第45話「建武三年の夏(肆)」
新田義貞を大将とする延暦寺の軍勢が攻勢に転じたのは、六月末のことだった。
予兆はあった。その前日、以前重茂や師泰たちが守りについていた石清水八幡宮寺が、延暦寺の軍勢に占拠されたとの報があったのである。
その軍勢と決戦に及ぶべきか否か。師泰が東寺にいる尊氏たちに連絡しようとした矢先に、義貞たちが現れたのだった。
「南北から挟撃するということか。思ったより兵力に余裕があるのか、一網打尽にされることを恐れて兵を分けたか――」
南に陣取る敵軍を睨み据え、師泰は苦々しい表情を浮かべた。
重茂や師泰は南方への備えを任されている。北方から京を窺う義貞を討ちに行くためには、まず眼前の軍勢をどうにかしなければならない。
「殿は、大丈夫だろうか」
重茂は思わず不安を漏らした。
今、東寺にいる尊氏の周囲には兵があまりいない。敵を誘い出すため、あえて分散させているのだ。
それだけに、義貞が脇目も振らず攻め寄せてきた場合、耐えきれるか心許ないものがあった。
「心配なら、早々にあいつらをどうにかせねばならんな」
「何か良い手立てがあるのか?」
「殿の流儀に倣うのよ」
一刻もしないうちに、師泰の軍勢は南の敵に攻めかかった。
警戒しながら待ち構えていたのだろう、敵軍の守りは堅かった。
大雑把とも言えるような攻め方をした師泰軍は、あっさりと返り討ちにあう。
そして、これは敵わぬと京の内側へと逃げ込んでいった。
勝ちに乗じた追撃。
しかも、このまま直進すれば北にいる義貞軍と挟み撃ちの形にできる。
そんな絶好の機会を逃すまいと、敵軍は師泰軍を猛追してきた。
「ほれ、上手くいったぞ」
敵軍の動きを見て、師泰は意地の悪い笑みを浮かべた。
師泰軍の敗走は、無論わざとである。
京の中に入り込んだ師泰軍は、事前に言い含めてあった通り各地に散開した。
東西に分かれ、師泰と重茂がそれぞれの大将を務める。
獲物を狙って京に突入してきた南方の敵軍は、師泰・重茂によって挟撃される格好になった。
「容赦するな、放て、放ていっ! 先日の負けをここで取り戻せ!」
師泰は自らも弓を取り出して、何度も敵軍へと矢を放つ。
重茂もそれに負けじと猛撃を繰り出した。
「仇だ! 弥四郎の、殺された者どもの仇を討てっ! 一人たりとも許すでないぞ……っ!」
師泰の眼は血走っていた。
彼を突き動かしているのは憎悪である。弟を殺した者たちに対する憎悪の炎が、彼の身を焦がしていた。
しかし、重茂は違う。
「敵を通すな。ここで敵を通せば院が、殿が危ない!」
ここで自分たちが止めなければ、尊氏たちが危機に瀕する。重茂は、その一念で戦っている。
戦いの最中、彼が師久を思い出すことは――ついになかった。
京を舞台とする一進一退の攻防は、一度や二度では終わらなかった。
六月末は足利方が京をかろうじて死守。
しかし七月に入って間もなく、尊氏たちの敷いた包囲網を突破し、後醍醐方に北国の援軍が合流する。
それを頼みに後醍醐方は再び京を襲撃するも、足利方はどうにかこれを撃退した。
両者とも互いの軍の中心にいる尊氏・義貞を討たんと躍起になったが、周囲を固める者たちの尽力もあって、両雄はからくも首を繋ぎとめていた。
「また新田勢が繰り出してきたらしい」
「率いているのは誰だ?」
「分からぬ。ただ、既にこちらの軍に追い返されたとも聞く」
「なら、俺たちの出番はないか」
そんな会話を耳にしながら、重茂は東寺付近の陣で一人武具を整えていた。
戦はまだ終わっていない。南を守っていたかと思えば北に向かい、その足で東に駆け付ける。
京の各地を駆け回り、大抵の場所は覚えてしまったかのような気すらする。それくらいせわしない状況が続いていた。
だが、少しずつ形勢は傾きつつあった。
足利方は各地に兵力を散らしたおかげで、兵粮はそこまで困らなくなった。
逆に、北国からの援軍や各地の残党が集まったおかげで、延暦寺は少しずつ疲弊しつつある。
延暦寺の中には後醍醐に帰洛して欲しいと願う者たちもおり、密かに尊氏たちの元へ連絡をよこしているとのことだった。
新田義貞や四条隆資らの出陣は増えたが、これは士気盛んというよりも、焦りによるものだろう。
軍の精強さは徐々に失われ、小競り合いをするだけで退いていくようになりつつあった。
今は京の東にある阿弥陀が峰に陣を張っている。
すぐさま攻めかけてこれるような場所なので、足利方は警戒を強めていた。
「重茂殿」
気が緩むか緩まないかという折に、上杉憲顕が尋ねてきた。
上杉氏は朝廷との繋がりを持っている。そのため様々な交渉事を受け持つようになり、戦で駆け回る重茂たち以上に忙しい日々を送っていた。
「興福寺から、こちらに御味方するという返書が届きました」
