第1話「多々良川」
時は、建武三年三月。
およそ一五〇年前に源頼朝が坂東武者と打ち立てた鎌倉幕府も先年に滅び、公家一統の世が訪れた時代。
世の頂点に立つ帝から朝敵とされた武士の一団が、九州北部にある筑前国で懸命に戦っていた。
「はははっ、御一同! 相模国曽我荘が住人・曽我師助、敵将首を取ったぞ!」
一団の先頭を行く赤き鎧の武者が放った言葉に、一団は沸き立った。
彼らの行く手には数多の敵兵がいる。
一団は皆、間に合わせの武具しかなく、しかも数で劣っていた。
しかし、不思議と士気は旺盛である。
朝敵とされ、京から追い落とされ、死中に活を求めて九州まで落ち延びてきた。
惨めと言えば惨めな境遇だが、なぜか彼らは希望を持って戦っている。
「曽我殿が功をあげたか。俺たちも負けてはおれんな」
一団の後方に控えていた部隊の先頭で、立派な体躯の将が鼻息を荒くした。
戦場は人が多い。頭が痛くなるほどに。
此度の戦は特に酷い。敵が多過ぎて、流石に覚えきれそうにない。
勝ち目は薄い。一時の勢いはあれど、数の差はいかんともしがたい。
それでも退くことはできない。ここで逃げれば、もはやこの国に居場所はないだろう。
ならば、あとは決死の突撃あるのみである。
「此度こそ武功をあげる。者ども、我に続けいっ!」
重い鎧を身に着けながらも、その将は軽やかに駆けだした。
敵兵はこちらの思わぬ勢いに押されて、川を渡って戻ろうとしていた。
川の向こうには、まだ大勢の敵がいる。
「逃がすな、進め、進めい!」
一人でも多くの敵を討ち果たし、数の差を埋めねばならない。
その一心で彼は突き進んだ。川の中を、躊躇いもなく前へ前へと向かっていく。
「ぬっ!?」
そのとき、踏み出した一歩が唐突に沈んだ。
勢いあまって、身体全体が前のめりに倒れる。
全身が川の中に吸い込まれた。
息ができない。
身体を覆う鎧の重みが、身体を川底へと誘っていく。
(こいつは、いかん)
どうやら深いところに足を踏み入れてしまったらしい。
決死の覚悟で戦に臨むつもりだったが、駆け出して早々、それどころではなくなってしまった。
本来なら、こんなことをしている場合ではない。
決死の覚悟で敵陣に突き進んでいった味方がいる。
雲霞の如き大軍を前に、命を捨てんと皆で進んでいたのだ。
一矢も放たぬまま、なんたるザマか。
(いかん――いかんぞ!)
身体はどんどん沈んでいく。
別に泳げないわけではないが、いかんせん具足が重い。
川を渡るならもっと軽装の方が良いのではないか――そんな治兵衛の忠告を素直に聞いておくべきだったかもしれない。
(嗚呼、これは、無理だ)
沈み始めたときに湧き上がった恐怖は、いざ沈むと薄れていった。
元来、肝が据わっているところがある。助からぬのであれば、覚悟を決めるしかない、と思い定めた。
(なにか一句)
このどうしようもない心情を、歌にしてみたい。
不意に、そんな欲求が出てきた。
(このようなこと、二度あるものではない――この心情、なんと詠むか)
だが、こんな状況で頭がまともに働くはずもない。
なにか、なにか、と念仏のように頭の中で繰り返しながら、次第に意識は薄れていく。
弥五郎様ァ、と誰かが呼んだような気がした。
(おう、俺はここさ)
京から追われた武家――足利の御家に仕える高一族の一人。
高師泰、高師直の弟・高弥五郎重茂は、筑前国の多々良川で声にならぬ名乗りをあげた。