第25話「湊川の戦い(弐)」
敵陣の見える会下山に向かって駆け続ける高経は、山の麓付近に僧兵の一団の姿を認めた。
僧ではあるが、彼らは武装戦闘集団でもある。国家鎮護の役割を担いつつ、時には朝廷や武士団相手に抗争を繰り広げる。そういう武装集団が、この時代の僧兵だった。
僧兵自体は珍しいものではない。
例えば、五百年以上前に史上有数の高僧・最澄が開いた天台宗の延暦寺は、当時後醍醐天皇の皇子である尊澄法親王がトップ――すなわち天台座主に就いていた。そのため彼らは後醍醐天皇を支える武力の一端を担い続けている。
(だが、アレからは延暦寺の匂いを感じん)
このまま勢いに乗って蹴散らすべきか否か。
高経がそう考えるのとほぼ同時に、僧兵たちの中央にいた男が弓を構えた。
大きな弓だ。相当な力自慢でなければ引くことはできないだろう。
(射るのか――あれを)
男は、矢を放った。
風を切る音と共に飛来する矢に、高経は身体を伏せる。
だが、避けきれない。矢は馬に当たり、高経の身体は放り出された。
「避けたか、あれを。勘の良い奴だ」
男の声に、高経は聞き覚えがある。
「おぬしは――」
「今は恵清という。久しいな尾張の」
かつて鎌倉で何度も見かけた顔に、思わず高経は懐かしさを感じた。
かつて、宗家である尊氏・直義らの決断に従って鎌倉幕府に反旗を翻した高経だったが、鎌倉幕府のことは決して嫌いではなかった。北条一族に対する憎しみもなかった。
だが、今は敵味方である。
「北条の亡霊が今更こんなところで何をしている」
「仇の首を求めてさまようておるのよ」
少し言葉を交わす間に、高経の元へ配下の者たちが追いついてくる。
僧兵に向けて弓を構える配下を、高経は手で制した。
「血生臭い坊主め。身を清めて東国で一族の菩提を弔うつもりはないのか」
「ない。死ねば皆、それまでよ」
「それなりの地位を得られるよう、私から尊氏たちに掛け合っても良い」
「他人の心配をする前に、自分の心配をしたらどうだ、尾張の」
「なに?」
「貴様は既に足利が天下に返り咲くと信じているようだが――そうなれば、貴様のところは後が辛いぞ」
恵清は意地の悪そうな笑みを浮かべながら、手にした大薙刀をクルクルと手慰みに回し始める。
その怪力ぶりに、高経の周囲にいた者たちが怯んだ。
「なにが言いたい」
「尾張足利は元来宗家になってもおかしくない立場だった。それを横からかすめ取られた。かすめ取られた当事者である家氏公は納得していたのかもしれぬが――それで不利益を被る子孫のお前たちは、どこか腹の底で不満を抱えていよう」
「ふん。どこかもなにもない。私は常に不満を全身で表している」
だろうなあ、という呟きが聞こえたような気がした。
「だが、宗家は宗家。尊重せねば仕方あるまい」
「貴様はそう思っていても、宗家の方はどうであろうな。尊氏はお人好しだからともかく――直義たちは、尾張足利を疑ってかかるかもしれぬ。いつか自分たちを陥れて、宗家として返り咲くつもりではないかと」
そんなことはありえぬ、と高経は言えなかった。
むしろ逆だった。恵清が語っているのは、十分にありえる話なのだ。
「尾張の。武士というのは敵が欲しくて仕方がないものだぞ。頼朝公が亡くなった途端、鎌倉御家人衆は仲違いして血で血を洗う抗争を始めた。北条が御家人衆を圧倒するようになると、今度は北条内部で争いが繰り広げられるようになった。鎌倉滅亡の折、得宗も長崎も赤橋も金沢も仲良く果てたが――あれは帝という外敵を得たからだ。新田という敵を得たからだ。そうでなくば、皆互いに相争っていた。わしには、それがどうにも阿呆らしかったのよ」
北条一族は後醍醐天皇との戦いにおいて、新田義貞によって攻め滅ぼされた。
一族が結集して外敵に臨み、最後は皆で鎌倉の東勝寺で自刃した。そういう最後故に結束力が高そうに見えるが、後醍醐天皇が決起するまでは、内部で争い合っていた関係性でもある。
「足利もそうならねば良いな。そうなったら、尾張足利などはよう狙われるであろう。ならばどうだ、いっそこちらにつくというのは――」
「話はそれで終わりか」
これ以上話を続けるのは危険である。
そう判断して、高経は配下に射撃命令を下そうとした。
「ああ。もう良い頃合いであろう」
恵清の声に込められた含みに、高経はすかさず周囲を見渡した。
西方。会下山からこちらに回り込むように迫ってくる騎馬隊がいる。
高経隊の横っ腹を突きさすような形だった。
「なるほど。今までの戯言はこちらの耳目を引きつけるためのものであったか」
「半ばは本心だ。どうだ尾張の。こちらにつくつもりは」
「ない。忠告いただいた件については――せいぜい上手く立ち回るつもりだ」
「そうか。ではな」
恵清は咄嗟に踵を返す。
話が終わるや否や、一人の若武者が高経のところに馬を引いてきた。
「高経殿、私の馬を。今はお退きください。殿は私が務めます」
「任せたぞ、四郎左」
高経の撤退を成功させるため、四郎左と呼ばれた若者は一隊を率いて敵の騎馬隊に向かっていく。
