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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第3章「新星の秋」
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第78話「追う者と追われる者(伍)」

 あおいが軟禁されている屋敷に結城ゆうき道忠どうちゅうが顔を出したのは、日も暮れようかという頃だった。

 簡単に名乗りを済ませると、道忠は夕闇に表情を浸しながら用件を切り出す。


東勝寺とうしょうじにいるあの小僧――新熊野いまくまのといったか。あれの素性について、そなたの知っていることを話してもらいたい」


 北畠きたばたけ勢の参謀が一介の小僧を気に掛ける必要などない。

 道忠は既に、新熊野の素性について何かを掴んでいるのだろう。

 ただ、決定的な証言を得るには至っていない。だからこそ、こうして葵の前に姿を見せたのだ。


「新熊野の素性と申されましても、私は何も知りませぬ。あの子にはときどき武芸を伝えているのみです」

「なるほど」


 道忠はしばし思案した後、葵の前に包みを差し出した。


「開けてみよ」


 嫌な予感を覚えたが、葵は覚悟を決めて包みを開いた。

 中に入っていたのは、人の指だった。全部で十本。まだ斬られて間もないのか、かすかに臭いが漂っている。


足利あしかが方の間者と思しき者を幾人か捕らえておる。男女合わせて五名。二本ずつ頂戴した」

「……」

「さすがに、一国の守護の奥方にこのようなことはできぬ。顕家あきいえ殿からも、そなたには手をあげるなときつく言われておる。――が、今は時間が惜しい。必要であればこの道忠、手段を選ばぬつもりだ」


 この老人はやると言ったらやるだろう。それは、部屋に入ってきたときの眼差しからも察することができた。

 双眸に、殺気が宿っている。目的を達成するためにはあらゆる手段を取る。そういう覚悟がなければ出せない気配だ。


「あの小僧が足利に連なる者であることは調べがついている。だが、それだけでは足りぬのだ。細川ほそかわ桃井もものい辺りの子では意味がない。その程度の子どもを、守護の奥方が気に掛けるとも思えぬ。尾張おわり吉良きら――あるいは足利宗家。先代の子か、あるいは尊氏たかうじ殿の子と見ている」

「……なにを企んでおられるのですか」

「薄々察しているのではないか」


 それ以上道忠は言葉を漏らさなかった。


 重い沈黙が二人の間に漂う。

 一向に口を開かない相手に痺れを切らしたのは、道忠の方だった。


「重ねて問う。新熊野という小僧の素性について、そなたの知っていることを話してもらいたい」


 指だけでは済まないかもしれない。

 だが、道忠が何をしようとしているかを考えると、素直に吐くわけにもいかなかった。


 一瞬、脳裏に重茂しげもちの顔が浮かんだ。


 鎌倉に残ると言ったとき、彼は困ったような表情を浮かべていた。

 葵が一度言い出したら引かない性格だと知っているからだ。

 渋々納得していたが、くどいくらいに「危ないと思ったら逃げろ」と念押しされた。


 彼は、怒るかもしれない。あるいは、呆れるかもしれない。


「――重ねて答えます。あの子は私の武芸の弟子。それ以外のことは何も存じ上げませぬ」


 葵と道忠の視線がぶつかり合う。

 相手の眼に恐怖を上回る強さを見たのか、道忠は顔をしかめて頭を振った。


「愚かな判断をしたな」

「知らぬものは知らぬとしか言えませぬゆえ」

「分かった。……おい」


 道忠に呼ばれて、部屋に二人の男が入ってくる。

 彼らが聞き取り役なのだろう。どちらも何の感情も読み取れない。仕事に徹する者の顔をしている。


「人払いは済ませてある。時間はない。なんとしても吐かせろ」

「承知しました」


 男たちがゆっくりと葵の元に近寄ってくる。

 この先なにが起きるのか、葵は一瞬だけ想像して思考を打ち切った。

 ここからは、ひたすら耐え忍ぶしかない。


 そのとき、すぐ側で物音がした。皆の視線がそちらに――部屋の外へと向けられる。


「何者だ。ここには近寄るなと命じておいたはずだが」


 道忠の鋭い問いかけに応じるかのように、部屋の戸が勢いよく開け放たれた。


「……わ、私です。道忠殿」


 震える声を精一杯絞り出しながら現れたのは、話題に挙がっていた新熊野だった。

 彼は道忠たちに怯みながらも視線をそらさず、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「私の素性など、葵殿に聞くまでもない。私が知っています。そう、私は知っているのです。回りくどいことをせず、直接お尋ねになれば良い」

