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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第2章「廻天の秋」
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第28話「湊川の戦い(伍)」

 楠木くすのき党が注視する中、筆を取り出した重茂しげもちは足早に近くの民家へと向かった。

 戸は薄っすらと開いている。隙間からは、こちらを窺う村人と、その手に握られた刀の輝きが見える。

 村人の得物を一瞥すると、重茂は「もし」と声をかけた。


「書くものはあるか。立札に使えるものがあるとなお良い」

「……立札でございますか?」

「ああ、今から禁制を布く」


 戦の最中の禁制というと、軍勢による狼藉を禁止することを言う。

 この時代、戦に駆り出される者たちは自弁である。大将が戦の支度をしてくれるわけではない。

 それでも大将の催促に応じて戦に参加するのは、功績をあげて大将から報酬を得たり、戦地で略奪を働いて懐を潤すためだった。

 重茂の例を見ても分かるように、戦場で功績をあげるのは楽なことではない。略奪目当ての武士も多かっただろう。


 大将もそういう事情は把握しているので、略奪に関しては目をつむることがある。

 しかし、様々な事情があって手出しして欲しくない場所というものもある。

 そういう場所に関しては略奪を禁止した。そういうときに出すのが禁制である。


「今、この辺りは足利あしかがの軍勢が集まっておる。帝方との戦の最中なのだ。だが、わしはこの地が気に入った。だから禁制を布く」

「……お武家様は、そんなにお偉いので?」

「偉い。俺はあの軍を率いる足利直義(ただよし)殿が副将、高師泰こうのもろやすぞ」

「そ、そのような偉い御方だとは……」


 村人は膝をついて、重茂に頭を下げた。

 無論、重茂は師泰ではない。悲しいが、重茂の立場では禁制を出したところで効果が薄いのである。


「安心せい。今から俺がこの名において禁制を布いてやる。『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』とな」


 重茂の言葉に、村人の身体がかすかに震えた。


「何人も……でございますか」

「そうだ。故にそなたらは安心して家の中で戦が終わるのを待っていれば良い」

「は、はあ」

「良いか。何人たりともこの地で他者を害してはならぬ。それを村の中にも触れ回っておけ」


 そう言いつつ、重茂は村人から得物を取り上げた。

 あ、と村人が面を上げるが、重茂は意地の悪い笑みで応じる。


「こんなものは、もういらぬであろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()。それより、なにか書けるものをくれないか」


