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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第3章「新星の秋」
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第75話「追う者と追われる者(弐)」

 鎌倉を占拠した北畠きたばたけ勢は、それまでの勢いを一旦止め、しばらく同地で足を休ませた。


 膨れ上がった軍勢の構成員をまとめたり、軍忠を整理しておいた方が良い。

 そういった事情もあるが、一番の目的は負傷した顕家あきいえの療養にあった。


「世話をかけるな、小僧」


 鶴岡つるがおか八幡はちまん宮寺の一室で、顕家は看護をしていた小僧に力ない笑みを向けていた。


 関東執事・家長いえながからの一矢は、顕家の右肩に深く突き刺さっていた。そのせいで、右腕が上手くあげられない。

 応急手当は結城ゆうき道忠どうちゅうらが手配した者が行ったが、本格的な治療の心得はない。そんなとき、鶴岡八幡宮寺の者が手当てをしようと名乗り出たのである。


 敵対していた者たちに大将を任せて良いのかという議論はあったが、どうも名乗り出た者は道忠と顔見知りだったらしい。

 その者であれば任せても問題ないだろう――道忠はそう判断し、顕家は鶴岡八幡宮寺の一室で怪我の療養することになった。

 小僧は、その者の補佐をする形で顕家に付き添っている。


「いえ。むしろ、こうして将軍の側で働けるのは嬉しいです」

「なぜだ? 僧を目指す者にとって、将軍など俗世の縁遠い者でしかないであろう」

「そんなことはありません。私は、いつか将軍になりたいと思っているんです」


 変わったことを言う小僧だと、顕家は苦笑した。


「小僧、そなた名は?」

新熊野いまくまのと申します」

「新熊野。そなた、なぜ将軍になどなりたいのだ。小僧が目指すべきは、立派な僧となって、いずこかの住持になることであろう」


 問われた新熊野は不服そうな表情を浮かべた。おそらく、同じようなことを何度となく言われ続けてきたのだろう。


「私は好んで寺に入ったのではありませぬ」

「それは、そうだろう」

「できれば違う道に進みたい。しかし皆は無理だという。そんなとき、僧の身から大将軍になった御方の話を聞いたのです」

「――」


 顕家の脳裏に、一人の若者の姿が浮かび上がる。

 僧から将軍へと身を転じた者。それは、顕家の身近なところにいた。


「……大塔宮おおとうのみやか」

「はい。無論、私と宮では生まれも何もかもが違います。しかし、それでも私は宮のように生きたいと思うのです。今の自分の立場に囚われず、己の意思で生き方を変えたいと思うのです」


 新熊野の瞳には、嘘偽りの色がない。本気で大塔宮のように在りたいと思っているのだろう。

 しかし、実際の大塔宮は自分の意志で思うままに生きたわけではない。周囲の状況に振り回され、必死になってもがいていた。

 周囲に操られるだけの人ではなかったし、強い自我の持ち主でもあった。だからこそ、ままならぬ現状に苦しんでいた。


「新熊野。そなたから見て、私はどのような将軍に見える?」

「はい。自ら前に出て勇を振るう、まことに見事な大将かと思います」

「そうか。だが、私はあのとき前に出るべきではなかったと後悔している」


 家長を打倒し、千寿王せんじゅおうの所在を確認したい。その焦りがあったから前に出た。決して勇を振るっていたわけではない。

 結果として右肩が犠牲になった。動かすことはできるが、些細なことで痛みが走る。これでは、集中して矢を射かけたり、刀を振るって敵とやり合うことはできないだろう。そういう機会は滅多にないが、いざというとき自分の身を守る術が欠けてしまった。


「武勇を振るって自ら危地に飛び込むのは、将軍としての振る舞いではない。将軍にとって大切なのは、周囲の期待に応え、夢を見せることだ。期待に応えれば人は従う。夢を見せれば人は動く」

「それは――とても難しそうです」

「そうだ、難しい。そして周囲のために動き続けなければならなくなる。自らの思いを殺してでもやらねばならぬ――そんなことばかりになる。更に、辞めたくても辞められるものではない」

「将軍は、将軍であることを辞めたいのですか」

「時折、そう思うこともある。そなたが小僧になったのと同じよ。私は私の意志と無関係に将軍となった」


 新熊野は何も言わなかった。憧れだった将軍という存在からその実情を聞かされて、感情の整理がつかなくなっているのだろう。


「新熊野。これはあくまで私の話だ。そなたが将軍を目指すことを私は否定せぬ。余人が笑おうと私は笑わぬ。しかし、考えることはやめるでないぞ。将軍を目指すのであれば――そなたは、どういう将軍になりたいのか」