重茂が原案を出し、師直がとりまとめ、憲顕たちが四条隆蔭を通して院に上奏し、院が二条家を動かした。
そういう複雑な経緯を経て、ようやく大和国の主・興福寺が足利方についてくれたのである。
京のすぐそばにある国が丸々一つ敵に回るかもしれない――その可能性を潰せたことに、重茂は安堵の息を漏らした。
「そうか。良かった。……憲顕殿も、かなり骨を折られたようだな」
「なんの。私など隆蔭様に頭を下げてばかりで、楽なものだった。東西奔走されたのは隆蔭様だ」
「一度、二条家に呼び出されたと聞いたが」
「ああ――あれは、少し肝が冷えた」
怖い御人であったと、憲顕は表情を曇らせながら言った。
近頃は公家を中心とする朝廷を軽視する武士が徐々に出てきているが、決してその威が失われたわけではない。
天皇。院。そして五摂家などは、未だ雲の上の存在なのだ。不意に会うはめになった憲顕の心労は察するに余りある。
「だが、二条様の御尽力のおかげで興福寺は旗幟を明らかにした。菊池・北畠もすぐには来られまい。大勢は決しつつある」
「戦では一進一退の攻防が続いているというのに、不思議なものだ」
命懸けのやり取りをしている自分たちをよそに、見えないところで勝負が決まりつつある。
そこに僅かながら関わっただけに、重茂の心中は複雑だった。
「師久殿のことは聞いた。私としても残念に思う」
「かたじけない。つくづく、あいつは多くの人に惜しまれているのだと感じる」
この数日、戦の中で曽我師助と顔を合わせる機会があった。
師助は延暦寺が奇襲を仕掛けてくる直前に、師久の命を受けて他の将の元へ出向いていたらしい。
詫びるようなことではないのだが、彼は何度も重茂に頭を下げた。
その目には涙が滲み出ていて、重茂はどうにも居心地の悪さを感じてしまった。
「重茂殿は、まだ実感が湧かぬようだな」
憲顕は重茂の葛藤を察したらしい。
気にするな、と彼は語った。
「私も父が死んでからしばらくは、なにも感じなかった。自分が親不孝者ではないかと不安になったものだよ」
憲顕の父・憲房は、尊氏たちが九州に落ち延びる前の京の戦で、殿を務めて戦死した。
考えてみれば、まだそれから一年も経っていない。憲房や師久だけでなく、この短い間で多くの知己が命を落とした。
「それは仕方ないだろう。あのあと我らは九州まで逃げ、そこからも戦や上洛の準備で休む暇もなかった。それに、憲顕殿は憲房殿の跡を継ぐという大任もあった。余裕がなかったのではないか」
「ああ。だから、きっと重茂殿も同じだ」
「俺は――」
憲顕に比べれば、大したものを背負っているわけでもなく、今はこうして戦の備えをするくらいしかやることがない。
「親しい者ならかえって実感が湧きにくいものだ。あまり気に病むことはない。否応なく、そのうち実感というものは湧いてくる。私も不意にきた。あのときは、辛かったな」
日が沈む。
敵軍が集う阿弥陀が峰に、篝火が灯されていく。
いくつあるのかと数えてみたが、四十を超えた辺りで面倒になってやめてしまった。
「多くとも、四十八には、よも過ぎじ、阿弥陀が峰に、灯す篝火」
つい口ずさんだ歌は、目の前の光景をそのまま詠んだだけのものだ。
しかし、憲顕は異なる解釈をしたらしい。
「四十八か。それだけの日があれば、戦そのものも終わっているかもしれないな」
「……ああ、時間と取ったのか」
そういえば、京に戻ってから既にそれくらいの日は経ったのかもしれない。
湊川の戦いで楠木正成と遭遇したのが、もう随分と昔のことのように思えてくる。
「……四十八。四十八か。それくらいの歳になっていたら、弥四郎のやつはどんな男になっていただろうな」
重茂は、阿弥陀が峰の向こう――雲母坂や比叡山の地を想った。
恐怖はあったのだろうか。遺した妻子に対してなにを想ったのだろうか。
「俺は、四十八になったらどうなっているのだろうか。その頃まで、生きているのだろうか――」
人は死ぬ。
特に武士はそうだ。昨日まで元気に笑っていたとしても、戦に出ればあっさりと命を落とす。
恐怖はあるが、覚悟はしている。きっと師久もそうだったのだろう。
ただ、自分が亡くなったときに周囲の人々がどう想うのか――それだけが少し気になった。
「人の生き死には分からない。明日、私が死んでいるかもしれない。今日、このあと重茂殿が死ぬかもしれない」
それでも、と憲顕は頭を振った。
「生きてきたことが無駄になるわけではない。自分の為そうとしてきたことは、別の誰かが引き継いでいく。それが『御家』というものだ」
憲房の跡は憲顕が継いだ。
師久の跡も、きっと誰かが継ぐのだろう。
自分の場合は、どうだろうか。
遠からず消えるであろう阿弥陀が峰の篝火を前に、重茂は微かな寂寥の念を抱いた。