 村人はかすかに逡巡したが、やがて観念したように頷く。


 略奪される側も、一方的な被害者というわけではない。

 状況が変われば、いつだって略奪する側に転じる可能性はあった。




 いくつかの立札に偽りの禁制を書き記すと、重茂は楠木党の前で腰を下ろした。

 村人たちには、立札を立てる者以外外に出るなと言いつけてある。


 今、正成まさしげたちは村の中の空き家に集まっていた。

 裕福な暮らしをしていた者の家だったのか、楠木党の生き残りが皆入れるくらいの大きさである。


「これでしばらくの間、そなたらの邪魔立てをする者は出ないであろう。あとは好きになされるが良い」

「存外に、親切なのだな」


 重茂の行動の意図は、楠木党に伝わっているようだった。

 正季まさすえは意外そうな顔を浮かべている。確かに、重茂の振る舞いは奇妙なのかもしれない。


「だが、そうだな。最期に面白いものを見せてもらえた。礼を言おう、高重茂」

「正季様、武吉たけよし殿の容体が――」


 正季の郎党らしき若者が横から切迫した声をあげた。

 菊池きくち武吉は、もはや座っていることもできない状態だった。

 寝かされたまま、歯を食いしばり、どうにか意識を現世に留めておこうと目を見開いている。


「もう、あまり時間もないか。兄者」

「うむ。そろそろだな」


 楠木党は『自害』という言葉を使わない。

 ただ、もはや他に選択肢がないことは明白だった。


「重茂殿、御配慮痛み入る。我ら楠木党、これより最後の始末をつけさせていただく」

「俺のことは、斬られぬのか」

「斬ったところで意味などあるまい。むしろ、お頼みしたいことがある」


 そう言って、正成は側にいた若者を重茂の前にやった。


「この者は、老いた母を食わせるため戦に参った。この者の母には私も大分世話になった。できれば、生かして帰したい」

「……」


 若者は、納得いかぬという顔で俯いている。

 共に自害するしないのやり取りはもう済ませたのだろう。

 おそらく正成が、無理に説き伏せたのだ。


「我らの最期を、祖国の者に伝えて欲しいのです。どうか、便宜を図っていただけませぬか」

「承りました」


 正成の一族でもない若者一人の命である。

 特に問題にはならないだろう、と重茂は見た。


 重茂の承諾を得られて安堵したのか、正成の肩から力が抜けた。


「お疲れですか」

「うむ。……いや、そうだな。もう随分と長いこと、無理を重ねてきたような気がする」


 重茂の敬意が伝わったからか、正成の重茂に対する態度は兄が弟に向けるものに近くなっている。

 もう随分と長い間親しくしていたような気がしてしまう。


「最初は、他の武士とのいざこざであった。思いの外たやすく勝てた。それで、自分たちはもっとやれるのではないかと錯覚してしまった。思えば、あれが欲のかき始めだった」

「欲ですか」

「欲だ。欲は、悪いものではない。欲がなければ何もできぬ。しかし、身に過ぎたものを欲してしまうと、私のように身を滅ぼすことになる」

「楠木殿は、身の丈に合わぬ欲を抱いたと?」

大塔宮おおとうのみやをお支えせねばと思ったこと。帝をお支えせねばと思ったこと。此度の戦においては――高経たかつね殿の手勢をもっと引き付けようと粘り過ぎたこと。いずれも、過分な欲であった」


 確かに、初手で正成が早々に退いていれば、おそらく今頃は新田にった勢と合流できていたに違いない。

 ほんの少しの判断の遅れが、正成の命運を分けたと言える。


「しかし、誰かを支えようという欲は――悪いものではないと存じます」

「言ったであろう。欲そのものは、悪いものではない。ただ、我ら楠木党が支えるには、大塔宮も帝も大き過ぎた」


 重茂は、帝も大塔宮もよく知らない。

 人伝に聞いた話がほぼすべてである。それくらい、どちらも遠い存在だった。

 そんな相手に向き合ってきた正成の苦労は、重茂に理解できるものではなかった。

 理解した気になってはいけないものだ、とも感じている。


「そなたらも足利殿をお支えするなら気をつけなされ。支える相手の重みを知らねば、いつの間にか押し潰されることになる」

「肝に、銘じます」


 正成は満足そうに頷いた。

 重荷を下ろし、やっと一息つけたという面持ちである。


「ああ、それと」

「はい」

「重ねての頼みで申し訳ないが――言伝をお願いしたい」


 それは、楠木党の主としての言葉ではない。

 重荷を下ろしきったあとに残った、河内かわちの親父の願いだった。


「お聞きしましょう」


 遠くからは、戦の音が聞こえてくる。


 ここは、静かだった。


 ほんのりと湿気が漂う静寂の中、重茂はじっと耳を傾ける。

 一字一句、違えることがないように。

 そこに込められた想いを、取りこぼすことがないように。




 己の名を使った禁制が布かれている。

 その報告は、すぐに師泰の耳にも届いた。

 師泰はそれを否定しなかった。この状況でそんなことをするのは重茂くらいであろう。

 ならば、そこには何かしらの意味があるはずだった。


 村の近くまで行くと、立札の前に武装した村人が立っている。

 師泰の姿を認めると、警戒するような眼差しをぶつけてきた。


「こ、ここは今禁制が布かれております。乱暴狼藉は、してはならねえです」

「せんわ。それよりここに入り込んだ連中がいただろう。そやつらは今、どうしている?」

「……」

「応えぬならその禁制取り下げるぞ。そこにある高師泰というのは、わしのことだからな」

「へっ?」


 村人は目に見えて狼狽し始めた。

 禁制を書いた男と目の前の男、どちらを信じれば良いか測りかねているのだろう。


「別にここに手出しはせん。ただ、そやつらがどうなったか知りたいだけだ」

「し、しかし――」


 そのとき、遠くの民家から二人の男が出てきた。

 一人は、重茂である。なぜか鎧を脱ぎ捨てているが、特に大きな怪我をしているような様子はなかった。

 向こうも師泰の姿を認めたのか、まっすぐとこちらに向かってくる。


「兄上。追ってこられたのか」

「弥五郎。あやつは――楠木党はどうした」


 その問いかけに、重茂の脇にいた若者が悔しげに俯いた。

 重茂は、ただ黙って頭を振る。


「俺は、見ていない。最期は共に戦い抜いた仲間だけで、というのが楠木党の望みだった」

「……死んだか」


 分かっていた。

 想像できる結末ではあった。


 ただ、胸に穴が空いたような虚脱感がある。

 それは、抑えられなかった。


「言伝を、預かっているが」

「今は良い。今は、聞くような気分になれぬ。聞くのは、戦が終わってからだ」


 楠木党は壊滅し、英傑・楠木正成は世を去った。

 しかし、戦いはまだ終わっていない。今も東側では、足利軍と新田軍がせめぎ合いを続けている。


「ここの後始末は、お前に任せる。わしは、直義殿の元へ報告に戻らねばならぬ」


 まだやるべきことが残っている。

 師泰は半ば自分に言い聞かせるように言葉を吐き出し、踵を返した。

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