第47話「巡る天下、回る人々(壱)」
その日、比叡山の中を荒々しく進む一団がいた。
先頭に立つのは脇屋義助。その後ろに続いているのは、その兄・新田義貞である。
彼らはこの数ヵ月、後醍醐天皇の下で足利軍と激烈な戦いを繰り広げてきた。
十分な戦果はあげられていないが、もとより兵数の差が尋常ではない相手である。
そんな相手から比叡山を守り抜いているという一事だけでも、新田勢の尽力は疑うべくもない。
しかし今、そんな新田勢の努力が水泡に帰そうとしていた。
「これは新田殿」
義貞たちが向かおうとしていた建物――後醍醐の仮御所から、緊張した面持ちで坊門清忠が駆け出してきた。
「坊門様。帝は今こちらにおられますか」
「おられる。おられる故、しばし待たれよ」
「私は待ちます。これは待つ戦なのです。それは坊門様も御承知でございましょう」
「分かっている。分かっているが――」
心苦しそうな清忠に、義貞はいささか憐憫の情を抱いた。
坊門清忠が進めていた興福寺との連携は、結局失敗したのである。
興福寺との連絡はしばし途絶えた。そしてあるとき、興福寺が足利方についたという話が兵たちの間で広がったのだ。
おそらく足利方に通じるものが、故意に流した話だろう。でなければ、こう都合の悪い話だけが急に入ってくるはずがない。外の情報は、手に入れたくともなかなか入ってこないのだ。
加えて、先日信濃の軍勢が足利方への援軍として馳せ参じた。
援軍を待ち続けた結果、やってきたのは敵方の援軍。これでは援軍派の面目は丸潰れである。
おかげで坊門清忠は周囲から白い目で見られるようになった。
援軍を待つべきだという彼の意見は、もはやほとんど無視されている。彼自身、近頃はすっかり気落ちして自分の意見を口にしなくなっていた。
義貞には、決戦を仕掛けるべきか援軍を待つべきか、どちらが正しいかは分からない。
おそらく誰にも分からないのだろう。だからこそ、決まった方針に対して、後醍醐の言葉通り全力で臨んだのである。
しかし、そんな努力が今虚しくなろうとしている。
義貞旗下の武士から、帝の動きに不審あり、足利方と和睦するつもりである、といった情報がもたらされたのである。
最初は笑い飛ばしていた義貞だったが、付き合いのある洞院実世という公家からも連絡を受け、半信半疑のままこうして仮御所に参じたのだった。
外の気配に気づいたのだろう。
中にいた他の公家たちが少し顔を出し、慌てて奥に戻っていった。
「坊門様。帝は――」
「帝も、悩んだ末のことであろう」
新田勢をなだめるように、清忠は後醍醐の弁護をした。
「私は帝によって道を拓かれた。最後までお供する覚悟はできている。しかしこの比叡山にはそうでない者も多い。私や新田殿のように待てぬ者が多いのだ。勝てる見込みが欲しいのだ。しかし援軍は来ない。援軍なしで挑んでも勝つことはできない」
「勝てぬまでも、負けておりませぬ」
「それでは駄目なのだろう。負けぬ見込みではない。勝てる見込みが必要だったのだ」
そのとき、仮御所から幾人もの皇子・公家を従えて後醍醐が姿を見せた。
自らが表に出てくるというのは、尋常なことではない。
突然のことに、その場にいた者たちは慌てて平伏した。
後醍醐は近臣たちにその場で待つよう指示すると、自ら足を運んで義貞たちの近くまでやってくる。
「義貞」
「はっ」
「そなたらがここに来た理由は分かっている。その理由は、的外れなものではない」
「……」
やはり後醍醐は足利と和睦するつもりなのだ。
そう知ったとき、義貞は思わず地を殴りつけていた。
