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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第3章「新星の秋」
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第69話「関東執事・家長(壱)」

 先頭の一団が重茂しげもちたちの手勢を突き破り、利根川の渡河を為し遂げる。

 そこからは早かった。突き崩した北畠きたばたけ勢の勢いが増し、押し込まれた足利あしかが方は、浮足立って逃げ出す者が出始める。


「……よし、いいぞ! 早く退け! 一旦安保原(あぼはら)に退くのだ!」


 どこからか戻って来た重茂は、状況の変化を見るやすぐさま声を張り上げた。

 もはや踏みとどまれるような状態ではない。ならば、どこに逃げるか誘導して軍の瓦解を防ぐのが第一である。


 重茂の姿を認めた直常ただつねはなにか言いたそうに口を開きかけたが、舌打ちだけしてすぐに兵をまとめ始めた。

 今は言い争いをしている場合ではない。利根川という難所を越えて勢いをつけた北畠勢は、このまま南下して上野こうずけ武蔵むさしを蹂躙するであろう。それを出来る限り食い止めなければならなかった。


 重茂の意を酌んだ山内やまのうち経之つねゆき安保あぼ泰規やすのりも、怯える兵を大音声で叱咤しながら撤退を始める。


治兵衛じへえ

「はっ」

「惜しかったな。隣のあいつは誰だろう。結城ゆうきの爺さんじゃないし、宇都宮うつのみやでもない」

「弥五郎さまが分からぬということは、お会いしたことのない相手なのでしょうな」

「おそらく南部なんぶ伊達だてだ。やれやれ、向こうは大した結束力のようだぞ」


 我らとは大違いだ。そう言いたげな重茂に、治兵衛は何も言えなかった。


 命からがら安保原まで撤退した重茂たちを出迎えたのは、ついに最後まで利根川へ姿を見せなかった河越かわごえ高坂たかさかの手勢だった。

 裏切りの可能性も考えながら接近すると、先頭に見知った顔が出てきた。河越直重(ただしげ)・高坂氏重(うしじげ)である。


「申し訳ありませぬ。我ら使者としての役目を果たせず」

「行くべきだって言ったんだがな……」

「構わぬ。利根川で戦っても勝機はない。ならばこの安保原で我らを待った方が良い。そのように考えたのだろう」


 誰がとは言わない。河越直重の父・高重たかしげと、高坂氏重の父・信重のぶしげであることが明白だからだ。

 敗色濃厚な戦いに参加しても、いたずらに犠牲を出すだけ。そのような愚を避けたのだろう。大規模な武士団のトップとしては間違っていない。


 しかし、あの場に河越・高坂をはじめとする武蔵平氏の一団がいれば、また違った手を打つことができたかもしれない。

 それに、どんな理由があろうと彼らは守護である重茂の命令を無視したのだ。そのことに対する腹立たしさは、どうしても消えそうになかった。


「直重殿、氏重殿。改めて使者を頼まれてはくれないか」

「なんて伝えれば良いんです?」

「――先の戦に間に合わなかったことは無念であろう。その分、この地で存分に働いていただきたい、と」


 こうしている間にも、北からは北畠勢が迫りつつある。

 今は仲違いをしている暇などない。最優先すべきは、ここから河越・高坂の手勢を逃がさないようにすることだった。


 汚名返上という意識があるからか、河越直重・高坂氏重は重茂の指示に勢いよく応じて駆け出していった。

 彼らは若い。一団を率いる長としての立場ではないので、実利よりも名誉の方に重きを置いているのかもしれない。


「こう言ってはなんですが」

「なんだ、治兵衛」

「河越・高坂の両御当主は、とにもかくにも実利を重んじるように見受けられます。恩賞地の約束でもしておかねば、この不利な状況で動いてはくれないのではないですか」


 治兵衛の言うことはもっともだった。最悪の場合、河越・高坂両氏が北畠に寝返ることすらあり得る。


「実利を重んじるのは当然のことだ。名誉もタダでは買えぬ。こちらとしては腹立たしいが、表立って非難することはできん」

「でしたら、なおのこと恩賞の話を持ちかけておくべきでは」

「俺は足利の家人だ。自分の裁量で他人にくれてやれる土地などない」

「それは分かりますが」

「口約束だけでも、というのも分かる。分かるが、もしそれが殿に聞き届けられなければ問題の種になる。いたずらに火種を増やすようなやり方は駄目だ。巡り巡って自らの首を絞める。少なくとも俺は、やるべきではないと思っている」