「新熊野殿、なにを――」


 口を挟みかけた葵に、新熊野は泣きそうな顔を向けた。


「そなたは、自分が何者かを知っているのか」

「知っています。葵殿に、聞きました」


 葵は新熊野に対して出自の話などしたことはない。

 新熊野はおそらく、葵を心配して様子を窺っていたのだろう。

 そして異変を察して――破れかぶれで姿を見せたに違いなかった。


「私は、足利尊氏の子。――足利、尊氏の子ですッ」


 新熊野の言葉は、絶叫と言っても差し支えなかった。

 憧れだった大塔宮おおとうのみやを討ち滅ぼした足利の子と名乗る。それは、かなりの苦痛を伴うはずだった。

 ましてや、ここは足利を敵とする者たちの制する地である。


 新熊野は葵と道忠たちの間に割って入り、仁王立ちして正面の男たちを睨み据えた。


「斬るなら斬られるが良い。覚悟はできております」


 言葉とは裏腹に、新熊野の足は恐怖で震えている。

 いくら武芸の鍛錬を積んでいるとは言え、まだ子どもである。

 戦の経験がある武士を前にしたら、恐れが生じるのは当然のことだった。


 道忠は、注意深く葵と新熊野の様子を窺っていた。

 新熊野の発言を鵜呑みにしたわけではないだろう。ただ、その発言をどのように利用しようか考える冷徹さがある。


「新熊野。そなた、己の申したことの意味が分かっておるのか」

「分かっています」


 分かってなどいない。

 葵はそう言いたかったが、道忠の側にいる男二人の殺気によって、言葉が封じられてしまった。

 自分が斬られるならばまだ良い。だが、場合によっては新熊野が斬られる恐れもある。


「……斬りはせぬ」


 しばし思案に耽った末に、道忠は頭を振った。側にいた男たちの殺気も薄らぐ。ただ、まだ完全に消えたわけではない。


「足利は我らの敵だ。今は、な。だが、そなたが尊氏殿の子で――我らに味方すれば、話は変わってくる。そうは思わぬか」

「私が、北畠殿の……?」


 新熊野に向かって、道忠は大きく頷いてみせた。


「手足となって働く者は我らが用意しよう。そなたは将の一人として旗頭になれば良い。大塔宮のようにとまではいかぬが、将軍になるべく第一歩を踏み出す良い機会になる」


 葵からは、新熊野の表情は見えない。


 これは惨い仕打ちだった。自分の氏素性も知らなかった子どもに、多くのものを押し付けすぎている。

 憧れの対象たる大塔宮、その仇である足利。両者の存在が、彼の中で重しとなって圧し掛かっている。

 新熊野の心は、大嵐の只中にあるに違いなかった。


「新熊野殿、意識を乱してはなりませぬ。腹に力を込めて、目の前の相手をしっかりと見るのです」


 葵の叱責に、新熊野から漂っていた戸惑いの気配が淡いものとなった。

 心の整理は簡単にはつかないだろう。そういうときは、身体の方から落ち着けていくしかない。


「……道忠殿。私にそのような大任は無理です」

「当面、そなたはいるだけで良い。難しいことはすべてこちらで行う」

「ですが」

「――言っておくが、そなたに選ぶ権利はない。我らに味方せぬということであれば、葵殿もろとも死んでもらうだけだ」


 道忠は本気だった。彼が葵や新熊野に向ける眼差しには、情というものが一切こもっていない。

 北畠顕家の参謀としてすべてを賭す。今の道忠にあるのは、それだけなのだろう。


「そなたが我らに味方し続ける限り、両人には手を出さぬと約束しよう。なに、悪い話でもあるまい」


 新熊野は答えない。

 引き返せなくなった状況に直面して、ようやく自分の言葉の重さが分かってきたのかもしれない。


「先ほどの軍議で決まったことだが、我らは明日ここを出立する」

「明日――」

「左様。新熊野、そなたにはここに残って新たな鎌倉の主となってもらう。葵殿は我らと共に上洛してもらおうか」


 葵を新熊野に対する人質として使う。道忠は言外にそう告げていた。


 明日の支度があると言って、道忠は男たちを連れてその場を去る。

 残された新熊野は、辛さを堪えるかのような表情を葵に向けてきた。


「新熊野殿、なぜあのようなことを」

「……葵殿。俺は、まことに足利の子なのですか」


 新熊野はすがるように問う。葵の言葉に応える余裕などなさそうだった。


「聞いてしまったのです。道忠殿と葵殿のやり取りを。だから、出まかせを言った。取り返しのつかないことをしたかもしれない。しかし、道忠殿の言葉には妙な説得力もあったのです。考えてみれば、葵殿のような方が一介の小僧をそこまで気に掛けるはずもない。俺が足利の……相応の立場にいる者の子なら、納得できてしまう」


 葵は逡巡した。

 事実をこの場で告げて良いのかどうか。

 新熊野のことを第一に考えて言葉を選ぶべきか、足利家への忠義を優先して選ぶべきか。


 そんな葵の迷いは、新熊野にも伝わった。

 否定の言葉がない。それが答えなのだと、新熊野は受け取った。


「俺には、親がいません。いないものだと思い定めて生きてきました。ですが、葵殿が稽古をつけてくれるようになってから、考えるようになってしまったのです。親がいたら、このように向き合ってくれるのだろうかと」

「新熊野殿」

「……申し訳ありませぬ。埒もないことを、つまらぬことを口にしました」


 そう言い残すと、新熊野は逃げるように部屋から去っていく。

 引き留める言葉は出てこない。今の新熊野に何を言ってあげられるのか、葵には分からなくなっていた。

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