第34話「重茂、南へ(肆)」
楠木館を離れた重茂は、付き従っていた郎党に尊氏たちへの言伝を頼み、僅かな人数で大和国へと向かっていた。
供は治兵衛と、河内の赤坂成村だけである。
「本当に良かったんですか、これだけで」
「楠木殿への用件は正式な使者だったが、こっちは偵察だからな。目立たぬ方が良い」
成村の疑問に応えた重茂は、鍛冶師の格好をしていた。成村と揃えたのである。
赤坂成村は、河内や近隣の国からの依頼を請け負う鍛冶師の集団の一員だった。
ちょうど興福寺傘下の座に届け物があるというので、重茂は同道させてもらうことにしたのである。
「見つかったらまずいんですかね。興福寺って、足利殿と争ってはいなかったと思いますが」
「どっちつかずだな、今のところ。だからこそ用心している。実は帝方と裏で手を組んでいた――ということもあり得るからな」
「そもそも、興福寺が一枚岩とは言い難いですからな」
治兵衛の言う通り、興福寺は一体感のある組織とは言えない一面がある。
興福寺には数多くの付属寺院が存在する。その中でも一乗院・大乗院の二つは五摂家の子弟が院主を務めることが多く、興福寺を代表する存在となっていた。
彼らは多くの荘園や衆徒と呼ばれる僧兵を有し、事実上大和一国の主とも言える支配力を行使していたが、それだけに利権を巡って争いも絶えなかった。鎌倉幕府の末期から今に至るまで、一乗院と大乗院の対立は続いているという話である。
「なんじゃ、おぬしらは」
重茂たちが興福寺への道を歩いていると、馬に乗った僧兵が居丈高な態度で声をかけてきた。
三人はもっともらしく縮こまりながら平伏する。大和国で僧兵以上におっかないものはいないのである。
「私は河内国の鍛冶師で、成村と申します。この度は結崎座からご依頼いただいたお品物をお届けに参りました」
「結崎座――結崎座か」
代表して成村が説明すると、僧兵は三人を値踏みするように睥睨した。
「何を持っていく?」
「舞台で用いられる小道具をいくつか」
「見せてみろ」
「はい」
成村に促され、重茂と治兵衛が荷物の中から適当な小道具をいくつか取り出す。
金物が中心だったが、能面や衣装といったものもいくつか含まれている。
結崎座というのは、興福寺に奉仕する大和猿楽の一座である。
猿楽は物真似・軽業等の芸を元に発展した芸能の一種で、寺社の庇護を受けながらそれらの芸を披露することを生業としていた。
結崎座は興福寺の下で声望を集めており、その名は重茂も聞き知っている程である。
「どれも見事なものだ。結崎座に持っていくというのも偽りではなさそうだな」
「はい。御坊様に嘘を申すなどとんでもない。仏罰が恐ろしくて、とてもそんなことはできませぬ」
「分かった、もう良い。河内の者なら、用事を済ませてさっさと戻ることだな」
僧兵はそれ以上何も言わず、再び馬を走らせて去っていった。
僧ではあるが、彼らの実態は武士と変わらない。荘園経営もするし、いざとなれば武器を持って立ち上がる。
「なかなか剣呑な雰囲気だったな。興福寺はいつもああなのか」
「いつも、こんなものです」
僧兵が去った途端、成村はケロッとした表情に戻っていた。
正成の軍勢に加わっていただけあってか、肝が据わっているところがある。
「難癖つけて荷物を分捕っていく輩もいれば、不審者とみなして問答無用で矢を射かけてくる奴もいます。今の御方はまだ良心的な方ですね」
「今のでか」
治兵衛がいかにも嫌そうな顔で、僧兵が去っていった方を見やる。
一方、重茂の視線は僧兵に見せた荷物へと注がれていた。
「成村。これはすべておぬしが造ったのか」
「まさか。私が代表して運んでるというだけで、ほとんどは他の職人が造ったものですよ」
「おぬしが造ったのはないのか」
「あるにはあります。ほら、今高殿が御持ちになってるのがそれです」
それは、精巧な模造刀だった。
間近で刀身を凝視してようやく模造刀と分かる出来栄えである。
思わず吸い寄せられそうな輝きに、重茂の心はしばしの間囚われた。