 論功行賞の場に立ち会ったり、足利の家政機関で働いていた経験から、恩賞問題のややこしさは身に染みている。

 その場を凌ぐことができたとしても、後日約束を果たせなかったとき、相手の不満はすさまじいものになるだろう。


 働かされた上で約定を違えられれば、重茂とて怒る。何かしらの報復を考えずにはいられない。


 それで河越・高坂が後醍醐ごだいご方に寝返りでもすれば、武蔵をまともに治めることはできなくなる。

 腹立たしかろうがなんだろうが、重茂としては地に足のついたやり方で付き合っていくしかなかった。


「治兵衛、早急に家長いえなが殿への使者を出せ。それから上野・武蔵にいる足利方の武士や寺社にも使いを出すのだ。北畠勢が来る前に、避難を進ませておかねばならぬ」

「……承知いたしました」


 治兵衛はそれ以上何も言わず、重茂の指示に応じて家人たちの指示を出しにいった。


 重茂は周囲を見渡した。

 山内経之や安保泰規等、武蔵の武士たちが指示を待っている。


 彼らは重茂の命によく従ってくれている。しかし、忠義の心だけで動いているわけではない。守護と――その背後にいる足利氏と上手く付き合っていかなければ立ち行かない。そういう立場が、彼らを重茂の手足たらしめている。

 皆、それぞれの事情の中で生きている。折り合いをつけながら、彼らとの結びつきを少しずつ強固にしていく。それが自分の役割だと、重茂は改めて自分に言い聞かせた。


「皆、よくぞ生きてここまで戻った! 戦はまだ終わりではない。まずはここで南下してくる敵を防ぐのだ。ただし死んではならぬ。これからここで行うのは、あくまで足止め。本当の戦はその後だ。それまで、無駄に命を散らすでないぞ!」


 彼らに下知を下しながら、重茂は北を真っ直ぐに睨み据える。

 雲霞の如き北畠勢が、こちらを擦り潰さんと迫り来るのが見えた。




 重茂や憲顕のりあきからの急報が鎌倉に届いたのは、そこから僅か半日の後のことだった。

 援軍を早く出して欲しいと催促の書状をしたためていた家長は、筆を止めて使者の言葉を再三確認すると、天を仰いでしばし言葉を失った。


 早い。あまりにも早過ぎる。


 防衛線を打ち破られた重茂や憲顕たちに対する不満はなかった。

 この場合、北畠勢の動きがあまりにも急速だったというべきだろう。

 小山おやま宇都宮うつのみやが落ちるのは時間の問題だと思っていたが、そこからの展開は予想を超えるものだった。


 しかし、悲観してばかりもいられない。

 家長は、千寿王せんじゅおうを補佐する東国の要である。その責任感が、彼を苦い現実へと引き戻した。


「……重茂殿と憲顕殿は、今も武蔵で敵と対峙しているのだな?」

「はい。両者は合流して安保原で北畠勢と睨み合っています。私が出立したときは、まだ戦は始まっておりませんでした」

「だが、そう長くは持たぬであろう。少しずつ退いて、数日のうちには相模さがみ辺りまで来ると見た方が良いだろうな」


 戦支度は進ませていたが、より急がせる必要がある。

 増援の使者も早く出さねばならない。書状を逐一したためている余裕などなかった。信頼できる者を使者として、口頭で伝えさせるしかあるまい。


 そう考えていた矢先、新たな使者が足利邸に駆け込んできた。

 重茂たちの使者ではない。その使者は、伊豆いずの方から駆けてきたという。


 息も絶え絶えの使者は、更なる凶報を家長に告げた。


「伊豆国にてっ……挙兵!」

「挙兵? 誰がだ」

「ほっ、北条ほうじょう――時行ときゆき殿にございます……!」


 その報告に、家長は思わず立ち上がった。

 書机が倒れ、墨がこぼれる。しかし、家長にはそのことに気づく余裕がなかった。


「……待て。北条は、信濃しなのに潜伏していたのではなかったのか?」


 使者は戸惑うばかりで、家長の言葉に応じることができない。

 家長も、それは期待していなかった。言葉にしたのは、自分の頭で整理するためだ。


 脳裏に、信濃と伊豆を思い浮かべる。

 二つの国の間には、もう一つ別の国があった。そこに思い至ったとき、ある人物が浮かび上がってくる。


「……武田たけだか。武田政義(まさよし)の手引きで北条に縁深き伊豆に向かい、同心する者を募った……!」


 信濃にも北条に与する者は多い。甲斐も敵とみなした方が良いだろう。挙兵した以上、伊豆も半数以上は敵に回ったと見て良い。

 そして、下野しもつけからは北畠勢が迫っている。常陸ひたちの情勢も不安定なままだった。


「まずい」


 今、家長の脳裏に浮かび上がっている盤面は、元々家長が思い描いていたものと非常によく似ている。

 坂東に孤立している北畠勢を広域的に包囲するという図である。しかし、今の状況はそれとは真逆になりつつあった。坂東で包囲されつつあるのは、足利の方である。


「……」


 家長を、心の臓が張り裂けそうな痛みが襲う。

 今の状況を招いたのは、関東執事である自分の責である。

 どうにか――どうにかしなければならない。


 自らの唇を噛みちぎり、口元から血を流しながら、家長は次の一手を必死に模索していた。

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