第240話「土岐頼遠の挑戦(弐)」
今出川実尹が亡くなって以降、頼康は今出川邸と菊の邸宅によく足を運んでいるらしい。
今出川家は実尹もそうだが、その母や妻も含めて光厳院寄りである。
「頼康殿がそこに近しいというのは、頼遠殿にとって問題ないのか?」
「別に構わぬよ。それを言うなら大和権守殿の方も似たようなものではないか」
「似たようなものだが、俺としては結構困っている」
頼康の動向を重茂が把握しているのは、重教や委渡から話を聞いたからである。
その重教たちも、最近はよく菊の家に行っている。
実尹を失った菊が心配なのだろうが、光厳院派と対立しかねない計画――邦省親王擁立に加わっている重茂としては、なかなかに気まずい。咎めるような理由もないので、気まずさを隠したまま見送るしかない。
「こちらは同居しているわけではないから、気まずさなどはないな。それに私と頼康の現状を考えると、頼康が今出川家に接近しているのは悪くない」
土岐一族の存続ということだけを考えるなら、頼遠・頼康で光厳院派と邦省親王派に分かれるのは実際悪くない。
どういう結果になっても、最終的に土岐の家名は残るからだ。
もっとも、気になる点はある。
「土岐一族の対立が激化しないか?」
「皇統を巡るいざこざなど、美濃にいる連中にとっては他人事だ。そこで私と頼康の意見が分かれたところで、今までの対立の延長としか捉えられん。白金荘のときのように過熱するようなことにはならないだろう」
当事者である頼遠がそう言うのであれば、重茂がこれ以上懸念しても仕方ない。
「さて、そろそろ本題に入りたいのだが」
重茂は、邦省親王擁立計画における頼遠と足利の連絡役を任されていた。
毎回関係者が集まって会合していては、すぐに動きを感付かれてしまう。
そのため、よほどのことがない限り頼遠と足利の連携は重茂を通して行う方針になっていた。
「今日はこれから公賢卿のところに向かおうと思っている。説得を試みるつもりだ」
「こちらに引き入れるための算段がついたのか?」
「数は揃えた。正直なところ、数だけという感じではあるが……」
「誰がこちらに加わっているのか、書状などにはまとまっているのか」
「いや、それはない。まだ皆名前を記すことを恐れている」
現状、邦省親王擁立派は少数派と言わざるを得ず、立場も弱い。
光厳院を中心とする勢力が天下を差配しているのが明らかな中で、邦省親王を擁立しようとしていると書状に名を記すのは、かなり勇気が要ることだろう。
「無理もない……と言いたいところだが、それで公賢卿を説得できるだろうか」
「実のところ、その点について大和権守殿の見解を聞きたかったのだ。ある程度公賢卿の人となりは把握しているだろう」
親しくしている――というほどではないが、一時期はいろいろなことを教えてもらった。
そうだとはっきり言われたことはないが、重茂はどこか公賢のことを師のように思っている。
「個人的に、説得は難しいと思う」
公賢は光厳院だけでなく吉野とも繋がりを持っているが、どちらに偏るでもなく、中立のような立場を堅持している。
慎重に時世を見極めようとしているのだ。そんな公賢が、邦省親王の擁立などという博打のようなことに加担するだろうか。
そういう公賢だからこそ味方にしたときの影響力は大きいのだろうが、実現できるかどうかが最大の問題だった。
「とは言え、京にいる公家でそれなりに影響力を持つ者は大半が院に近しい。五摂家の当主などはある程度距離を置いているが、さすがに五摂家当主を一本釣りで引き込むのは無理があるだろう」
立場が違い過ぎるし、五摂家もあえて光厳院と対立するような理由はない。
両者の間には一定の距離があるが、それは何か対立関係があるというわけではなく、互いにさほど依存せずやっていけるからだ。
光厳院の治世に思うところはあるかもしれないが、治天の君と対立するよりは、その治世の中で上手く立ち回る方が無難だろう。
邦省親王を擁立するための理由。それがどうしても欠けている。
「可能性があるとしたら二条良基卿だが、さすがに私もいきなりここへ切り込むのは躊躇われる」
「良基卿か……」