「今、我らは耐え続けております。そして外に味方もおります。かつて鎌倉と戦ったときもそうでした。帝が、楠木正成が耐え続けたからこそ勝てたのです。だからこそ、私は楠木殿のようにいくらでも耐え続けようと思っておりました」
「あのときとは違うのだ、義貞」
諭すように後醍醐は義貞の肩を掴んだ。
「そなたは、正成ではない」
「それは――」
思わず義貞は面を上げた。
視界が滲んで、後醍醐の姿がよく見えない。
「それは、どう捉えれば良いのでしょうか」
「正成にできても義貞にはできぬことがある。――そして、義貞にできて正成にできぬこともある」
折れかけた義貞の心が、かろうじて耐えた。
「籠城は義貞の戦ではあるまい。だから朕は、そなたを何度もこの山から出した。本当は離れないで欲しかったが」
「……」
「だが、勝てなかった。それを不安に思う者も多い。そなたが正成でないのと同様に、ここは千早城ではないのだ」
見てみよと後醍醐に促され、義貞たちは周囲を見た。
辺りにいるのは後醍醐の近臣や武士ばかりではない。長い籠城に付き合わされて痩せ衰えた、叡山本来の住人の姿もある。彼らは皆どこか不安そうに義貞たちを見ていた。
「朕は京に戻る。そこで別の戦を尊氏に仕掛けようと思う」
「別の戦でございますか」
「宮中の戦だ。これは朕にしかできぬ」
ならば自分はどうすればいいのか。
そんな義貞の心情を汲み取ったのか、後醍醐は側に控えていた少年を義貞の前に出した。
後醍醐の皇子の一人、恒良親王である。
「そなたに恒良と、尊良を預ける。恒良はまだ若い故、そなたと尊良で支えてやって欲しい」
「御二方をお連れして、ここから落ち延びよと?」
「越前・加賀であればこちらに同心する者も多いと聞く。そこで再起を図るまで耐え忍ぶのだ」
「おそれながら」
義貞の側に控えていた脇屋義助が、疑念の眼差しを後醍醐に向ける。
畏敬の対象ではあるが、その口から発せられたことをそのまま鵜呑みにはできない、と言いたげな目だった。
「帝が洛中に戻り、足利方や院と和睦された場合、我らは賊軍となる恐れがあります」
「朕が恒良・尊良を見捨てると?」
「帝」
恒良の肩にポンと手を置きながら、涼やかな顔立ちの青年が含みのある声をあげた。
先程から名前があがっていた尊良親王――後醍醐の皇子である。
「脇屋の申すことは私ももっともだと思います。世の中、なにが起きるか分からない。本意がどうであれ、親が子を見捨てるということも十分起こり得るでしょう。それは帝も、十分御承知かと存じておりましたが――」
後醍醐は苦い顔つきになった。
そこは、突いて欲しくなかったところなのだろう。
「……ならば、いかにせよと?」
「恒良に皇位をお譲りください。どのみちこのまま洛中に戻ったところで、帝がその御位を保ち続けるのは無理というもの。ならばここで恒良にお譲りくださいませ。さすれば我らは賊軍にはなり得ませぬ故」
尊良の主張は周囲を驚愕させるのに十分なものだった。
確かに理屈の上ではその通りなのだが、実際それを帝たる後醍醐に言える者は、決して多くないだろう。
尊良は後醍醐の皇子の中では年長な方だが、皇位や後醍醐の継承者としての優先順位は低かった。いろいろと苦労も多かったのだろう。だからこそ、こういうことが言えるのかもしれない。
後醍醐は反論したかったのかもしれない。
しかし、周囲を説得させるだけの言葉が浮かばなかったようだった。
長い沈黙の後、ゆっくりと尊良に向けて頷く。
「であれば、京に戻るのは朕のほか最低限の数に抑えた方が良いであろうな。尊澄・懐良もそれぞれ良き地に行ってもらった方が良いかもしれぬ」
「仰る通りです。幸いこの場には賢臣・忠臣が数多おります。これからのため――よくよくご相談いたしましょう」