馬上から戦場を一瞥すると、高経は迷うことなく北へと駆け戻った。
戦場は思うようには動いてくれない。
思うままに動かしたいなら、場を整える必要がある。
だが、ここではできない。河内なら自らの庭も同然だったが、ここでの自分はあくまで客人である。
「まいったな――」
恵清が引きつけ、正季が横合いから仕掛けたことで、高経軍は一旦足を止めた。
が、それはあくまで高経自身が率いる軍勢に限った話である。
高経が元々率いていた軍は多く、いくつかに分かれて行軍していた。
一つだけ止めたところで、全体の戦況への影響は微々たるものである。
現に、東方に分かれた彦三郎の一軍は、楠木軍の退路を塞ぐような形で南下し続けていた。
こちらを包囲してから攻めかかってくるつもりなのだろう。
同時に、南西からは赤松の旗を掲げた軍勢が会下山の周辺に集まりつつある。
東西両方から囲まれつつある。これをどうにかするのは、さすがの正成にも無理だった。
「さて、なかなかに厳しい状況になってきたな」
戻ってきた恵清は、どこか楽しげだった。
彼は、鎌倉での戦いで一族が壊滅する様をその目で見ている。
そういう経験を経ると、人間、何かが変わるのかもしれなかった。
「なにか手はあるか、楠木殿」
「いっそ、切り込んでみますかな」
そう言って正成が指し示した先には、足利の旗が見える。
南西の赤松軍の向こう側。そこには、おそらく足利一門の誰かがいる。
「やけか」
「やけになるより他に手はない。そういうことになったようです」
正成に促されて東方を見た恵清は、思わず唸り声をあげた。
先刻まで近くにいた新田軍が、今は遠く離れてしまっている。
そして、間には足利彦三郎率いる軍勢や、南から北上してきた別の軍勢が集まっていた。
「なんだ。気づかぬうちに随分と足利の軍勢が増えたな」
「おそらく海の軍勢が上陸してきたのでしょう。これでは東から撤退というのは、もはや無理というもの」
「なるほど、それでやけになったわけか」
「やけというのも、馬鹿にしたものではありますまい。帝の決起も、あれはほとんどやけのようなものだったと見ています」
「それで北条は滅んだ。なるほど、やけの一念が世を変えることもあるか」
足利の目的は上洛にある。
このまま足利軍を突っ切って西に出てしまえば、どうにか落ち延びる術はあるかもしれない。
やけとは言っても、この状況であればもっとも生還率の高い案とも言える。
「しかし、新田も使えぬ者どもよ。自分たちだけそそくさと撤退するとは」
「一戦してさっさと退く。それを進言したのは私なのですよ、恵清殿」
「だからと言って、この状況を――」
「見えなかったのでしょう。新田殿は海の軍勢に備えて岬に布陣されると聞きました。戦場全体を見渡すのは、難しかったと思います」
「やけに肩を持つな」
「ああいう御方は、実のところ嫌いではないのです」
恵清は面白くなさそうな顔をしていたが、それ以上は抗弁してこなかった。
そんなことをしているだけの余裕は残されていない。
「――皆の者。七郎が戻り次第、あの足利の旗を目指して突き進むぞ。山から降りれば見ている余裕はあるまい。今のうちに目に焼き付けておけ」
正成の言葉に、楠木党は力強い声で応えた。
周囲に敵の姿は残っていない。
ほとんど干戈を交えることなく撤退した新田軍に取り残された師泰軍は、追撃に移るべきか戻るべきかで迷っていた。それはつまり、会下山の楠木党を放置するかどうかという迷いでもある。
「やはり一旦戻った方が良いか」
南方からは、細川定禅率いる一軍が上陸してきている。
彼らの勢いは凄まじく、今のところ新田軍を相手に優勢を維持し続けていた。
いたずらに加勢するよりも、一旦直義と合流した方が賢明と言えるだろう。
「俺としては追撃でも良いと思うが――」
「お前は戦功を立てたいだけだろう。どうせ嫡流から外れた身、今更無理して立てても仕方があるまい」
「放っておいてくれ。そういうのとは関係なく、俺もたまには功を立てたいと思っているだけだ」
師直の代理としての役割は師久に回された。
もはや重茂は、ただ高一族の一員というだけの存在である。
今更妙に気負う必要はないのだが、それはそれとして、武士として名を挙げたいのである。
「――ん?」
重茂と師泰が異変に気づいたのは、ほぼ同時だった。
会下山に掲げられていた旗が、次々と姿を消していく。
「楠木殿は、下山しているのか」
「……あの親父が、下山? 山に引き寄せて戦うのではなく?」
師泰の表情が見る見るうちに険しくなっていく。
楠木党の見せた動きに、なにか不吉なものを感じたらしい。
重茂には、楠木党の動きの是非は分からなかった。
ただ、師泰のこういう感覚は外れにくい――ということは知っている。
「兄上。戻るか」
「ああ。急ぎ全軍で直義殿のところまで駆け戻るぞ」
馬首を直義の陣に向け、重茂は師泰と共に駆け出した。
戦場に響き渡る駒音は、まだ止む気配が見えない。





