことをレオやアイラに聞かれても分かる由もない。少女は今にも泣きだしそうな雰囲気だが、こんな身分の高そうで迷子のお嬢様と関わり合いになるのは避けたい。どう考えても何かの火種になるとしか思えないからだ。

「うーん……とりあえず、私たちのぉ、宿にくる? ここは寒いでしょう?」

「アイラ様!」

 レオの心とは裏腹に、アイラがあっさりと少女に関わろうとするから、レオは思わず牽制を込めて彼女の名を呼んでしまった。 

「大丈夫よぉ、危ない子じゃ、きっとないわぁ」

 アイラのその言葉を、レオは信用できなかった。

 彼女はかつて、彼女に復讐を誓っていた危ない男を、そのことを承知で傍に置き続けていた過去がある。そのため、彼女が本当に危険はないと思っているのか、危険があってもどうにかなるだろうと楽観的な気持ちでそういっているのかが、わからないからだ。

「でも……」

 少女がレオの方を見た。

 アイラは少女を受けていれているが、レオはそうではないとわかっているからだろう。だからこそ、レオの許可がとれれば、アイラの好意に乗る気なのだとわかってしまった。

「何かあってもぉ、レオがいれば、大丈夫よぉ」

 答えに渋るレオに、アイラはのほほんとした笑みでそういって見せた。

 レオはこの顔に何度も殺意を抱いてきて、そしてそのたびに何度も、レオのほの暗い感情を吹き飛ばされてきた。レオが彼女に敵うはずもない。

 好いている女の頼み事ほど、断りがたいものはこの世にはないのだから。

「分かりました……。宿に戻りましょう」

 レオはそう言って、自分の外套を脱ぎ、少女に手渡した。

 少女がレオなりの承諾だときちんと理解したようだ。今にも泣きだしそうな不安げな顔が、少し緩んだ。

「ありがとう……」


 そうして、話は冒頭に戻る。

 レオは宿に戻る間も、戻ってからも、彼女の素性がアイラにとって、害をなす存在でないことを祈り続けたのだった。

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