比叡山の戦は終わりを迎える。
だが、後醍醐たちの闘志は未だ消えてはいなかった。
数ヵ月にも及ぶ長い戦いの日々が、ようやく終わろうとしていた。
重茂たち事務方の戦いも、ようやく少し余裕が生まれつつある。
最初のうちは分からぬこともいくつかあり、太田時連などにはかなり絞られた。
しかし、元々足利氏の家政機関を切り盛りしていた高一族の出身ということもあり、重茂はすぐに他の事務方のやり方に馴染んできた。師直と同等の教育を受けてきたことが大きかったのかもしれない。
「あの――」
小さい声で話しかけてきたのは長井挙冬だった。
眼光鋭いこの若き武家官僚は、どうも口下手であるらしい。
「これを」
そう言って手に持っていたものを差し出すと、そそくさと足早に去っていってしまう。
慣れないうちは嫌われているのかと思っていたが、どうもそういうわけでもないらしい。
「おや重茂殿、どうなされたかな」
「ああ、行珍殿」
温和な雰囲気が滲み出る坊主――二階堂行珍に、重茂は挙冬から受け取ったものを見せた。
足利一門に関する軍忠状と、何も書かれていない和紙である。
「軍忠状と、紙は融通を利かせてくれたのでしょうな。ちょうど足りなくなるところだったのです」
「なるほど。挙冬殿はよく周りを見ている。先輩として後輩の助けになりたかったのかもしれぬな」
「だと思います。おかげで不自由していません」
仕事が円滑に進むよう、挙冬はなにかと気を回してくれた。
気づいたのはたまたまである。しかし、意識して彼の動きを追っていると、あちこちで世話を焼いている様子が見えた。
「あれで目つきがもう少し柔らかいものであれば良かったのでしょうが」
「顔つきは生まれついてのものだからどうしようもあるまい。私ももう少し整った顔立ちであれば、宮中の女官から噂されていただろうに」
行珍は別段醜男というわけではない。ただ、特別整っているというわけでもなかった。
「そういえば、行珍殿はよく公家衆と交流があるそうですな。誰かと噂されることはないのですか」
「ない。悲しいくらいない。ほとんど出会いもない。まあ、歌会に呼ばれるくらいだから仕方ないのだが」
「歌ですか」
「うむ。元々は公武の御役目のため、嗜みの一つとして始めたものだが……思いの外はまってしまってな」
行珍は鎌倉幕府があった頃から、朝廷との交渉役として公家との付き合いがあった。
公家との交流において、自慢できるような芸事を身に着けているというのは大きなプラスになる。
行珍の場合、歌がそれにあたる。
「聞けば重茂殿も歌を嗜むというではないか。どうだ、今度一緒に歌会に参加してみるというのは」
行珍の誘いは魅力的なものだった。
今後のことを考えると、公家とのパイプを作っておくというのも悪くはない。
だが、歌と聞くと胸に痛みが走る。
まだ先日のことを振り切れていないのかもしれない。
「行珍殿、御誘いはありがたいのですが――」
それはまた今度。
そう断りを入れようとしたとき、遠くから「弥五郎様ァ」という治兵衛の大声が聞こえた。
すぐに重茂を見つけたのだろう。治兵衛が会釈して近寄ってきた。
「どうしたんだ、治兵衛」
「はっ。五郎様から、弥五郎様を呼んでくるよう申しつけられまして」
「兄上から……?」
個人的な心当たりはない。
ただ、近く後醍醐天皇が比叡山を出て戻ってくるという話がある。
もしかすると、それに関することかもしれない。
「分かった。行珍殿、すみませんが」
「うむ。事情は私から信濃入道殿にお伝えしておく」
行珍に礼を述べると、重茂は治兵衛と共に師直の元に向かう。
あたりはすっかり、肌寒くなっていた。