「おぬし、本物の刀は打てるのか」
「まだ勉強中の身なんで、とてもとても」
「そうか」
もし腕の良い鍛冶師なら武具の発注を頼もうかと思ったが、楠木党縁の者という点を考慮すると難しいかもしれない。
ただ、成村が造ったという模造刀は、妙に重茂の心を惹きつけるものがあった。
興福寺に近づくにつれて、僧兵を筆頭に人の姿が増えてきた。
本堂に至るまでの道沿いは、門前町として賑わっている。
遠方から参詣に来た人々が休む宿、土産物屋、日用品を扱う店なども揃っていた。
「河内よりは賑わっているな」
「大和の方は、今のところ此度の戦乱にそこまで関わっていませんからね」
大和の支配者たる興福寺は官寺として国家の影響下にあるが、一方で藤原氏の氏寺でもあるためか、独立勢力としての気風も強い。
足利との戦いで後醍醐もあまり興福寺の力をあてにはしてこなかった。
迂闊に時代の表舞台に引き出しては制御できなくなる――そんなことを懸念していたのかもしれない。
まず成村の届け物を済ませようと、重茂たちは結崎座の拠点へと向かった。
結崎座は各地を渡り歩いているが、いくつか拠点と言える地を持っている。
重茂たちが辿り着いたのは、そういう拠点の一つだった。
門前町の表通りから少し奥に入ったところにある、そこそこの大きさの邸宅である。
素朴な造りながらも、かなり頑丈そうに見受けられた。
「河内の赤坂から参りました、鍛冶師の成村です」
成村が邸宅の前で声をかけると、幼児を背負った女性が「はい」と表に出てきた。
「いらっしゃい、成村さん。頼んでいたものができたのね」
透き通るような声と眩い笑顔に、思わず重茂と治兵衛は息を呑んだ。
そのまわりだけどこか世界が違って見える。そんな印象を人に与える女性だった。
「はじめまして、大和権守様」
「――む?」
重茂はそこで我に返った。
まだこの女性には自分のことを何も話していない。なのになぜ自分の官職名をいきなり言い当てられたのか。
猜疑の眼差しをやんわりと避けながら、女性は家の中に一行を招いた。
中には他にも何人か子どもや女性たちがいた。着物を整えている者もいれば、芸の練習と思しきことをしている者もいる。
「ご挨拶が遅れました。私は結崎座の一員、当代の山田太夫が妻・遠子と申します」
品のある話し振りから敵意は感じられない。
周囲に何者かが潜んでいるというわけでもなさそうだった。
「遠子殿は、俺が何者か知っておられるのか」
「ええ。少し前に河内から来た知人が教えてくださいました。足利様にお仕えの高大和権守様が、大和に参られると」
「いや、言っておきますが私は口外していませんよ」
重茂に疑いの目を向けられ、成村は頭を振って弁明した。
二人の様子をおかしそうに見ながら、遠子は補足する。
「私の知己は、皆様が宿で話されているのを聞いたと仰っていました」
「ならば十中八九、治兵衛殿のせいですね」
「なぜじゃ!」
「声が大きいんですよ」
一転して批判の的にされた治兵衛は重茂を見たが、重茂は神妙な面持ちで頭を振った。否定できないのである。
味方がいないと悟った治兵衛は、何ともばつの悪そうな表情を浮かべてしょげ返った。
「しかし、大和権守というのは口にしなかったと思うのだが」
「ああ、それは別の知己が教えてくれたのです。大和権守様が河内・大和を回るそうだと」
「……顔が広いのだな、そなたは」
「私は大和の越智氏、夫は伊賀の服部氏の出身でして。河内の楠木様とも越智を通して少し御縁があるものですから、この辺り一帯の話は自然と入ってくるのです。おかげで毎日退屈いたしません」
悪意のなさそうな笑みが、今は少し恐ろしい。
重茂の若干引きつった表情を見て、遠子は「そうこわい顔をなさらないでくださいな」と手をひらひらさせた。
「別にそれでなにか悪さをしようというつもりはありません。ただ、猿楽一座は各地を渡り歩くもの。どこに行けば良いか、どういう人と繋がりを持てば良いか、といったことがとても重要なのです。集めた情報は、基本的にそういうことを考えるときに使います」