 顕家の言葉に、新熊野は頷いた。理解した上での頷きではない。

 おそらく、彼が顕家の言葉の意味を理解することは生涯ないだろう。それで良いと顕家は思っている。

 そんなことになる前に世が平らかになることを、顕家は願っている。




 鶴岡八幡宮寺も手中に収めた北畠勢が鎌倉に留まっているという知らせは、鎌倉が陥落してから程なく上総かずさに届いていた。

 着到の確認や軍忠の整理を進めているからだというが、一部では顕家の負傷が原因だと噂になっている。また、千寿王捜索の手も緩められていないようだった。


 同時に、家長が戦死したという報告も届けられた。


「最後まで、見事な戦ぶりだったようにございます」


 登子なりこにあらかじめ相談した上で、重茂しげもちはそのことを千寿王に伝えた。

 いずれは知らねばならぬことである。早めに教えた方が千寿王も心の整理がつけられるだろう、という判断によるものだった。


 千寿王は感情を押し殺しながら、短く「大儀であった」と告げた。他に言葉はない。

 おそらく、家長に向けて言いたいことは山ほどあるはずだった。しかし、千寿王がそれを口にすることは二度とないだろう。

 そういう苦みは、重茂も知っている。


「鶴岡八幡宮寺も敵の手に落ちたそうです。今は同地を宿所とし、上洛のための準備を進めているとのこと」

頼仲らいちゅう殿は無事だろうか」


 親族でもある鶴岡八幡宮寺のトップを気に掛ける千寿王に、重茂は笑って応えた。


「無理に抗戦せず降伏したそうですから、心配は無用でしょう。北畠勢としては頼仲殿を邪魔に思うかもしれませぬが、坂東に広く知られた鶴岡八幡宮寺の若宮別当、独断で処断するのは難しいはずです。行動は制限されるでしょうが、命を奪われることはまずないと思われます」


 頼仲も自分の立場は理解しているだろう。

 だからこそ、家長が死んだと聞いてすぐさま降伏したのだ。そういうところは抜け目がない。


「しかし、話を聞いていると鎌倉に戻るのはまだ難しいようですね」


 千寿王と共に話を聞いていた登子が表情を曇らせる。

 上総で得た兵力はそれなりのものだったが、鎌倉に逗留している北畠勢とは比べるべくもない。

 正面からぶつかったところで勝ち目はまずないだろう。


 しかし、希望がないわけでもない。


「家長殿が仕掛けていた策は、まだ生きております」


 重茂は懐からいくつかの書状を取り出してみせた。

 奥州おうしゅう下野しもつけ常陸ひたち越後えちご信濃しなのから届いたばかりの書状である。


「各地の足利あしかが方から届いたものにございます。北畠勢が鎌倉に集まったことで、逆に他の地で足利方が動きやすくなりました。変わらず足利に味方すること、要請があれば急ぎ馳せ参じるとのことが記されております」


 重茂から渡された書状に目を通した登子は、凛とした表情で力強く頷いた。

 まだ希望は断たれていない。京との連絡はまだ難しいが、坂東において上総で孤立しているわけではない、というのは大きな励みになる。


「しかし、なぜ皆は変わらず我らに味方してくれるのだ。我らは北畠に負けたのに」


 千寿王の問いかけに、重茂は言葉を選びながら答えた。


「北畠は上洛のために必要なものを、この坂東から根こそぎ奪いました。奪われた側としては、たやすく許容することはできないのでしょう。人は与えてくれる者につく。奪われれば敵に回る。北畠も当然それは承知していたはずですが、上洛のため略奪せざるを得なかったのでしょう。結果、北畠は勝ちを得ましたが――多くの敵を作る勝ち方をしたとも言えます」

「ただ勝つだけでは駄目ということか」

「肝要なのは、勝つことではありません。生きて、得ることでございます」


 重茂の言葉に、千寿王は頷いた。

 鎌倉において、足利は敗北した。しかし千寿王は生きて、改めて坂東武士の支持を得つつある。

 ただ勝つだけでは、かつての平家へいけや九郎判官義経(よしつね)のような末路を迎えることにもなりかねない。


 千寿王にそのような道を歩ませてはならぬ。

 家長からの「頼む」という言葉を思い出し、重茂は執事代として気を引き締めなおした。

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