一応高一族と二条家は菖蒲を通して繋がりを持っている。
師直と良基はときどき会っていろいろと話をしているようだが、重茂からすると良基はあまり話したこともなく、縁戚関係にあるというより雲の上の存在という印象だった。
かなりの変わり者だという話も聞いているが、邦省親王の擁立に動いてくれるかと言われると、かなり怪しい気がする。
「そうなると、結局公賢卿くらいしか候補がいないのだ」
「そこは分かるが、ううむ」
洞院家は元々邦省親王の後見をしていたらしいが、情勢の変化を受けて距離を置くようになった。
そんな経緯もあって両者の関係は正直あまり良くなさそうに見える。そういうところも、公賢説得のハードルを上げている。
「少し時間をかけるのは駄目か?」
いきなり仲間に引き入れようとしても、警戒されて断られる可能性が高い。
何度か通って様子を窺ってから切り出す方が良いのではないか。
「時間に余裕があれば私もそうしたいところなのだが」
「余裕がないのか?」
「……」
頼遠の表情が険しくなる。
少し考えるような素振りを見せてから、彼は静かに口を開いた。
「近頃、院は花園院のところによく足を運んでいる」
「それがどうかしたのか?」
光厳院にとって花園院は、叔父というより育ての親とも言うべき相手だった。
花園院は中継ぎの天皇としての役割に徹していたが、帝王学については一家言ある人物だという。
頼れる存在として光厳院が何か相談するため通っている。そう考えれば、何もおかしなことではない。
「花園院には直仁親王という皇子がいる。院はこの皇子に大層目をかけているともっぱらの噂なのだ」
「……まさか、その皇子を次の皇太子にするつもりだと?」
脳裏に系図を思い浮かべてみたが、かなり無理のある考えのように思えた。
現在の帝は光厳院の実弟である光明天皇。その皇太子は光厳の第一皇子である益仁あらため興仁親王だった。
普通はそこから益仁の皇子が誕生するのを待って皇太子にするか、興仁の弟あたりを皇太弟として中継ぎにする。
直仁親王も光厳院の従弟でかなり近しい血縁ではあるが、急に興仁親王の皇太子に据えようとするだろうか。
光厳院は明らかに皇統を一本化しようとしている。
それなのに直仁親王を皇太子にしたら、興仁親王の系統との間に禍根が残ってしまう。
新たな「両統」が生まれかねない。
「杞憂かもしれない。ただ、もし直仁親王が皇太子として立てられたら、もはや邦省親王の立ち入る隙はなくなる。大覚寺統は完全に蚊帳の外になってしまう」
光明・興仁・直仁と三代続けて持明院統が皇統を継ぐことになれば、もはや大覚寺統の出る幕はないと皆が思うだろう。
邦省親王は、時代に見放されたような立場になってしまう。
「仮に直仁親王を立てる意思が院にあったとして、そんなすぐに話を進めるだろうか。興仁親王も直仁親王もまだあまりにお若い」
「これからは持明院統一本でやっていく。それを内外に示すつもりなら、多少無理をしても早々に話を進める意味はある。やるかどうかはともかく、院がその意味を見落としているとは思えないのだ」
多少のリスクはあっても、大覚寺統を完全に締め出せるなら、光厳院がそういう選択を採る可能性は十分ある。
そう考えているからこそ、頼遠は邦省親王の擁立を急いでいるのだろう。
「頼遠殿の考えは分かった。ただ、俺はその上であまり急いではいかんと思う」
元々かなり分の悪い賭けをしているようなものだ。
勝負をしかけるタイミングというのは、冷静に見極めなければならない。
「最低でも三回。公賢卿に話を切り出す前に、三回は通って様子を見た方が良い。公賢卿の他にあてがないなら、尚更ここは慎重にいくべきだろう」
重茂が立てた三本の指をじっと見た後に、頼遠は重々しく息を吐いた。
「やむをえまい。分かった、慎重にいくことにしよう」
足利殿によろしく頼む。
そう言い残して、頼遠は出ていった。
頼遠が抱いていた懸念――直仁親王立太子の件は、尊氏たちにも伝えておいた方が良いだろう。
当初の想定よりもずっと難しい話になりそうだ。
そんな予感を抱きつつ、重茂は足利邸へと向かうことにした。