「しかし、そなたは越智・服部・楠木等と縁があるのであろう。情報を求められたら、そのときはどうする」
「口外せぬとお約束したことでなければ、世間話としてお話することもあります」
「……」
「そこは、そういうものだと割り切ってお付き合いいただければ」
言われるまでもなく、割り切るよりほかに方法はない。
おそらくここで遠子の口を封じたところで、似たような者たちはあちこちにいるのだろう。
情報というものは、思ったよりも漏れやすく、広まりやすい。そのことは胸に刻んでおく必要があった。
遠子の挨拶が終わると、成村は家の中にいた他の人に荷物の引き渡しを始めた。
重茂は治兵衛に手伝うよう命じると、改めて遠子に向き合う。
「こちらから話を聞くのは良いか」
「お話できることでしたら遠慮なく。大和権守様には御恩もありますので」
「恩?」
「正成殿の最期のとき、便宜を図ってくださったと聞いております」
「成り行きだ、あれは」
「だとしても、です。血縁こそありませんが、私は幼少の折正成殿の館でお世話になっていたこともあります。勝手ながら、兄のような方だと思っておりました」
ならば足利を恨んでいるのではないか――そんな言葉が出そうになったが、重茂はかろうじて呑み込んだ。
そういうことも承知の上で、遠子は「話せることなら話す」と言っているのである。
「では――」
と話を聞こうとしたとき、表の方がにわかに騒がしくなった。
遠方から誰かの罵声が聞こえてくる。かと思いきや、一人の坊主が挨拶もなく急に駈け込んできた。
ひょろりとした頼りない風体の坊主で、僧兵の類には見えない。
家の中をせわしなく見回して重茂を見定めると、一気に膝を詰めてきた。
「急にお邪魔してまことに申し訳ない。事情があって愚かな連中に追われているのです。匿っていただきたい!」
外は相変わらず騒がしい。
奴はどこだ、見つけて叩きのめしてやる、などと物騒な言葉が聞こえてくる。
ちらりと外を覗くと、複数の僧兵が得物を手に駆け回っていた。
「俺に言われてもな。俺はここの主人ではなく客だ。主人は――」
「私でございます」
遠子が名乗り出ると、坊主は驚くべき早さで遠子の眼前に膝をついていた。
「お頼みします。ほんの少しで良い。匿ってはいただけぬか」
「何をされたのです」
「恥じるようなことは何もしておりませぬ。ただあの僧兵どもに学問とはどういうものか、懇切丁寧に語ってやったところ、俺たちを馬鹿にしているのかなどと絡まれましてな――」
興福寺や延暦寺は多数の僧兵を抱えているが、すべての僧が僧兵となったわけではない。
要職につく特権階級や、特権階級ではないが学問に専念する者もいる。この坊主はそういう学問に専念する僧――学侶らしい。
「なにか余計なことでも口にしたのではないか」
「とんでもない。馬鹿にも理解できるよう、親身になって語って聞かせたのですよ。……まあ、奴ら拙僧の非力を馬鹿にしてきたので、少々それに反論はしましたが」
「どう考えてもそれが問題の原因ではないか」
外での騒ぎに反応したのか、遠子の腕に抱かれていた幼児がむずがり始めた。
遠子は困ったように重茂の方を見てくる。
見られたところで、重茂としても特にできることはない。
この家に僧兵が乗り込んでくるなら追い返すこともできるが、そうでないなら黙ってやり過ごすのが一番だった。
今はあまり目立ちたくないのである。
幸い、幼児が騒ぎ出す前に僧兵たちは別のところへ移動していった。
周囲が静かになると、坊主は息を大きく吐き出して身体を伸ばしながら横になり、誰にともなく呟く。
「――才人とは、理解されないものだ」
「おぬしはいったい何なのだ」
困惑する一同を代表して重茂が声をかけると、坊主は勢いよく起き上がって名乗りをあげた。
「拙僧は妙吉という。覚えておいて損はないぞ」
変な奴が現れた。
重茂の正直な感想は、それに尽きた。





